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[SSS28-11] 庄内平野の伏在活断層
キーワード:伏在活断層, 反射法地震探査, 庄内地震, 逆断層
東北日本日本海沿岸の秋田-山形堆積盆地や新潟堆積盆地では、鮮新世後期から継続的に沈降している。こうした地域では活断層や活褶曲による変形が埋積され、変動地形のみでは活構造の認定が困難な場合が多い。庄内平野も鮮新世後期以降の沈降が著しい地域で(池辺ほか,1979)、平野下の活構造については不明な点が多い。1884年に発生した庄内地震(M7.0)については、庄内平野東縁断層の活動と推定されているが(地震調査推進本部、2009)、必ずしも明瞭ではない。ここでは、庄内地域の反射法地震探査データから、伏在活断層に起因する構造が見いだされたので報告する。
庄内平野は石油・天然ガスを産することから、資源探査を目的とした反射法地震探査などの地下構造探査が実施されている。検討した測線は北青沢から荒瀬川沿いに遊佐にいたる約15kmの測線である。反射法地震探査データは大型バイブレータ4台を使用、25m間隔で受発震した記録である。断面は通例のCMP重合法処理による。これらの反射法地震探査断面と坑井資料、地表地質データをもとに、地下構造を推定した。これらの解釈については、バランス断面法による検討を加えた。
反射法地震探査測線では出羽丘陵西縁の青沢断層にから派生したデタッチメントにより、その西側に形成された断層関連褶曲が見られる。これは一連の短縮変形により形成された構造で、デタッチメントは草薙層?北俣層に形成されている。この構造は庄内リッジと呼ばれる伏在する構造的な高まり東翼を構成している。庄内リッジの西翼は、更新統の庄内層群を含めた地層群が西傾斜する。庄内リッジの西翼には東傾斜の低逆断層が位置し、観音寺層堆積時以降、第四紀後期にいたるまで成長層を形成させてきたと判断される。
1894年庄内地震は、庄内平野東縁断層帯の活動と推定されているが、被害は平野部に集中し、断層上盤の丘陵部では家屋倒壊の被害が報告されていない(松浦,2012)。したがって、ここで紹介した活構造の南方延長の平野下に伏在する震源断層によって引き起こされた可能性がある。
庄内平野は石油・天然ガスを産することから、資源探査を目的とした反射法地震探査などの地下構造探査が実施されている。検討した測線は北青沢から荒瀬川沿いに遊佐にいたる約15kmの測線である。反射法地震探査データは大型バイブレータ4台を使用、25m間隔で受発震した記録である。断面は通例のCMP重合法処理による。これらの反射法地震探査断面と坑井資料、地表地質データをもとに、地下構造を推定した。これらの解釈については、バランス断面法による検討を加えた。
反射法地震探査測線では出羽丘陵西縁の青沢断層にから派生したデタッチメントにより、その西側に形成された断層関連褶曲が見られる。これは一連の短縮変形により形成された構造で、デタッチメントは草薙層?北俣層に形成されている。この構造は庄内リッジと呼ばれる伏在する構造的な高まり東翼を構成している。庄内リッジの西翼は、更新統の庄内層群を含めた地層群が西傾斜する。庄内リッジの西翼には東傾斜の低逆断層が位置し、観音寺層堆積時以降、第四紀後期にいたるまで成長層を形成させてきたと判断される。
1894年庄内地震は、庄内平野東縁断層帯の活動と推定されているが、被害は平野部に集中し、断層上盤の丘陵部では家屋倒壊の被害が報告されていない(松浦,2012)。したがって、ここで紹介した活構造の南方延長の平野下に伏在する震源断層によって引き起こされた可能性がある。