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★ [O01-07] 活火山がもたらす災害・歴史・恵みが体感できる場所―島原半島世界ジオパーク―
キーワード:ジオパーク, 雲仙火山, 噴火災害, 島原天草一揆, 教育旅行, 民泊
1.はじめに
島原半島ジオパークは、「活火山との共生」をテーマとした世界ジオパークである。国内には、洞爺湖有珠山、磐梯山、箱根、伊豆大島、阿蘇、霧島、桜島・錦江湾など、「活火山との共生」が体感できるジオパークが複数存在するが、それらの中で島原半島ジオパークはどのように教育旅行の場として活用できるのか。その具体例を紹介したい。
2.なぜ人は島原半島に住み続けるのかを考える
1991年6月3日午後4時8分、それまでにない規模の火砕流が雲仙普賢岳で発生した。この火砕流に伴う熱風により、火山学者を含む43名が犠牲になった。今から223年前の1792年5月21日夜8時過ぎ、城下町・島原のわきにそびえる眉山が、火山活動に伴う強い地震によって大崩壊を起こした。崩壊土砂は町を埋め立てただけでなく、海に突っ込んで津波を発生させた。この津波は島原半島の沿岸や対岸の熊本・天草を襲い、双方に甚大な被害を与えた。実に1万5000人もの人が犠牲になったこの大災害は、「島原大変・肥後迷惑」という言葉で語り継がれている。
島原半島は時に戦乱の舞台にもなった。江戸時代初期の1637年、領主の圧政やキリシタン弾圧に苦しむ島原藩と唐津藩・天草領の領民が一斉蜂起し、幕府軍12万人とおよそ80日間戦い続けた。その結果、内通者一人を残して3万人以上が殺される、という事件が起きた(「島原天草一揆」)。この大事件をきっかけに、徳川幕府は鎖国政策を強化し、和親条約が調印された1854年までの200年以上に渡って、日本は国際社会から孤立することとなった。この歴史的大事件の最終激戦地が、島原半島内にある原城跡である。
このように、島原半島は繰り返す雲仙火山の噴火災害を経験し、時には歴史的な大事件が起きた場所である。にもかかわらず、島原半島にはおよそ4万年前から人が住み続けている。なぜ人は島原半島に住み続けるのか。その理由を、現地での学習・体験を通じて生徒に考えてもらうのが、島原半島ジオパークで展開する「ジオパーク的教育旅行」の切り口である。
3.島原半島世界ジオパークで出来ること~事前学習と現地での学習~
理科の教科書を開けば、そこには雲仙普賢岳噴火の写真が載っている。日本史の教科書を開けば、「島原天草一揆」にまつわる出来事が記載されている。よって島原半島に来れば、教科書に書かれたこれらの事柄の”ホンモノ”に触れることができる。
現地での学習を効果的に行う上で、事前学習は必要不可欠である。事前学習の例として、インターネット等を活用し、異例の長期災害となった雲仙普賢岳の噴火災害や、未曽有の大災害となった「島原大変」の経緯を調べておくことをお勧めする。また「島原天草一揆」については、一揆が起きるに至った経緯やその顛末、一揆軍を鎮圧した後の徳川幕府の政策とその後の日本の社会構造の変化を調べておくとよいだろう。
現地では、雲仙普賢岳噴火の災害とその伝承を目的とした施設「がまだすドーム」や、被災当時のまま保存された複数の災害遺構の見学を通じて、災害当時の様子を学ぶことができる。「島原大変」については、「がまだすドーム」の展示や、かつての海岸線をたどるまち歩きを通じて、大災害と現在の人々の暮らしとの関わりを学ぶことができる。「島原天草一揆」については、原城跡での発掘調査の際に出土した一揆軍の装飾品や鉄砲の弾といった本物の試料が「有馬キリシタン遺産記念館」に展示され、誰もが閲覧できる。特に原城跡については、歴史的な大事件の舞台となった城跡が、約9万年前に阿蘇山が起こした巨大噴火の火砕流によってできた高台を利用したものであることも、地層の観察を通じて学ぶことができる。
4.現地の受け入れ体制~事後のまとめ
「島原半島観光連盟」は、農作物の収穫や郷土料理の製作等、およそ60の体験プログラムを用意し、教育旅行の受け入れを行っている。「南島原ひまわり観光協会」では、農林漁業体験民泊も受付けている。これらの仕組みを活用し、島原半島に暮らす人々の生活を体験すれば、生徒は活火山・雲仙が地域の人にあらゆる恩恵をもたらし、人々の暮らしを支える大きな存在であることを実感する。これが、人々が島原半島に暮らし続ける理由の一つであることを理解するのは、さほど難しくはないだろう。
「なぜ人は島原半島に住み続けるのか」という問いかけは、「なぜ人は日本列島に住み続けるのか」という問いかけにつながる。自然災害が多発する国に千年以上前から人が住み続け、この狭い国の中で独自の文化を創造してきている事は、きわめてユニークである。これに気付くことが、教育旅行のまとめの一つの目的である。
島原半島ジオパークには、地球と人との関わりを、実体験を踏まえて説明できる認定ジオガイドが26名いる。ぜひ島原半島ジオパークを訪れ、火山噴火に対峙し、火山と共に暮らし続けている人々の生きざまを全身で感じてほしい。
島原半島ジオパークは、「活火山との共生」をテーマとした世界ジオパークである。国内には、洞爺湖有珠山、磐梯山、箱根、伊豆大島、阿蘇、霧島、桜島・錦江湾など、「活火山との共生」が体感できるジオパークが複数存在するが、それらの中で島原半島ジオパークはどのように教育旅行の場として活用できるのか。その具体例を紹介したい。
2.なぜ人は島原半島に住み続けるのかを考える
1991年6月3日午後4時8分、それまでにない規模の火砕流が雲仙普賢岳で発生した。この火砕流に伴う熱風により、火山学者を含む43名が犠牲になった。今から223年前の1792年5月21日夜8時過ぎ、城下町・島原のわきにそびえる眉山が、火山活動に伴う強い地震によって大崩壊を起こした。崩壊土砂は町を埋め立てただけでなく、海に突っ込んで津波を発生させた。この津波は島原半島の沿岸や対岸の熊本・天草を襲い、双方に甚大な被害を与えた。実に1万5000人もの人が犠牲になったこの大災害は、「島原大変・肥後迷惑」という言葉で語り継がれている。
島原半島は時に戦乱の舞台にもなった。江戸時代初期の1637年、領主の圧政やキリシタン弾圧に苦しむ島原藩と唐津藩・天草領の領民が一斉蜂起し、幕府軍12万人とおよそ80日間戦い続けた。その結果、内通者一人を残して3万人以上が殺される、という事件が起きた(「島原天草一揆」)。この大事件をきっかけに、徳川幕府は鎖国政策を強化し、和親条約が調印された1854年までの200年以上に渡って、日本は国際社会から孤立することとなった。この歴史的大事件の最終激戦地が、島原半島内にある原城跡である。
このように、島原半島は繰り返す雲仙火山の噴火災害を経験し、時には歴史的な大事件が起きた場所である。にもかかわらず、島原半島にはおよそ4万年前から人が住み続けている。なぜ人は島原半島に住み続けるのか。その理由を、現地での学習・体験を通じて生徒に考えてもらうのが、島原半島ジオパークで展開する「ジオパーク的教育旅行」の切り口である。
3.島原半島世界ジオパークで出来ること~事前学習と現地での学習~
理科の教科書を開けば、そこには雲仙普賢岳噴火の写真が載っている。日本史の教科書を開けば、「島原天草一揆」にまつわる出来事が記載されている。よって島原半島に来れば、教科書に書かれたこれらの事柄の”ホンモノ”に触れることができる。
現地での学習を効果的に行う上で、事前学習は必要不可欠である。事前学習の例として、インターネット等を活用し、異例の長期災害となった雲仙普賢岳の噴火災害や、未曽有の大災害となった「島原大変」の経緯を調べておくことをお勧めする。また「島原天草一揆」については、一揆が起きるに至った経緯やその顛末、一揆軍を鎮圧した後の徳川幕府の政策とその後の日本の社会構造の変化を調べておくとよいだろう。
現地では、雲仙普賢岳噴火の災害とその伝承を目的とした施設「がまだすドーム」や、被災当時のまま保存された複数の災害遺構の見学を通じて、災害当時の様子を学ぶことができる。「島原大変」については、「がまだすドーム」の展示や、かつての海岸線をたどるまち歩きを通じて、大災害と現在の人々の暮らしとの関わりを学ぶことができる。「島原天草一揆」については、原城跡での発掘調査の際に出土した一揆軍の装飾品や鉄砲の弾といった本物の試料が「有馬キリシタン遺産記念館」に展示され、誰もが閲覧できる。特に原城跡については、歴史的な大事件の舞台となった城跡が、約9万年前に阿蘇山が起こした巨大噴火の火砕流によってできた高台を利用したものであることも、地層の観察を通じて学ぶことができる。
4.現地の受け入れ体制~事後のまとめ
「島原半島観光連盟」は、農作物の収穫や郷土料理の製作等、およそ60の体験プログラムを用意し、教育旅行の受け入れを行っている。「南島原ひまわり観光協会」では、農林漁業体験民泊も受付けている。これらの仕組みを活用し、島原半島に暮らす人々の生活を体験すれば、生徒は活火山・雲仙が地域の人にあらゆる恩恵をもたらし、人々の暮らしを支える大きな存在であることを実感する。これが、人々が島原半島に暮らし続ける理由の一つであることを理解するのは、さほど難しくはないだろう。
「なぜ人は島原半島に住み続けるのか」という問いかけは、「なぜ人は日本列島に住み続けるのか」という問いかけにつながる。自然災害が多発する国に千年以上前から人が住み続け、この狭い国の中で独自の文化を創造してきている事は、きわめてユニークである。これに気付くことが、教育旅行のまとめの一つの目的である。
島原半島ジオパークには、地球と人との関わりを、実体験を踏まえて説明できる認定ジオガイドが26名いる。ぜひ島原半島ジオパークを訪れ、火山噴火に対峙し、火山と共に暮らし続けている人々の生きざまを全身で感じてほしい。