日本地球惑星科学連合2015年大会

講演情報

口頭発表

セッション記号 S (固体地球科学) » S-SS 地震学

[S-SS32] 地震活動

2015年5月26日(火) 16:15 〜 18:00 A04 (アパホテル&リゾート 東京ベイ幕張)

コンビーナ:*林 能成(関西大学社会安全学部)、座長:千葉 慶太(防災科学技術研究所)、中野 優(独立行政法人海洋研究開発機構)

17:00 〜 17:15

[SSS32-10] 1596年豊後地震により誘発された大分県杵築市,別府市,湯布院町での地滑り

*中西 一郎1 (1.京都大学大学院理学研究科地球物理学教室)

キーワード:1596年慶長豊後地震, 強震動, 地滑り, 津波, 松井家文書, 細川忠興自筆書状

1596年慶長豊後地震に関するほとんどの研究は別府湾沿岸域で発生した津波のみを扱っている.史料収集と断層モデルに基づく津波高の計算も湾内と湾口に限られている.この地震が津波だけでなく,豊後国(大分県の旧名)内陸部で強震動を発生したことはよく知られている.東京大学地震研究所によって行われたこの地震に関する地震史料の収集は高崎山の地滑りや柞原八幡拝殿の倒潰が起きたことを示している.
本研究の目的は,この地震の発生直後に豊後国を支配した大名家文書中のこの地震に関する史料を収集し,地震に伴う諸現象,地震規模,震源域を推定することである.これら大名家は細川家,松井家,中川家,木下家,佐伯毛利家,久留島家,稲葉家であり,中川家は1594年に豊後に入った,細川家,松井家,稲葉家は1600年,木下家,佐伯毛利家,久留島家は1601年であった.松井家は細川家の家臣であり,大名家ではない.しかし,将軍および細川家は松井家に大名家格の地位を与えており,八代城(熊本)の城主であった.
松井家文書(八代市立博物館松井文庫所蔵)中に地震史料2点を見出した.ここではその内の1点について報告する.それは慶長6年4月22日(和暦)(1601)(鳥津,私信,2014)の細川忠興自筆松井康之宛書状であり,地震発生後約5年後に書かれた.忠興によると速見郡(現在の杵築市,別府市,湯布院町)の知行石高は6万石であった.忠興は康之に地震被害分約5千5百石を差し引きその割合で年貢高を決めるようにと指示している.書状中には地震発生日についての言及はない.この書状に書かれた地震は1596年豊後地震であると仮定する.
豊後国速見郡・由布院知行方目録(慶長5年2月7日)(1600)(松井家文書)を用いて慶長豊後地震による破壊的地滑りの被害を受けた村の特定を行った.村名を書く.高須(杵築市片野),八代(日出町真那井八代),辻間(日出町豊岡),浜脇,立石,鶴見,仏山寺,馬場,八川,若宮八幡社,興禅院,ここで旧地名(現地名)と略してある.海岸近くの地滑りは別府湾に入り,津波を発生する.

謝辞:史料収集等において,京都大学法学部図書室,八代市立博物館,熊本大学附属図書館,熊本県立図書館,杵築市立図書館,日出町立萬里図書館,大分県立図書館から協力を受けた.