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[HQR23-09] 佐渡島大佐渡西岸北部における海成段丘を横断する河川群の河床縦断形
キーワード:河川遷急点, 隆起, 岩石海岸, 海岸侵食, 数値標高モデル, 更新世
佐渡島北部を構成する大佐渡には海成段丘群が分布しており,これらは佐渡島の隆起を示す地形的証拠である.大佐渡西岸の北部地域では,海洋酸素同位体ステージ(MIS)5eに対比される海成段丘が連続的に分布する(汀線高度80-90 m).さらにMIS9,MIS11,MIS13に対比される海成段丘が分布し,完新世段丘の形成も認められる(太田,1964;田村,1979).また,これらの海成段丘を開析して河川網が発達している.これらの河川網は海成段丘を解体し,大佐渡の山地地形を形成している.そのため,それらの河川の河床縦断形の変化速度を明らかにすることは,隆起域における地形発達を動的に理解するための一助になると考えられる.本発表では大佐渡西岸の北部地域における流域面積1-5 km2の河川を対象とし,その河床縦断形の特徴を検討した結果を報告する.
研究対象地域は大佐渡西岸の北部地域であり,約10 kmの岩石海岸に沿って分布する海成段丘,およびそれらを開析する10本の河川群を研究対象とした.南から北へ向けて,泊川から大津川までの流域が調査範囲である.基盤岩は中生代の付加体および新第三紀の火山岩・堆積岩類からなり,いくつかの地質断層が認められる.調査地域の最大標高は約570 mであり,尾根には海成段丘由来と考えられる平坦面が残存する.高位の段丘面は年代不詳であるが,比較的連続性のよい4段の海成段丘はMIS 13,11,9,5eに対比されている(小池・町田編,2001).佐渡島には多くの地すべり地形が分布しているが,調査範囲内の地すべり地形は比較的小規模なものに限られる.また,調査範囲には活断層は報告されていない.河床縦断形は10 mメッシュ数値標高モデル(国土地理院)を使用して作成した.河床縦断形は直線的な形状を呈するものが多く,その河床勾配は10-1前後である.9本の河川では,河口から500 m以内に遷急点が認められ,遷急点から河口までの区間は急勾配(5×10-1前後)となっている.これらの遷急点はMIS 5eの海成段丘とともに形成されたものと考えられる.ただし,集水域面積が最大の大野川(5.6 km2)には河口付近に遷急点を認められない.調査地域の南側に位置する3本の河川(大ザレ川,真更川,浄蓮坊川)の中流部には遷急区間が形成されている.これらの遷急区間は地質断層付近に位置しており,その形成は破砕帯などの地質構造に由来している可能性がある.
MIS 5eの海成段丘と同時に形成されたと考えられる河川遷急点について,その移動速度を見積もった.これらの河川遷急点は後氷期の海水準上昇とそれに引き続く高海面期における海岸侵食によって,海食崖(段丘崖)とともに急速に後退したと考えられる.この時,河川遷急点は海食崖とほぼ同じ位置に形成されていた可能性が高い.また,それらの後退は完新世段丘の離水時には停止し,それ以降は斜面プロセスと河川の侵食によってゆるやかに地形変化が進行したと考えられる.海岸侵食が停止し,完新世段丘が離水するタイミングは海進の最盛期である.段丘崖よりも河川遷急点は内陸側に位置するため,遷急点の後退速度は段丘崖の後退速度よりも大きい.段丘崖と河川遷急点の距離は,河川遷急点の海進最盛期以降の後退距離と見なせる.ただし,これは段丘崖の後退を考慮していないために最小見積もりである.1:25,000地形図と数値標高モデルより,河川遷急点の後退距離は100-150 mと読み取ることができる.海進最盛期を7-8 kaとすると,遷急点の後退速度は12-21m/kyと見積もられる.これは三陸海岸北部における集水域面積が大きい(6-92 km2)河川における河川遷急点の後退速度(5 m/ky程度)に比べて大きい(大上,2015).これには基盤岩の強度の違いに加え,降水量や豪雨の頻度,河床縦断形の違い(河床勾配の大きさ)が関係していると予想される.また,調査範囲にMIS 5eよりも古い海成段丘と同時に形成されたと考えられる河川遷急点を認めることは難しい.MIS 5eの海進の際にも河川遷急点が形成されたとすると,それらの現在までの後退距離を単純に計算すると1.4-2.5 kmに達する.現在の河川遷急点が単純にその距離を後退した場合を考えると,遷急点前後の勾配差はほとんどなくなり,遷急点は消滅すると予想される.以上のことは,MIS 5eより古い海成段丘と同時に形成された河川遷急点が認められないことは,必ずしもそれらの時期に河川遷急点が形成されなかったこと意味しないことを示唆する.MIS 5e以前に河川遷急点が形成されていたとしてもそれらが現在までに消滅してしまった場合が考えられ,そのことは後氷期に形成された河川遷急点の後退速度によって説明できる可能性が高い.
研究対象地域は大佐渡西岸の北部地域であり,約10 kmの岩石海岸に沿って分布する海成段丘,およびそれらを開析する10本の河川群を研究対象とした.南から北へ向けて,泊川から大津川までの流域が調査範囲である.基盤岩は中生代の付加体および新第三紀の火山岩・堆積岩類からなり,いくつかの地質断層が認められる.調査地域の最大標高は約570 mであり,尾根には海成段丘由来と考えられる平坦面が残存する.高位の段丘面は年代不詳であるが,比較的連続性のよい4段の海成段丘はMIS 13,11,9,5eに対比されている(小池・町田編,2001).佐渡島には多くの地すべり地形が分布しているが,調査範囲内の地すべり地形は比較的小規模なものに限られる.また,調査範囲には活断層は報告されていない.河床縦断形は10 mメッシュ数値標高モデル(国土地理院)を使用して作成した.河床縦断形は直線的な形状を呈するものが多く,その河床勾配は10-1前後である.9本の河川では,河口から500 m以内に遷急点が認められ,遷急点から河口までの区間は急勾配(5×10-1前後)となっている.これらの遷急点はMIS 5eの海成段丘とともに形成されたものと考えられる.ただし,集水域面積が最大の大野川(5.6 km2)には河口付近に遷急点を認められない.調査地域の南側に位置する3本の河川(大ザレ川,真更川,浄蓮坊川)の中流部には遷急区間が形成されている.これらの遷急区間は地質断層付近に位置しており,その形成は破砕帯などの地質構造に由来している可能性がある.
MIS 5eの海成段丘と同時に形成されたと考えられる河川遷急点について,その移動速度を見積もった.これらの河川遷急点は後氷期の海水準上昇とそれに引き続く高海面期における海岸侵食によって,海食崖(段丘崖)とともに急速に後退したと考えられる.この時,河川遷急点は海食崖とほぼ同じ位置に形成されていた可能性が高い.また,それらの後退は完新世段丘の離水時には停止し,それ以降は斜面プロセスと河川の侵食によってゆるやかに地形変化が進行したと考えられる.海岸侵食が停止し,完新世段丘が離水するタイミングは海進の最盛期である.段丘崖よりも河川遷急点は内陸側に位置するため,遷急点の後退速度は段丘崖の後退速度よりも大きい.段丘崖と河川遷急点の距離は,河川遷急点の海進最盛期以降の後退距離と見なせる.ただし,これは段丘崖の後退を考慮していないために最小見積もりである.1:25,000地形図と数値標高モデルより,河川遷急点の後退距離は100-150 mと読み取ることができる.海進最盛期を7-8 kaとすると,遷急点の後退速度は12-21m/kyと見積もられる.これは三陸海岸北部における集水域面積が大きい(6-92 km2)河川における河川遷急点の後退速度(5 m/ky程度)に比べて大きい(大上,2015).これには基盤岩の強度の違いに加え,降水量や豪雨の頻度,河床縦断形の違い(河床勾配の大きさ)が関係していると予想される.また,調査範囲にMIS 5eよりも古い海成段丘と同時に形成されたと考えられる河川遷急点を認めることは難しい.MIS 5eの海進の際にも河川遷急点が形成されたとすると,それらの現在までの後退距離を単純に計算すると1.4-2.5 kmに達する.現在の河川遷急点が単純にその距離を後退した場合を考えると,遷急点前後の勾配差はほとんどなくなり,遷急点は消滅すると予想される.以上のことは,MIS 5eより古い海成段丘と同時に形成された河川遷急点が認められないことは,必ずしもそれらの時期に河川遷急点が形成されなかったこと意味しないことを示唆する.MIS 5e以前に河川遷急点が形成されていたとしてもそれらが現在までに消滅してしまった場合が考えられ,そのことは後氷期に形成された河川遷急点の後退速度によって説明できる可能性が高い.