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[MZZ45-09] 拡大された地球科学概念からトランス・サイエンスまで―島津康男教授と1970年代科学史―
キーワード:社会地球科学, 環境制御, トランス・サイエンス, 島津康男, 1970年代地学史
1976年6月、名古屋大学地球科学科島津康男研究室の学生が、愛知県北部、矢作川上流の山村に住み込み「環境の現場監督」と称する実践的研究を開始した。それまでコンピュータを駆使して境界領域の開拓を行っていた教室の研究方針の転換に、周囲から先生は乱心したとうわさされた。だが背景には「ぬいめのない地球科学 SMLES: Seamless Earth Science」の建設という独特の研究指針がありこの実践もその展開過程の一帰結に他ならなかった。その後このフィールド作業の試みは、一方ではコンピュータ・シミュレーションと合わせて環境アセスメントの体系へと発展し、他方では日本だけでなく世界各地域における「アセス助っ人」としての実践に結実してゆく。
理学部的な発想からみれば特異ともいえる島津の地球科学思想は、ポスト 3. 11 の現在、あらためてふりかえる価値のあるものと考えられる。本報告では「社会地球科学」の提唱がなされた著作『地球を設計する』 (島津 1970) の内容を分析することから1970年代の島津の研究と実践を展望し教育史の側面をふくめた科学史記述の課題を提示したい。
『地球を設計する』は、地球を物質が循環するシステムとみなし、そこで自然環境がどのようにつくられてきたかシミュレーションの手法で研究することができることから、エネルギー流通を制御し将来の地球環境をつくり出すことができるのだと主張する。その契機は明らかに1960年代後半に社会問題化した公害・環境破壊があった。ここに自然システムに加えて「人類システム」をどのように評価してシミュレーションに組み込むかという課題が明らかになり、生態学だけでなく経済学が考慮される必要が出てくる(3E (earth science-ecology-economy) アプローチ)(島津 1983)。
本書で注目すべきなのは、科学者の主体にかかわる科学技術観が披露されていることである。島津によれば「科学技術」は基礎科学と応用科学が一体化しつつあり、その規模の大きさや予算額から社会の要求を無視して進めることはできない。そして「社会の要求が人類活動自身から出てきたものか、政府または企業を通じて出てきたのかは、重大な問題と考える。現状において、後の二者が前者の忠実な代弁者である保障はないからである。そこで、研究者のサイドから積極的に社会の要求に応える必要がある。」(島津 1970: 178-9) こうした科学する者の主体のあり方とともに科学のあり方を省察する契機は、よりラディカルには柴谷 (1973/1998) によって試みられ、アメリカのオークリッジ研究所長ワインバーグの提案する「トランス・サイエンス trans science」を「超科学」と訳して紹介した(Cf. Weinberg 1972)。のちに島津は、社会と科学の接点に教育の原則があり自らの試みがトランス・サイエンスであったという認識を示している。
実際、列島改造論のアンチテーゼの意味を持った『国土科学』では、「システム構造の変革」が言及され、開発にかかわる国土保全のための住民参加について、市町村の小さな単位での住民による監視、対応する計画のすべての段階での内容の公表、地域利害の衝突の自主解決が提案されている (島津 1974)。提案するだけでなく、研究主体を現地に関与させ、住民参加のいわば触媒と事業者とのあいだの「通訳」の役を果たさせるという実験が「環境の現場監督」の実践であった (島津 1983: 53-123) 。そしてこの試みの背景には、一方で、国際学術連合 (ICSU) 下の NGO、環境科学委員会 (SCOPE) の執行委員として世界最初の環境アセスメント・マニュアルの作成に携わっていたということがあったのである。
文献
柴谷篤弘 1973/1998: 反科学論――ひとつの知識・ひとつの学問をめざして, 筑摩書房; 島津康男 1970: 地球を設計する――社会地球科学の提唱, 科学情報社, 大阪; 島津康男 1974: 国土科学, 日本放送出版協会; 島津康男 1983: 国土学への道――資源・環境・災害の地域科学, 名古屋大学出版会, 名古屋; Weinberg, A. M. 1972: Science and trans-science, Minerva 10 (2), 209-222.
理学部的な発想からみれば特異ともいえる島津の地球科学思想は、ポスト 3. 11 の現在、あらためてふりかえる価値のあるものと考えられる。本報告では「社会地球科学」の提唱がなされた著作『地球を設計する』 (島津 1970) の内容を分析することから1970年代の島津の研究と実践を展望し教育史の側面をふくめた科学史記述の課題を提示したい。
『地球を設計する』は、地球を物質が循環するシステムとみなし、そこで自然環境がどのようにつくられてきたかシミュレーションの手法で研究することができることから、エネルギー流通を制御し将来の地球環境をつくり出すことができるのだと主張する。その契機は明らかに1960年代後半に社会問題化した公害・環境破壊があった。ここに自然システムに加えて「人類システム」をどのように評価してシミュレーションに組み込むかという課題が明らかになり、生態学だけでなく経済学が考慮される必要が出てくる(3E (earth science-ecology-economy) アプローチ)(島津 1983)。
本書で注目すべきなのは、科学者の主体にかかわる科学技術観が披露されていることである。島津によれば「科学技術」は基礎科学と応用科学が一体化しつつあり、その規模の大きさや予算額から社会の要求を無視して進めることはできない。そして「社会の要求が人類活動自身から出てきたものか、政府または企業を通じて出てきたのかは、重大な問題と考える。現状において、後の二者が前者の忠実な代弁者である保障はないからである。そこで、研究者のサイドから積極的に社会の要求に応える必要がある。」(島津 1970: 178-9) こうした科学する者の主体のあり方とともに科学のあり方を省察する契機は、よりラディカルには柴谷 (1973/1998) によって試みられ、アメリカのオークリッジ研究所長ワインバーグの提案する「トランス・サイエンス trans science」を「超科学」と訳して紹介した(Cf. Weinberg 1972)。のちに島津は、社会と科学の接点に教育の原則があり自らの試みがトランス・サイエンスであったという認識を示している。
実際、列島改造論のアンチテーゼの意味を持った『国土科学』では、「システム構造の変革」が言及され、開発にかかわる国土保全のための住民参加について、市町村の小さな単位での住民による監視、対応する計画のすべての段階での内容の公表、地域利害の衝突の自主解決が提案されている (島津 1974)。提案するだけでなく、研究主体を現地に関与させ、住民参加のいわば触媒と事業者とのあいだの「通訳」の役を果たさせるという実験が「環境の現場監督」の実践であった (島津 1983: 53-123) 。そしてこの試みの背景には、一方で、国際学術連合 (ICSU) 下の NGO、環境科学委員会 (SCOPE) の執行委員として世界最初の環境アセスメント・マニュアルの作成に携わっていたということがあったのである。
文献
柴谷篤弘 1973/1998: 反科学論――ひとつの知識・ひとつの学問をめざして, 筑摩書房; 島津康男 1970: 地球を設計する――社会地球科学の提唱, 科学情報社, 大阪; 島津康男 1974: 国土科学, 日本放送出版協会; 島津康男 1983: 国土学への道――資源・環境・災害の地域科学, 名古屋大学出版会, 名古屋; Weinberg, A. M. 1972: Science and trans-science, Minerva 10 (2), 209-222.