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[MIS11-02] 津波堆積物調査にもとづき推定された岩手県沿岸における過去4,000年間の津波イベント年代
キーワード:津波堆積物、イベント年代対比、歴史津波、貞観津波、慶長奥州(三陸)津波、岩手県
はじめに
岩手県では、津波新法に基づく今後の津波浸水想定にむけて、過去に岩手県沿岸を襲った津波の履歴や来襲状況を把握するための津波痕跡調査を平成25年~平成27年にかけて実施した。この中で行った津波堆積物調査および既往調査の14C年代データにもとづき、岩手県沿岸における過去4,000年間の津波イベント年代を整理した。本稿では、整理した津波イベント年代をもとに、岩手県沿岸における歴史津波や過去の巨大津波の発生時期および頻度とその広がりについて考察した。なお、本検討にあたっては、平川(2012, 2013)の調査オリジナルデータを使用させていただいた。
岩手県沿岸の歴史津波に関する考察
1611年慶長奥州(三陸)津波(以下、1611年慶長津波)に相当するイベントは、岩手県沿岸の北部(洋野・野田)、中部(田老海岸・船越湾)で認められ、対比は不明確であるが南部(広田半島)にもこれに相当する年代を示すイベントが存在する。このイベントの14C年代は、中世~近世にまたがる幅を持つため、東北地方太平洋岸に津波をもたらした可能性があるとされる1454年享徳地震に対比される可能性もある。しかし、多くの場所で、①この期間には1つのイベントしか認められないこと、②1611年慶長津波は古文書等に記録されており大津波が岩手県沿岸を襲ったことは明確であることから、1611年慶長津波に対比される可能性が高いと推定した。
869年貞観津波に相当するイベントは、岩手県沿岸の北部(洋野、野田)、中部(田老海岸・船越湾・越喜来)、南部(広田半島)で認められ、岩手県沿岸全域に対比される。このうち、野田低地および広田半島では、イベント層の直上に十和田a火山灰(To-a:AD915年)や白頭山苫小牧火山灰(B-Tm:10世紀)が分布しており、仙台平野などにおける貞観津波の堆積物と共通する層位にあることが確認された。
岩手県沿岸で広く対比されるイベントに関する考察
北部~中部では、AD1611年、AD869年、2~3世紀頃、2.3ka、2.8ka、3.3ka、3.8kaのイベントが広く対比される。一方で、中部~南部で広く対比されるのは、AD1611年、AD869年、(2~3世紀頃)、2.5ka、3.0ka、3.5kaのイベントである。これらのイベント年代の間隔はいずれも500~750年程度であるが、北部~中部と中部~南部とでは、2,000年前~4,000年前のイベント年代にずれがみられる。船越湾付近では、南北双方のイベントが重複しており、イベントの広がりの境界部となっている可能性がある。
このように広く同時性が見られるイベントのほかに、対比される範囲が限定的あるいは周辺地域とは対比されないイベントが存在する。これらが、津波による浸水が局所的であったことを意味するなら、ひとまわり規模が小さい津波や岩手県の沖合以外に波源がある津波(例えば三陸沖北部や千島海溝沖)、または地震以外のローカルな要因(海底地すべりなど)によるものであることを示す可能性がある。
なお、4,000年前より以前のイベントは、年代値のばらつきが大きく、個々のイベントの対比は不明である。
隣県で報告されているイベントとの関係
歴史津波との対応をみると、9~10世紀頃のイベントは、北海道~福島県北部沿岸のすべての地域で認められる。これは、東北地方沿岸では869年貞観津波と考えられているものである。また、中世~近世(17世紀頃)のイベントも北海道~宮城県沿岸にかけて広く認められる。これは、北海道沿岸では17世紀の津波とされているものであり、岩手県沿岸や宮城県(仙台平野)では、1611年慶長津波に対応するものと考えられる。
青森県沿岸のデータが限られているため、北海道沿岸と東北太平洋岸(岩手県沿岸)のイベントを直接対応付けることはできないが、過去4,000年間には500~700年程度の間隔でほぼ同年代に対比されるイベントが存在する。
本検討で示したイベント年代の対比にはまだまだ議論の余地がある。千島海溝~日本海溝沿いで発生する巨大地震の解明には、各機関が行っている調査・観測を踏まえた広域的な検討が必要である。
岩手県では、津波新法に基づく今後の津波浸水想定にむけて、過去に岩手県沿岸を襲った津波の履歴や来襲状況を把握するための津波痕跡調査を平成25年~平成27年にかけて実施した。この中で行った津波堆積物調査および既往調査の14C年代データにもとづき、岩手県沿岸における過去4,000年間の津波イベント年代を整理した。本稿では、整理した津波イベント年代をもとに、岩手県沿岸における歴史津波や過去の巨大津波の発生時期および頻度とその広がりについて考察した。なお、本検討にあたっては、平川(2012, 2013)の調査オリジナルデータを使用させていただいた。
岩手県沿岸の歴史津波に関する考察
1611年慶長奥州(三陸)津波(以下、1611年慶長津波)に相当するイベントは、岩手県沿岸の北部(洋野・野田)、中部(田老海岸・船越湾)で認められ、対比は不明確であるが南部(広田半島)にもこれに相当する年代を示すイベントが存在する。このイベントの14C年代は、中世~近世にまたがる幅を持つため、東北地方太平洋岸に津波をもたらした可能性があるとされる1454年享徳地震に対比される可能性もある。しかし、多くの場所で、①この期間には1つのイベントしか認められないこと、②1611年慶長津波は古文書等に記録されており大津波が岩手県沿岸を襲ったことは明確であることから、1611年慶長津波に対比される可能性が高いと推定した。
869年貞観津波に相当するイベントは、岩手県沿岸の北部(洋野、野田)、中部(田老海岸・船越湾・越喜来)、南部(広田半島)で認められ、岩手県沿岸全域に対比される。このうち、野田低地および広田半島では、イベント層の直上に十和田a火山灰(To-a:AD915年)や白頭山苫小牧火山灰(B-Tm:10世紀)が分布しており、仙台平野などにおける貞観津波の堆積物と共通する層位にあることが確認された。
岩手県沿岸で広く対比されるイベントに関する考察
北部~中部では、AD1611年、AD869年、2~3世紀頃、2.3ka、2.8ka、3.3ka、3.8kaのイベントが広く対比される。一方で、中部~南部で広く対比されるのは、AD1611年、AD869年、(2~3世紀頃)、2.5ka、3.0ka、3.5kaのイベントである。これらのイベント年代の間隔はいずれも500~750年程度であるが、北部~中部と中部~南部とでは、2,000年前~4,000年前のイベント年代にずれがみられる。船越湾付近では、南北双方のイベントが重複しており、イベントの広がりの境界部となっている可能性がある。
このように広く同時性が見られるイベントのほかに、対比される範囲が限定的あるいは周辺地域とは対比されないイベントが存在する。これらが、津波による浸水が局所的であったことを意味するなら、ひとまわり規模が小さい津波や岩手県の沖合以外に波源がある津波(例えば三陸沖北部や千島海溝沖)、または地震以外のローカルな要因(海底地すべりなど)によるものであることを示す可能性がある。
なお、4,000年前より以前のイベントは、年代値のばらつきが大きく、個々のイベントの対比は不明である。
隣県で報告されているイベントとの関係
歴史津波との対応をみると、9~10世紀頃のイベントは、北海道~福島県北部沿岸のすべての地域で認められる。これは、東北地方沿岸では869年貞観津波と考えられているものである。また、中世~近世(17世紀頃)のイベントも北海道~宮城県沿岸にかけて広く認められる。これは、北海道沿岸では17世紀の津波とされているものであり、岩手県沿岸や宮城県(仙台平野)では、1611年慶長津波に対応するものと考えられる。
青森県沿岸のデータが限られているため、北海道沿岸と東北太平洋岸(岩手県沿岸)のイベントを直接対応付けることはできないが、過去4,000年間には500~700年程度の間隔でほぼ同年代に対比されるイベントが存在する。
本検討で示したイベント年代の対比にはまだまだ議論の余地がある。千島海溝~日本海溝沿いで発生する巨大地震の解明には、各機関が行っている調査・観測を踏まえた広域的な検討が必要である。