10:45 〜 11:00
[MZZ32-01] 京都伏見の二つの観望記録からみる夜空への意識の変容
キーワード:天文学史、望遠鏡、科学観
1770年9月17日,日本全国で低緯度オーロラが観測され、その記録は全国に残されてい る。京都の伏見にある伏見稲荷社(現伏見稲荷大社)の御殿預を務めた東羽倉家の日記にもこの日のオーロラの様子が克明に記されており、「赤気」「白気」といった表現が使われている。1770年のオーロラの記述には様々なものがあるが、多くの記述から、天変地異に対する近世人の「恐れ」が「畏怖」といった呪術的な意識を読み取ることができる。
同じく伏見の地で1793年8月26日 に日本初の天体観望会が行われており,主催した橘南谿と関わりをもつ知識人層が参加している.当時の夜空に対する科学的な理解やそれをもとにして「楽しみ」の対象として扱った様子が見て取れる.
二つの観望の記録はいずれも当時の知識人層による記録であり,その当時の夜空に対する認識が伺える.一方が夜空を呪術的観点に結び付ける一方で,もう一方は望遠鏡という科学機器を使って娯楽の対象として扱うなど,間の20年間で非常に大きな意識の差があり,科学的理解の進展を含む様々な要因が考えられる.
本講演では伏見の立地条件や日本での望遠鏡の変遷なども交えつつ,夜空に対する理解の変化がどのような背景で進んでいたかと論じる.
同じく伏見の地で1793年8月26日 に日本初の天体観望会が行われており,主催した橘南谿と関わりをもつ知識人層が参加している.当時の夜空に対する科学的な理解やそれをもとにして「楽しみ」の対象として扱った様子が見て取れる.
二つの観望の記録はいずれも当時の知識人層による記録であり,その当時の夜空に対する認識が伺える.一方が夜空を呪術的観点に結び付ける一方で,もう一方は望遠鏡という科学機器を使って娯楽の対象として扱うなど,間の20年間で非常に大きな意識の差があり,科学的理解の進展を含む様々な要因が考えられる.
本講演では伏見の立地条件や日本での望遠鏡の変遷なども交えつつ,夜空に対する理解の変化がどのような背景で進んでいたかと論じる.