日本地球惑星科学連合2016年大会

講演情報

ポスター発表

セッション記号 M (領域外・複数領域) » M-ZZ その他

[M-ZZ32] 地球科学の科学史・科学哲学・科学技術社会論

2016年5月22日(日) 17:15 〜 18:30 ポスター会場 (国際展示場 6ホール)

コンビーナ:*矢島 道子(日本大学文理学部)、青木 滋之(会津大学文化研究センター)、山田 俊弘(千葉県立船橋高等学校)、吉田 茂生(九州大学大学院理学研究院地球惑星科学部門)

17:15 〜 18:30

[MZZ32-P01] 「縫い目のない地球科学」としての市民研究

*林 能成1 (1.関西大学社会安全学部)

キーワード:学際研究、環境、市民研究

島津康男博士はダイナモ理論の地球物理学から研究者としてのキャリアをスタートさせたが、その後、地球内部物理学、環境学、地域科学とその対象を次々と変化させていったことで知られている。また、各時代の研究コンセプトを3E(Earth science, Ecology, Economy)や3A(Assesment science, Action science, Appropriate science)といったシンプルなキャッチフレーズで表現し、進むべき方向性を学生らに明示していた。中でもSMLES(Seamless Earth Science=縫い目のない地球科学)は多くの若手研究者によって熱狂的に支持された。島津が1966年にSMLESを提言してから半世紀以上が経過した現在においても、島津の弟子、孫弟子らによってこのコンセプトは使われ続けており、全く色あせていない。
島津は1953年に26歳で名古屋大学理学部地球科学科に助教授として着任してから、1990年に63歳で教授職を定年退職するまで職場を変えることはなかった。それゆえ島津の研究対象は変わっても、弟子の多くは理学部で地球科学の教育を受けたものが多い。それゆえSMLESとは地球に関係する科学の中につくられて固定化された、地質学、地球物理学、地球化学といった学問の壁や、岩石学、地震学、火山学、海洋学、気象学といった対象についての垣根を超えるものと理解される場合が多い。これらの縫い目はもちろん大きな壁であり、多くの大学では「学科」や「講座」を通じて固定化・再生産される仕組みを持っていたため、大学で働く専門研究者にとっては最も意識される「縫い目」であったことは間違いない。
しかし島津の提唱した「SMLES」とは、専門分野間の「縫い目」だけを問題にしたものであったのだろうか?今回、注目したのは、トヨタ財団が1979年にはじめた「市民研究コンクール”身近な環境をみつめよう”」における島津の取り組みである。このコンクールは市民がチームを作り身近な環境についての研究を行い、その成果をコンペ形式で競うものであった。各市民チームが研究を進める過程では審査員が現地に入ってアドバイスをしており、ある意味で審査員の「えこひいき」が推奨された特別な研究費である。公的資金ではない、民間の財団が運営していることを最大限に活かした制度設計がなされていたことが特徴と言える。島津は1983年に公募された第3回および1985年に公募された第4回の2回で審査員を勤めている。特に第4回コンクールに応募された「オホーツク海沿岸の流氷と人間生活のかかわりに閲する研究」の現地審査員を勤め、その活動を強力にサポートしている様は「島津奔る」に詳しい。
島津はその後、1988年から1990年にかけて実施された「総括評価プロジェクト」の第1年度の評価者も務めている。この評価はそれまでに実施された5回の市民研究の申請書、計画書、報告書、インタビュー記録の資料などを分析したもので、島津はその評価軸として「科学であり、かつプロの研究者の科学研究とは一味違うこと」を提案している。そして環境に関係する問題についての研究を「アカデミズムの科学」「サービス科学」「市民科学」の3つに分類した。ここでアカデミズムの科学とは、それぞれの分野の学会での評価上に成り立つ科学であり、その担い手は専門家・研究者と定義されている。これは通常の科学研究である。特徴的なのはサービス科学と市民科学の2つにある。サービス科学とは研究成果を一般社会に還元し、学会ではなく市民に評価を求める科学と定義し、その担い手は専門家・研究者としている。市民科学は市民によって行われる研究で環境の仕組みを自分たちで知ること、と定義し、その意義として問題解決の手段を知るのみならず、問題を発見することの楽しみがある(等身大の市民環境科学)ことを挙げている。そして市民研究コンクールを後二者を育成するための装置と位置付けて、この制度を高く評価している。
このように、市民が自分たちの身の回りの環境について当事者意識を持って研究することの重要性を島津は強調している。市民が等身大の環境研究を行うことは研究を専門家だけに委ねる体制からの変革を意味し、その結果、研究体制は専門家から市民までが参加する様々なスタイルが存在する「縫い目のない」ものになる。 島津研究室の大学院生が愛知県三河地方の矢作川上流域の山村に住み込む「環境の現場監督」は特に理学系では評価されていないが、これは島津による「サービス科学」を具体化したものと考えればわかりやすい。
環境アセスメントの現場では1990年代以降、市民の手による現場に密着した精緻なデータ(=市民研究の成果)によって事業者が定めた既定路線に変更をせまる事例が出始める。環境アセスメントに関する意志意思決定参加を日本に定着させる上で、この市民研究的なアプローチの充実が役立つものと島津は考えていたのではなかろうか?すなわち島津が提唱したSMLESは研究分野のみならず、研究体制にも及んでいたものと考えられる。
参考文献:
島津康男 1983: 国土学への道――資源・環境・災害の地域科学, 名古屋大学出版会.
島津康男 2010: 島津奔る(増補版).
末石冨太郎 1982: 環境学への道, 思考社.
萩原なつ子 2009: 市民力による知の創造と発展, 東新堂.