日本地球惑星科学連合2016年大会

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[O-02] 高校生によるポスター発表

2016年5月22日(日) 13:45 〜 15:15 ポスター会場 (国際展示場 6ホール)

コンビーナ:*原 辰彦(建築研究所国際地震工学センター)、久利 美和(東北大学災害科学国際研究所)、紺屋 恵子(海洋研究開発機構 地球環境変動領域)、成瀬 元(京都大学大学院理学研究科)、山田 耕(早稲田大学政治経済学術院)

13:45 〜 15:15

[O02-P73] 火星のクレーターカウントによるオリンポス山周辺の年代推定

*三木 碩己1中島 一成1谷沢 周子1秋田 慎平1小川 京一郎1 (1.神戸大学附属中等教育学校)

はじめに
本研究では、火星のクレーターカウントによってオリンポス山周辺の年代を調査することで、オリンポス山はいつごろ噴火したのか推定することを目的とする。現在、人類は直接火星へ行ったことはまだ無いため、今ある火星について得ることのできる情報では写真が重要である。
Hartmann 2005によると、月でのクレーターカウントによる年代測定法は、月の石を用いた年代測定と整合したことが分かっている。そのため、火星においても同様にクレーターカウントによって年代測定することができるものとして研究を行った。
本研究の原理は、Hartmannらが開発したクレーター年代学の考え方を用いており、地表形成年代が古ければ古いほど数多くの隕石がぶつかっているため、より多くのクレーターが存在するはずだというものである。
方法
米国月・惑星研究所のMap of Mars Reconnaissance Orbiter HiRISE images (http://global-data.mars.asu.edu/bin/hirise.pl) で公開されている火星の写真から、オリンポス山の周辺の地表の東西南北から一地点ずつ画像を選び、ダウンロードした。一地点の画像は印刷する際に西部、東部、南部は6分割、北部は10分割した画像となったが、地点ごとの詳しいデータを得るために、一地点全体ではなく、それぞれ分割された地表ごとで調査を行った。
写真の縮尺からクレーターの大きさを測定できるように透明のプラスチック板を用いてクレーター測定シートを制作した。
そのシートを用いてクレーターを直径500m、250m、125m、63m、32mと大きさごとに分けて、それぞれの地点で個数をカウントした。
その結果をグラフにプロットした。このグラフは、Hartmann 2005において得られた火星用Hartmannダイアグラムと言う両対数グラフで、横軸はクレーターサイズ、縦軸はクレーター密度である。このグラフにはあらかじめこの線ならばこの年代になるという線が描かれているため、プロットした結果が線に乗った場合、その線で表される年代が地表の年代とした。また、点が線に乗らなかった場合は、線と線の間の年代とした。

結果
結果を表にまとめると以下の通りになる。○内の数字は、写真を分割した番号である。

西部
① 1~10億年前② 1億年前
③ 1~10億年前④ 1~10億年前
⑤ 1億年前⑥ 1~10億年前

東部
① 1~10億年前② 1億年前
③ 10億年前④ 10億年前
⑤ 1億年前⑥ 1億年前

南部
① 10億年前② 10億年前
③ 1~10億年前④ 10億年前
⑤ 10億年前⑥ 1~10億年前

北部
① 40億年② 10億年
③ 10~30億年前④ 1000万~1億年前
⑤ 1~10億年前⑥ 10億年前
⑦ 1億年前⑧ 1~10億年前
⑨ 1~10億年前⑩ 1~10億年前

考察
はじめに、東部と南部、西部を比較した結果、東部と南部では10億年前の地表が見られたが、西部ではこれよりも新しい地表のみであり、10億年前の地表は一か所も見られなかったため、東部と南部はほぼ同時代にできたが、西部は最も新しくできた地表であると考えられる。
次に北部を見てみると、北部の中でもより北に位置する①~④と⑥と南に位置する⑤、⑦~⑩で年代が異なり、北側は古く、南側は新しい地表である。北部の地表の全体写真を詳しく見てみると、北側と南側の間で分け目のような線が入っており、その線の北はクレーターの多い古い地表であったが、南はクレーターの少ない新しい地表であった。
また、北側と南側をそれぞれ詳しく見てみると、北側では①と③は、ほかの方角の地形にも存在しないほど古い地形であり、②、⑥は共に10億年であった。その時代の地形は東部、南部にも多く見られたため、東部、南部と北部のこの地域はほぼ同じ年代に形成されたものであると考察した。しかし、北部の④地点のみが極端に新しい年代と推定された。南側の年代は、西部の年代と同じ年代に形成された地表であったため、これら2つの地域もまた、ほぼ同じ年代に形成されたと言える。
以上のことより、以下の2つのことが言える。1つ目は、10億年前に大規模な噴火がオリンポス山で起こり、その溶岩が全方向に流れたが、北部の一部分には流れなかった。2つ目は1~10億年前に小規模な噴火が起こり、その溶岩が北部の南側のみと西部に流れたと言うことである。そのため、北部で見られた北と南を分断している線は溶岩が流れた跡であると考えられる。
最後に1~10億年前の中には大きいクレーターの部分ではほぼ1億年の直線上に乗り、小さいクレーターの部分ではほぼ10億年前に乗ったものが見られた。この要因として、火山が噴火し、溶岩が流れた際に溶岩は小さいクレーターは覆い隠したが、大きいクレーターは溶岩で埋めきることができなかったため、クレーターの数のバランスが通常と異なるものになってしまったため、このような結果となったと考察した。