日本地球惑星科学連合2016年大会

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口頭発表

セッション記号 S (固体地球科学) » S-SS 地震学

[S-SS31] 活断層と古地震

2016年5月23日(月) 10:45 〜 12:15 国際会議室 (2F)

コンビーナ:*小荒井 衛(茨城大学理学部理学科地球環境科学コース)、近藤 久雄(産業技術総合研究所 活断層・火山研究部門)、安江 健一(日本原子力研究開発機構)、後藤 秀昭(広島大学大学院文学研究科)、座長:近藤 久雄(産業技術総合研究所 活断層・火山研究部門)、松浦 律子(公益財団法人地震予知総合研究振興会地震調査研究センター)

11:30 〜 11:45

[SSS31-10] 元禄地震と大正関東地震との違いについて

*松浦 律子1中村 操2 (1.公益財団法人地震予知総合研究振興会地震調査研究センター、2.株式会社防災情報サービス)

キーワード:元禄地震、大正関東地震、相模トラフ、伊豆の衝突、史料詳細分析

従来,1923年大正関東地震の震源域は,1703年元禄地震の震源域から,大津波の元となった東側の房総沖部分を除いた西側,つまり「大正地震は元禄地震の部分」と考えられてきた.Matsuda et al.(1978)だけは,西側でも震源域に違いがあると主張していたが,この説は今まで殆ど顧みられなった.しかし最近松田ほか(2013, 2015)は,相模湾の大磯や江の島での元禄地震による隆起量は,大正関東地震より小さいか,高々同等以下であることを示している.また,Sato et al.(2016)の解析では,元禄地震の震源域西端は,大正関東の震源域の西側のすべりの目玉に及んでいない.
既存の震度分布で元禄と大正とを比較しても,西日本での有感の程度が元禄地震は見劣りしている.これが本当であるか,我々が系統的に実施してきた近世の被害地震の検討と同じ手法で,公表済み史料の悉皆調査を元禄地震に対して行って,ゆれの強さ分布を再検討してみた.まだ江戸市中の旗本の細かい震度決定作業が未了ではあるが,広域での結果を図1に示す.元禄地震は,真夜中に発生したことを考慮しても,大正関東地震に比べて,明らかに京都・奈良・大阪など関西や西側遠地で震度が小さい.大正関東地震では多数のM7級の大余震が発生した.1924年丹沢地震のM7級のプレート内地震まであった.元禄地震では数日後の江戸の大火は記録されているが,大粒の余震で長く悩まされたとか,被害が重なったとか,という記録は残っていない.この違いの原因は何であろうか?
我々は,大正関東地震は,元禄地震の西半分のプレート境界地震と,衝突帯である神奈川県西部のプレート内地震部分とから構成されているが,元禄地震は外房から相模湾東部までのプレート境界地震であったため,と考える.大正関東地震で大阪日銀支店に積んであった千両箱が崩れたのは,プレート内地震部分から発生した強い短周期波が,西日本広域で体感震度を大きくしただけでなく,仮に地震が夜間であったとしても後で地震があったことが判る程度の痕跡を残す揺れとして大阪平野にも届いていた証左である.一方の元禄地震では,地震後の関心は江戸城石垣などの修復の手伝普請のための金策であり,大阪市中で地震による荷崩れを示す史料はおろか,有感の有様さえ判らない.奈良盆地では,揺れの継続時間は長かったが,さほど強くはなかったことから,普通のM8級のプレート境界地震の遠地でのゆれだったと推定される.
元禄地震と大正関東地震とは,従来考えられてきたような同タイプの大きさの違う地震ではない.したがって南関東での地震防災を考える上では,元禄地震での事象だけに対処していたのでは,十分ではないことに留意が必要である.「大正の西側のすべり目玉+元禄地震のすべり部分」が,既往の事象から考えられる相模トラフの最大地震ということになる.また,大正地震の再現には,西側のスラブ内的性質を考慮する必要がある.