日本地球惑星科学連合2016年大会

講演情報

口頭発表

セッション記号 S (固体地球科学) » S-SS 地震学

[S-SS31] 活断層と古地震

2016年5月23日(月) 10:45 〜 12:15 国際会議室 (2F)

コンビーナ:*小荒井 衛(茨城大学理学部理学科地球環境科学コース)、近藤 久雄(産業技術総合研究所 活断層・火山研究部門)、安江 健一(日本原子力研究開発機構)、後藤 秀昭(広島大学大学院文学研究科)、座長:近藤 久雄(産業技術総合研究所 活断層・火山研究部門)、松浦 律子(公益財団法人地震予知総合研究振興会地震調査研究センター)

11:45 〜 12:00

[SSS31-11] 百井塘雨著「笈埃随筆」に記された海嘯記事について

*都司 嘉宣1白石 睦弥2松岡 祐也3佐藤 雅美4今村 文彦4 (1.公益財団法人深田地質研究所、2.北日本歴史災害研究所、3.東北大学、4.東北大学災害科学国際研究所)

キーワード:日本海の津波、歴史津波、宝暦12年(1762)佐渡近海地震

江戸中期の18世紀,京都の豪商・万屋の次男として生まれた百井塘雨(ももい とうう)は「笈埃随筆(きゅうあいずいひつ)」という随筆集を遺している.この随筆集は,全国を旅した塘雨が旅先で体験または伝聞した出来事を記したものであるが,訪問した年月日はほとんどの場合に明記されていない.また,現在の写本では,百科辞書的に編集し直された体裁になっているため,記載の順序は著 者が体験した時間順序とは無関係である.「予,宝暦八寅の年(1758)に尾張の国にて数年経歴せし同行に連立ぬ」とあるので,著者が全国旅行を開始したのが1758年であることは確かである.また,天明の末年(1788年頃)旅行を終了していることから,この間少なくとも1度は京都の自宅に戻っている.この随筆の「海嘯」の項に石見国(島根県)の津波の記事が載っている.以下この部分を,東北大学附属図書館蔵狩野文庫写本によって書き出すと次のようになる.「予石見国銀山領五井村といふより江津と云に出る、濱伝ひに小山の上を行事数里、前に大川有、向ひの地なる門村といふに渡んとすれハ渡しの舟なく、(中略)老人答て我七十余にかゝる、ふしき成恐しき事ハ見もセす、又昔より聞伝えし事もなし、アレ/\と沖を指さす、如何成事かと見てあれハ、遥の沖ゟ大山の如く逆浪一同に押来る、彼潮州の湧涛、始皇築し万里の長城も、今爰に見る心地也」.この文の「大川」は島根県江津市で日本海 に注ぐ江の川と推定される.「向かいの門村」というのは,江の川の河口東岸にある加戸村(現・江津市嘉戸町)である.「スハ此所も忽ち打砕て、浪の底とやならんと驚き見るに、此地ハ山の尾崎なれハ、濱辺よりハ殊に高く、彼浪も山下迠は押來りし計りなれハ、思ひしより胸落付ぬ、然れとも浪ハ川口へ高々と押入ぬれハ、渡舟を初めとしてあらゆる舟ともハ、水上へ逆押にして五六町計り漕上ぬ、又川に浮ふ材木類も同しく一時に逆上る、斯して又其さしたる浪引て返る時ハ、海上遙に二三十町もや、忽ち平地と成しかハ、海底種々の奇石大岩顕れ見へ、或ハ汐に引残されたる魚の大小となくひら/\と鰭打はためき、蚫、栄螺様の物も夥しく見ゆ」.この文によると,川口から高々と押し入ってきた波のためにたちまち渡し船などは上流に押し上げられた.そうして汐が引いたときは,海岸から2,3km沖まで海底が顕れた.この文は津波の描写である.「扨人々の物語を聞ハ、此浪昼前より起て、既に三度也、若朝鮮の地に地震もや有て、津浪なむといふものにやと語りき、(中略)予も渡るへき舟なくて渡り遁れん事も成かたく、詮方なけれハ、此所の家に宿し、夕飯したゝめ休息しなから、心ならさる間にはや日も暮て沖の方鳴ひゝき浪音高く聞ゆ。殊に九月中旬の月明らか成しかハ、又堤に出て見れハ、昼の如く高浪押來る。川口の両傍なる虵籠、川岸の杭に物あたりぬる音の夜は猶もの凄く聞ゆ、斯る目覚しき事なれハ、眠くも睡らす考へ見れハ、夜明迠三度也き」.地元の人によると昼から波は三度押し寄せたという.渡し船もなくなったので,やむなくここで民家に泊まった.この日は九月中旬の満月の頃だったので夜になっても押し寄せる津波はよく見えた. 夜明けまでにまた三度襲ってきた.この津波は,『日本被害津波総覧』(渡辺,1998)のどの津波によるものであろうか?武者(1944)はこの笈埃随筆に記された江津の津波は明和8年(1771)3月10日の琉球八重山地震津波が及んだものであろうと結論している.また、著者と同時代の橘南谿(たちばな なんけい)はこの話を聞いて、寛保元年(1741)の渡島大島噴火津波のことかと示唆し、羽鳥ら (1977)はこの説に従った.しかし、本稿では先行研究と異なるアプローチで結論を導き出した.(A)この出来事は,著者の石見国での実体験であるから,1758年から1788年の間の津波である.(B)旧暦九月の満月(15日)前後のころである.(C)日本海に発生源がある津波である.この(A)~(C)の3条件を満たす津波は「宝暦12年(1762)9月15日,佐渡近海地震津波」の1件だけである.不思議なことに,この地震の津波は,現在まで佐渡北端付近の願村と鵜島の接近した2地点しか記録されていない(都司ら2014による測量結果).同じ佐渡の相川ですらこの津波は記録されていない.ただし地震の揺れは佐渡,新潟などで震度5程度の揺れとして記録され,また江戸以北,弘前までが有感域であった(図参照).なお、図中江津で津波高を2mと記したのは、引きが海岸線から2~3kmであった、川を600m遡った、等の記事でおよその数値として推定したものである。この文自体は、直接目撃者の直後記載であるから最も信頼性の高い第一史料と判定される。
謝辞:本稿は,原子力規制庁からの委託業務「平成27年度原子力施設等防災対策等委託費(日本海沿岸の歴史津波記録の調査)事業」(代表:東北大学 今村文彦)の成果の一部をとりまとめたものである.