日本地球惑星科学連合2018年大会

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[JJ] 口頭発表

セッション記号 A (大気水圏科学) » A-HW 水文・陸水・地下水学・水環境

[A-HW24] 熊本地震に伴う地表水と地下水の変化

2018年5月22日(火) 15:30 〜 17:00 A02 (東京ベイ幕張ホール)

コンビーナ:嶋田 純(熊本大学大学院自然科学研究科)、中川 啓(長崎大学大学院水産・環境科学総合研究科)、細野 高啓(熊本大学大学院先導機構、共同)、林 武司(秋田大学教育文化学部)、座長:嶋田 純(熊本大学先導機構)、林 武司(秋田大学教育文化学部)

16:40 〜 16:55

[AHW24-11] 2016熊本地震による白川中流域湛水事業への影響

*市川 勉1中川 啓2 (1.東海大学、2.長崎大学)

キーワード:湛水事業、地下水涵養、2016熊本地震、熊本地域

熊本市を中心とする11の市町村からなる人口約100万人の地域は上水道の水源をすべて地下水に依存している日本最大の地下水利用地帯である.この地域の地下水の主要涵養域は阿蘇カルデラから熊本市を東西に走る白川の中流域にある水田地帯である.江戸時代初期,加藤清正が白川中流域に7つの堰を建設し,水田の開田を開始した.明治時代には1500haにも達する水田地帯となり,その減水深は,一日当たり100mmを超える浸透性の高い地域となった.その結果,熊本地域の地下水は大幅に増加し,下流の湧水地帯では湧水量が大幅に増加した.しかし,1970年代の高度成長期以降,都市開発,米離れによる水稲作付率の低下によって涵養量が年々減少し,熊本地域地下水は長期的に減少した.この対策として,2004年から白川中流域の畑地に転作した水田に水を張ることによって地下水を涵養しようとする湛水事業が始まった.
湛水を実施する熊本市と5つの企業が湛水に協力する農家に協力金を支払うことによって湛水事業が行われた.当初,理解の不足により,湛水に参加する農家は少なかったが,年々増加し,湛水事業開始から10年たった2013年には,湛水事業による地下水涵養量は,2000万m3を超えるまでになった.この湛水事業による地下水涵養量は,湛水田の日浸透速度を100箇所以上で観測し,日浸透速度の分布図を作成し,一筆地ごとのに浸透速度を求め,湛水田の湛水日数,面積を掛けることによって求めた.また,水田の涵養量は7月下旬に行なわれる干し上げの前と後で日浸透速度を観測し,湛水した日数と面積から涵養量を計算した.湛水事業を行った結果,2004年に水田のみによって涵養された水量は約5000万m3であったものが,10年後の2013年には,水田と湛水田を合わせて,約7000万m3にもなった.2007年から2015年まで,湛水田による約2000万m3の涵養量は維持され,熊本地域の地下水は長期低下傾向が止まり,若干の回復傾向となった.
2016年4月14日と16日に2度にわたる震度7の大地震が熊本を襲った.これがいわゆる熊本地震である.特に,4月16日の午前1時26分に発生した本震では強烈な縦揺れと長い横揺れによって断層に沿った場所では亀裂やがけ崩れが多く発生した.また,6月には地震によって緩んだ地盤に集中豪雨が降り,多くの場所でがけ崩れが発生した.白川中流域の水田地帯も地震と集中豪雨によってかんがい水路が甚大な被害を受けた.その結果,7つの堰に付属するかんがい用水路の多くが通水不能となり,多くの水田における稲の栽培や湛水事業ができなくなった.地震後,1年が経過した2017年には,かんがい用水路は修復され,水田や湛水事業は再開されたが,地震前ほどの面積は回復できていない.
本報告では,白川中流域の14年間にわたる湛水事業の状況と,熊本地震による湛水事業と地下水への影響について報告する.