日本地球惑星科学連合2018年大会

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[JJ] Eveningポスター発表

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[O-06] ジオパークがつなぐ地球科学と社会 ー10年の成果と課題ー

2018年5月20日(日) 17:15 〜 18:30 ポスター会場 (幕張メッセ国際展示場 7ホール)

コンビーナ:松原 典孝(兵庫県立大学大学院 地域資源マネジメント研究科)、市橋 弥生(佐渡市教育委員会)、小原 北士(Mine秋吉台ジオパーク推進協議会、共同)、大野 希一(島原半島ジオパーク協議会事務局)

[O06-P26] 震災の記憶を100年後につなぐ~「歩いて辿る丹後震災の記憶」

*小長谷 誠1 (1.京都府立峰山高等学校)

キーワード:丹後震災、北丹後地震、山陰海岸ジオパーク、防災教育、街歩き、高校生

京都府立峰山高等学校のある京丹後市は、3県にまたがる山陰海岸ジオパークの東部に位置し、美しい景観が続く海岸部を中心に幾つものジオサイトがある。市内の重要なジオサイトの一つである郷村断層は、1927年3月7日にM7.3の北丹後地震(丹後震災)を発生させ、丹後で約3000名の死者を出した地震断層である。日本で初めて活断層という言葉が使われた地震断層でもあり、国の天然記念物にも指定されている。ジオサイトである郷村断層は建物で保存され、大きなガラス窓越しに断層を見ることができる。また地震や断層について説明をする看板やパンフレットもある。しかし丹後震災から91年が経過し、震災の事を語る体験者はもちろん、体験者から震災の話を聞かされた人たちも少なくなり、丹後震災の記憶はほとんど風化してしまった。地震がどのような被害をもたらしたか、被災者の困窮、震災の教訓や復興については、震災慰霊碑を除いて伝えるものはほとんどなく、ジオパークを見学に来た人に伝えることが難しいのが現状である。

本校のある京丹後市の峰山(旧峰山町)は丹後震災で最も大きな被害を受けた。家屋の97%が全壊全焼し一面の焼け野原となり、住民約4500名のうち1100名が死亡。死亡率は実に24%に達した。郷村断層の一部は本校の敷地にも出現したが、震災で本校の校舎や生徒がどうなったか、学校周辺でどのような事が起こったのか、どのように復興したのか、地学部の顧問を含めて誰もよく知らなかった。そこで本校の地学研究部では、2014年度に峰山高校を中心として峰山の被害状況を調べ、2015年度には震災当時の気象について調べた。そして丹後震災からちょうど90周年となる2016年度に、学校周辺を歩きながら丹後震災の記憶を学ぶ事ができる街歩きマップ『歩いて辿る丹後震災の記憶』を作成した。

2016年度よりこの街歩きマップを使い、本校の有志の生徒が地元の小学生や市民を案内をする街歩きをスタートさせ、今年の3月には2回目を実施することができた。約100年前の震災ではあるが、震災記念館や慰霊碑、震災を描いた絵画や多数の写真、被害の詳細な調査記録、震災後に小学校の先生が作り歌われていた震災の歌、震災を体験した児童や生徒の作文など様々な資料が残っており、それらを紹介する街歩きを通して震災の様々な記憶を伝えることができた。

ジオサイトである郷村断層を見学して地震を引き起こす大地の変動について学び、峰山の街歩きを通して震災と復興について学ぶ。約100年前の地震・震災ではあるが、災害や防災に対する関心を高めることが十分にできると考える。京丹後市では歩きながら防災について学べる、それが山陰海岸ジオパークの魅力の一つになるように、これからも取り組みを進めていきたい。