[SEM17-P08] 京都府・篠・騎馬ヶ谷2古窯の古地磁気と日本における9~11世紀の地磁気永年変化
キーワード:古地磁気学、考古地磁気学、年代推定
これまでに我々は、日本各地で測定された考古地磁気方位データを収集し、それを基に考古地磁気のデータベースを作成してきた。新しいデータベースによれば、従来から高密度であった5~8世紀に加え11~13世紀のデータも増え、地磁気永年変化を代表するデータとしての信頼性もずいぶん増してきた。
しかし、両者の間、9, 10世紀は相変わらずデータが少ない。また、この期間は西偏→東偏へ大きく移り変わる期間で、古地磁気方位の変化と加速が非常に大きいことがわかっている。つまり、この間の各時間における正確な地磁気方位の位置を決めることは、永年変化研究およびそれを用いた年代推定研究の発展にも貢献が期待される。
今回我々は、京都府亀岡市篠の篠古窯跡群・騎馬ヶ谷4,7号窯と言う2基の平安時代古窯の床面より、古地磁気測定用試料を定方位にてサンプリングし古地磁気・岩石磁気の測定を行った。
騎馬ヶ谷2古窯は2016年度までに亀岡市教育委員会の手で発掘調査が行われた。4号窯は9世紀中・後期まで操業した半地下式の登窯(全長6m弱)である一方、7号窯は10世紀初頭まで操業したと考えられる三角窯(構内の幅2m, 全長3m程度)である。三角窯は京都・滋賀を中心に十数基が発見されている珍しいタイプの窯で、焚口が左右に2つ、煙突が後部に1つあるものである。この窯では須恵器、緑釉陶器、および瓦が交互に焼かれ、異なるタイプの陶製品を焼くための温度調整を施しやすいよう、焚口が2つになっていると考えられている。
両古窯の床面からの古地磁気方位はともによくまとまり、ともに大きく西偏している。これまでに考えられている9~10世紀の古地磁気方位と大きくは矛盾していない。ただし、伏角に関しては古い4号窯の方が7号窯よりも浅く、この期間で直前まで浅くなってきた伏角が再び深くなる傾向があるのではないかと考えられる。この結果は畠山ら(2013)による地磁気永年変化モデルと矛盾しない(従来の広岡曲線とは反対の傾向である)。
本講演では、今回の古地磁気方位測定の結果とこれまでに報告されている同時代の考古地磁気測定とを比較し、地磁気方位が西偏→東偏への変化を起こすタイミングなどについて議論する。
しかし、両者の間、9, 10世紀は相変わらずデータが少ない。また、この期間は西偏→東偏へ大きく移り変わる期間で、古地磁気方位の変化と加速が非常に大きいことがわかっている。つまり、この間の各時間における正確な地磁気方位の位置を決めることは、永年変化研究およびそれを用いた年代推定研究の発展にも貢献が期待される。
今回我々は、京都府亀岡市篠の篠古窯跡群・騎馬ヶ谷4,7号窯と言う2基の平安時代古窯の床面より、古地磁気測定用試料を定方位にてサンプリングし古地磁気・岩石磁気の測定を行った。
騎馬ヶ谷2古窯は2016年度までに亀岡市教育委員会の手で発掘調査が行われた。4号窯は9世紀中・後期まで操業した半地下式の登窯(全長6m弱)である一方、7号窯は10世紀初頭まで操業したと考えられる三角窯(構内の幅2m, 全長3m程度)である。三角窯は京都・滋賀を中心に十数基が発見されている珍しいタイプの窯で、焚口が左右に2つ、煙突が後部に1つあるものである。この窯では須恵器、緑釉陶器、および瓦が交互に焼かれ、異なるタイプの陶製品を焼くための温度調整を施しやすいよう、焚口が2つになっていると考えられている。
両古窯の床面からの古地磁気方位はともによくまとまり、ともに大きく西偏している。これまでに考えられている9~10世紀の古地磁気方位と大きくは矛盾していない。ただし、伏角に関しては古い4号窯の方が7号窯よりも浅く、この期間で直前まで浅くなってきた伏角が再び深くなる傾向があるのではないかと考えられる。この結果は畠山ら(2013)による地磁気永年変化モデルと矛盾しない(従来の広岡曲線とは反対の傾向である)。
本講演では、今回の古地磁気方位測定の結果とこれまでに報告されている同時代の考古地磁気測定とを比較し、地磁気方位が西偏→東偏への変化を起こすタイミングなどについて議論する。