[SVC41-P43] 霧島火山,新燃岳の長期活動史から見た最近の噴火
キーワード:新燃岳火山、活動史、霧島火山
霧島山新燃岳では,2017年10月11日に噴火が発生した.新燃岳では,2008年,2010年の水蒸気噴火,2011年の溶岩を伴う準プリニー・ブルカノ式噴火と,近年その活動が活発化しているように見える.そこで,過去の噴火を整理し,長期的な視点での活動を議論する.新燃岳活動史の研究は,井ノ上(1988)が霧島周辺のテフラ調査を行い瀬田尾軽石,前山軽石,享保軽石が新燃岳起源と推定し,享保軽石が1716-1717年噴火に該当するとした点から始まる.井村・小林(1991)は,享保軽石及びその後の300年間の新燃岳の活動史をまとめ,享保軽石はSm-Kp1~7に細分できることを明らかにした.一方,彼らが議論した明和年間(1771-1772年)とされたSm-MP,文政年間(1822年)とされたSm-BPの降下軽石は,明和噴火が御鉢起源,文政噴火が規模の小さな噴火であると指摘されている(安井・長友,1961; 筒井・小林, 2005; 筒井・小林,2011).これらの研究では軽石噴火が主なターゲットにされたが,田島・他(2013)は,新燃岳を起源とする溶岩とテフラとの層位関係を明らかにし,マグマが噴出時期を少なくとも3期に区分し,新燃岳の活動史においてマグマ噴出が卓越する時期が存在することを示した.なお,以下に示す年代は,奥野(2002)及び田島・他(2013)に基づく.
新燃岳を起源とする最初のテフラは10.4 ka BPの新燃岳-瀬田尾テフラ(Sm-St)である.一方,新湯の北方には新燃岳を起源とし,その中では最下位に位置付けられるRyD-Ls溶岩が認められる.この溶岩は韓国岳を起源とした火砕流に覆われないため,16.7 ka BPより新しい時代に噴出したと推定される.また,湯ノ野付近でのRyD-Ls溶岩は,Otk-UsAの下位(7.6 ka BP~:奥野, 2002)に薄い土壌を挟んだ層準として認められる.従って,湯ノ野付近のRyD-Ls溶岩は7.6 ka直前に噴出したと考えられ,各噴出物の年代に不明な点が残されるが,この時期を新燃岳-瀬田尾期と呼ぶ.瀬田尾期最上位のRyD-Lsから約2000年の間隔を空け,新燃岳では5.6 ka BPに新燃岳-前山テフラ(Sm-My)が噴出した.また,Sm-Myとの直接の層位関係は見られないが,4.5 ka BPに分布軸が北と南方向にある新燃岳-新湯テフラ(Sm-Sy)が噴出した.一方,南西域には,RyC-Ls溶岩が薄い風化火山灰土の挟みSm-Syの直下位に認められる.新燃岳火口の西壁ではRyCw-L溶岩が,時間間隙なくSm-Syに覆われている.また,新燃岳西麓に見られるRyC-Ls溶岩もSm-Sy下位に位置し,一部はSm-Syと化学組成が一致することより,Sm-Syの直前に噴出したと推定される.Sm-Syとその下位にあるRyC-Lsを噴出した時期を新湯期と呼ぶ.次に,新湯林道には新燃岳に近づくにつれ層厚が増し,新燃岳を起源としたSm-SrB, Aテフラが認められる.Sm-SrB, Aは,新燃岳を起源とするテフラの中ではかんらん石を含む.新燃岳の火口壁ではSm-Syの上位にRyB-L,RyA-L溶岩が認められ,RyA-L溶岩にかんらん石が認められる.Sm-SrBは2.7 ka BP,Sm-SrAは2.3 ka BP頃に噴出したと推定され,含有鉱物が一致するRyA-L溶岩は同時期の噴出物と考えられる.Sm-SrBと新湯期との間に約1800年の間隙があり,Sm-SrB,Sm-SrA及びそれに関連する溶岩が噴出していることより新燃岳-新湯林道期と呼ぶ.Sm-SrA上位の新燃岳を起源とする噴出物は1716~1717年の新燃岳-享保テフラ(Sm-Kp)となり,その間に新燃岳を起源とする噴出物は知られていない.両者の間に2000年間の時間間隙があると推定される.新燃岳では,近年1959年水蒸気噴火(Minakami, 1968)から,2008年の水蒸気噴火(下司・他,2010),2010年の水蒸気噴火が生じ,2011年にはマグマ噴火(Nakada et al., 2013)が生じた.新湯林道期より約2000年の時間間隙あり,その後マグマ噴火を含めた噴火が続くことより,享保-平成期と呼ぶ.
新燃岳は上述のように,2000年程の休止期を挟み数百年の活動的な時期を繰り返す特徴が見られる.また,各活動期において新湯期は軽石噴火に加え規模の大きな溶岩流が卓越し,新湯林道期は全体的に規模が小さいが溶岩流が卓越する.享保・2011活動期は,今のところ軽石噴火が卓越する.この様に各活動期は類似した噴火活動が繰り返され,同じ活動期間では同一のマグマ供給系が維持されていた可能性が示唆される.通常我々は,数10年単位で活動期を議論するが,マグマ上昇を含めた噴火活動を議論する上においては,数百年オーダーでのマグマ供給システムを考慮する必要がある.
新燃岳を起源とする最初のテフラは10.4 ka BPの新燃岳-瀬田尾テフラ(Sm-St)である.一方,新湯の北方には新燃岳を起源とし,その中では最下位に位置付けられるRyD-Ls溶岩が認められる.この溶岩は韓国岳を起源とした火砕流に覆われないため,16.7 ka BPより新しい時代に噴出したと推定される.また,湯ノ野付近でのRyD-Ls溶岩は,Otk-UsAの下位(7.6 ka BP~:奥野, 2002)に薄い土壌を挟んだ層準として認められる.従って,湯ノ野付近のRyD-Ls溶岩は7.6 ka直前に噴出したと考えられ,各噴出物の年代に不明な点が残されるが,この時期を新燃岳-瀬田尾期と呼ぶ.瀬田尾期最上位のRyD-Lsから約2000年の間隔を空け,新燃岳では5.6 ka BPに新燃岳-前山テフラ(Sm-My)が噴出した.また,Sm-Myとの直接の層位関係は見られないが,4.5 ka BPに分布軸が北と南方向にある新燃岳-新湯テフラ(Sm-Sy)が噴出した.一方,南西域には,RyC-Ls溶岩が薄い風化火山灰土の挟みSm-Syの直下位に認められる.新燃岳火口の西壁ではRyCw-L溶岩が,時間間隙なくSm-Syに覆われている.また,新燃岳西麓に見られるRyC-Ls溶岩もSm-Sy下位に位置し,一部はSm-Syと化学組成が一致することより,Sm-Syの直前に噴出したと推定される.Sm-Syとその下位にあるRyC-Lsを噴出した時期を新湯期と呼ぶ.次に,新湯林道には新燃岳に近づくにつれ層厚が増し,新燃岳を起源としたSm-SrB, Aテフラが認められる.Sm-SrB, Aは,新燃岳を起源とするテフラの中ではかんらん石を含む.新燃岳の火口壁ではSm-Syの上位にRyB-L,RyA-L溶岩が認められ,RyA-L溶岩にかんらん石が認められる.Sm-SrBは2.7 ka BP,Sm-SrAは2.3 ka BP頃に噴出したと推定され,含有鉱物が一致するRyA-L溶岩は同時期の噴出物と考えられる.Sm-SrBと新湯期との間に約1800年の間隙があり,Sm-SrB,Sm-SrA及びそれに関連する溶岩が噴出していることより新燃岳-新湯林道期と呼ぶ.Sm-SrA上位の新燃岳を起源とする噴出物は1716~1717年の新燃岳-享保テフラ(Sm-Kp)となり,その間に新燃岳を起源とする噴出物は知られていない.両者の間に2000年間の時間間隙があると推定される.新燃岳では,近年1959年水蒸気噴火(Minakami, 1968)から,2008年の水蒸気噴火(下司・他,2010),2010年の水蒸気噴火が生じ,2011年にはマグマ噴火(Nakada et al., 2013)が生じた.新湯林道期より約2000年の時間間隙あり,その後マグマ噴火を含めた噴火が続くことより,享保-平成期と呼ぶ.
新燃岳は上述のように,2000年程の休止期を挟み数百年の活動的な時期を繰り返す特徴が見られる.また,各活動期において新湯期は軽石噴火に加え規模の大きな溶岩流が卓越し,新湯林道期は全体的に規模が小さいが溶岩流が卓越する.享保・2011活動期は,今のところ軽石噴火が卓越する.この様に各活動期は類似した噴火活動が繰り返され,同じ活動期間では同一のマグマ供給系が維持されていた可能性が示唆される.通常我々は,数10年単位で活動期を議論するが,マグマ上昇を含めた噴火活動を議論する上においては,数百年オーダーでのマグマ供給システムを考慮する必要がある.