[HGM03-P04] 沖積河川における河床勾配急変の実態
キーワード:沖積河川の河床勾配急変、河床表面砂礫の堆積構造、木曽川、長良川、千代川、矢作川
谷津(1954)・Yatsu(1955)は,沖積河川における礫床区間と砂床区間の境界部で河床勾配の急変が生じることを初めて指摘した。小玉・井口(1986)は,礫床区間において河床勾配の急変が生じていることを渡良瀬川で明らかにした。混合粒径砂礫の運搬特性による,砂礫の易動度の違いを反映した勾配急変であると述べている。しかし,谷津(1954)が指摘した渡良瀬川以外の河川に関して,未だ調査がなされていない。本研究では,谷津が調査した3河川(木曽川,長良川,矢作川)と,鳥取県の千代川において,小玉(1994)と同様の調査を実施した。
各河川の平均河床高のデータを国土交通省河川事務所より入手し,河床勾配の縦断変化を解析した。河床勾配を2 km程の平均勾配とすることで,砂礫堆の地形勾配をならしたものとした。
現地では小玉(1994)を参考に,5 m間隔の線格子法により河床表面砂礫の堆積相タイプの出現頻度を河原(砂礫州)毎に調査した。表面礫の直下に,間隙が細粒物質で充填されていない透礫層(池田,1982)が現れるものをType 1とした。これに対して表面礫の直下に,間隙が細粒物質で充填された砂礫層が現れるものをType 2とした。さらに,河床表面に礫と砂が点在して見える堆積相をType3とし,砂ばかり見える堆積相をType 4とした。
各河川の河口からの距離に応じた調査結果を以下に示す。木曽川では,1967年の平均河床高のデータより河床勾配を解析した結果,河床勾配急変が40.2 km付近に認められた。つまり42 km付近で約1/700の勾配が,39 km付近では約1/5000の勾配へ急減し,現在までこの状態が維持されていた。勾配急変点より上流側にある4地点の砂礫州を調査した。なお河砂利採取のためか,調査可能な砂礫州が下流側には存在しなかった。いずれの砂礫州においても,Type1が約80%で,Type2~4は局所的に存在し,多くても20%程度であった。
長良川では,1970年と1984年以降の平均河床高のデータより河床勾配を解析した。その結果,1970年は43.2 km付近で,1984年以降は40.8 km付近で河床勾配の急変が認められ,現在までこの状態が維持されていた。つまり,1970年は44 km付近で約1/900の勾配が,42 km付近では約1/7000の勾配へ急減した。1984年以降は42 km付近で約1/1250の勾配が,39 km付近では約1/9000の勾配へ急減した。勾配急変点付近で2地点,その上流側で4地点,計6地点の砂礫州を調査した。さらに下流側に関しては,調査可能な砂礫州が存在しなかった。Type1は,急変点の上流側の砂礫州で約10~80%を占め,急変点付近では見られなかった。Type2~4は,53.7,50.5 kmでは約70~90%を占めた。48.4 kmで約20%と減少し,46.7,43.9,42.8 kmで約80~100%と増加した。
千代川では,1988年の平均河床高のデータより河床勾配を解析した結果,河床勾配急変が6.8 km付近に認められ,現在までこの状態が維持されていた。つまり8 km付近で約1/700の勾配が,6 km付近では約1/1100の勾配へ急減した。勾配急変点より下流側で1地点,その上流側で3地点,計4地点の砂礫州を調査した。8.4 kmの砂礫州だけはサンプル数が19箇所と少ないものの,すべてがType1であった。これ以外の砂礫州では,Type1は急変点の上流側で30~50%ほどを占め,急変点の下流側では存在しなかった。Type2~4は,上流側で40~70%ほどで,下流側では100%であった。
矢作川では,1965年の平均河床高のデータより,河床勾配を解析した。矢作川では勾配急変点が存在せず,1/1400の勾配でほぼ一定であった。計6地点の砂礫州を調査した。いずれの砂礫州でも,Type1は存在せず,Type3,4が約60~100%の割合で存在した。
以上の結果より,小玉・井口(1986)が渡良瀬川で明らかにしたように,河床勾配の急変は礫床区間で生じていることが,勾配急変点を持つ多くの河川において確認された。河床表面礫の易動性が勾配の急変に大きな影響を与える可能性が高いと考える。今後は,海面変動の影響を受けない愛知川や,勾配の急変点を持たない天竜川や斐伊川を調査する予定である。また,水路実験によるアプローチも計画している。
各河川の平均河床高のデータを国土交通省河川事務所より入手し,河床勾配の縦断変化を解析した。河床勾配を2 km程の平均勾配とすることで,砂礫堆の地形勾配をならしたものとした。
現地では小玉(1994)を参考に,5 m間隔の線格子法により河床表面砂礫の堆積相タイプの出現頻度を河原(砂礫州)毎に調査した。表面礫の直下に,間隙が細粒物質で充填されていない透礫層(池田,1982)が現れるものをType 1とした。これに対して表面礫の直下に,間隙が細粒物質で充填された砂礫層が現れるものをType 2とした。さらに,河床表面に礫と砂が点在して見える堆積相をType3とし,砂ばかり見える堆積相をType 4とした。
各河川の河口からの距離に応じた調査結果を以下に示す。木曽川では,1967年の平均河床高のデータより河床勾配を解析した結果,河床勾配急変が40.2 km付近に認められた。つまり42 km付近で約1/700の勾配が,39 km付近では約1/5000の勾配へ急減し,現在までこの状態が維持されていた。勾配急変点より上流側にある4地点の砂礫州を調査した。なお河砂利採取のためか,調査可能な砂礫州が下流側には存在しなかった。いずれの砂礫州においても,Type1が約80%で,Type2~4は局所的に存在し,多くても20%程度であった。
長良川では,1970年と1984年以降の平均河床高のデータより河床勾配を解析した。その結果,1970年は43.2 km付近で,1984年以降は40.8 km付近で河床勾配の急変が認められ,現在までこの状態が維持されていた。つまり,1970年は44 km付近で約1/900の勾配が,42 km付近では約1/7000の勾配へ急減した。1984年以降は42 km付近で約1/1250の勾配が,39 km付近では約1/9000の勾配へ急減した。勾配急変点付近で2地点,その上流側で4地点,計6地点の砂礫州を調査した。さらに下流側に関しては,調査可能な砂礫州が存在しなかった。Type1は,急変点の上流側の砂礫州で約10~80%を占め,急変点付近では見られなかった。Type2~4は,53.7,50.5 kmでは約70~90%を占めた。48.4 kmで約20%と減少し,46.7,43.9,42.8 kmで約80~100%と増加した。
千代川では,1988年の平均河床高のデータより河床勾配を解析した結果,河床勾配急変が6.8 km付近に認められ,現在までこの状態が維持されていた。つまり8 km付近で約1/700の勾配が,6 km付近では約1/1100の勾配へ急減した。勾配急変点より下流側で1地点,その上流側で3地点,計4地点の砂礫州を調査した。8.4 kmの砂礫州だけはサンプル数が19箇所と少ないものの,すべてがType1であった。これ以外の砂礫州では,Type1は急変点の上流側で30~50%ほどを占め,急変点の下流側では存在しなかった。Type2~4は,上流側で40~70%ほどで,下流側では100%であった。
矢作川では,1965年の平均河床高のデータより,河床勾配を解析した。矢作川では勾配急変点が存在せず,1/1400の勾配でほぼ一定であった。計6地点の砂礫州を調査した。いずれの砂礫州でも,Type1は存在せず,Type3,4が約60~100%の割合で存在した。
以上の結果より,小玉・井口(1986)が渡良瀬川で明らかにしたように,河床勾配の急変は礫床区間で生じていることが,勾配急変点を持つ多くの河川において確認された。河床表面礫の易動性が勾配の急変に大きな影響を与える可能性が高いと考える。今後は,海面変動の影響を受けない愛知川や,勾配の急変点を持たない天竜川や斐伊川を調査する予定である。また,水路実験によるアプローチも計画している。