日本地球惑星科学連合2018年大会

講演情報

[JJ] ポスター発表

セッション記号 H (地球人間圏科学) » H-QR 第四紀学

[H-QR04] 第四紀:ヒトと環境系の時系列ダイナミクス

2018年5月20日(日) 10:45 〜 12:15 ポスター会場 (幕張メッセ国際展示場 7ホール)

コンビーナ:小荒井 衛(茨城大学理学部理学科地球環境科学コース)、須貝 俊彦(東京大学大学院新領域創成科学研究科自然環境学専攻)、水野 清秀(国立研究開発法人産業技術総合研究所地質情報研究部門、共同)、米田 穣(東京大学総合研究博物館)

[HQR04-P06] 関東地方,荒川支流・横瀬川合流点付近における最終間氷期以降の河谷埋積過程

*高橋 尚志1須貝 俊彦1 (1.東京大学大学院新領域創成科学研究科自然環境学専攻)

キーワード:河成段丘、支流、荒川、支流閉塞、テフロクロノロジー、土砂動態システム

長期的な山地からの土砂流出過程を理解するためには,数千~数万年スケールの気候変動に対する山地流域の様々な支流の応答性を評価し,本流と支流の間の地形形成作用のバランスとその変化を検討する必要がある.関東地方,荒川の支流・横瀬川の合流点付近では,最終氷期の堆積段丘を構成する礫層およびシルト層が報告されている(柳田ほか,1982;吉永・宮寺,1986)が,河谷の埋積過程における本流と支流との相互作用に関しては,詳細は不明である.本報告では,これらの堆積物の形成過程・年代を検討し,荒川―横瀬川合流点付近における最終間氷期以降の河谷の埋積過程を復元し,本―支流の地形形成作用のバランスとその変化について議論する.
荒川は関東山地に端を発し,秩父盆地および狭窄部を通過したのち,関東平野へ流出する.流域には中期更新世以降の河成段丘面群が発達し,秩父盆地には,羊山面(MIS 6の堆積段丘面),影森面(最終氷期の堆積段丘),大野原面(MIS 2末期の侵食段丘面)が分布する(吉永・宮寺,1986).
荒川の支流である横瀬川は,約70 km2の流域面積を持つ.武甲山付近に源流を持ち,秩父盆地東縁部を荒川と平行に北へ流れたのち,秩父盆地北東部にて荒川に合流する.横瀬川沿いには,荒川本流と同様,影森面と大野原面が発達する.盆地中央部では,横瀬川と荒川の影森面は羊山面によって隔てられる.横瀬川流域の基盤には,秩父帯の付加体堆積岩類,三波川帯の変成岩類が出現する.横瀬川合流点より上流の荒川流域には,三波川帯は出現しない.
横瀬川と荒川の合流点付近の秩父市黒草では,最大層厚約20 mの影森面構成層が観察される.構成層は,下位から,(1)シルト混じり亜円礫層,(2)シルト層,(3)円礫層である.(1)は約1~5 mの層厚を持ち,標高181 mの高度で基盤を切って堆積している.基質は青灰色シルトによって構成され,三波川帯由来の結晶片岩礫が含まれることから,横瀬川が運搬した堆積物であると判断される.(2)は,約0.4~5 mの層厚を持ち,下位の(1)とは整合関係にある.(2)中の標高187 mの層準には,層厚約12 cmの白色~黄褐色軽石層(KRK-1)が挟在する.KRK-1より下位のシルト層は,下位から上位に向かって,暗褐色の有機質シルトから青灰色シルトへと漸移する.(3)は,最大で約13 mの層厚を持ち,最大礫径15 cm程度の円礫層である.(3)は,下位の(2)を不整合に切って堆積している.この礫層からは,結晶片岩礫は見出されていない.横瀬川の現河道から約300 m南の地点では,本礫層が標高192 mの高度で直接基盤を切って堆積しており,下位にシルト層は見出されない.
KRK-1は,大きく分けて2つのユニットに分けられる.上部ユニットは,灰白色~黄褐色を呈する層厚約9 cm,平均粒径約2~3 mmの軽石層である.下部ユニットは,層厚約3 cmで白色を呈し,上部と類似した軽石を含むが,上部と比較してashを多く含む.両ユニット共にpm型火山ガラスと黒雲母を含む.下部ユニットの火山ガラスの主成分化学組成は御岳第一テフラ(On-Pm1)および御岳潟町テフラ(On-Kt)のそれと比較的近い値を示す.KRK-1の層厚や黒雲母を含むことを考慮し,現時点ではKRK-1はOn-Pm1(95~100 ka)に対比されると考える.
本地点の影森面構成層の基底高度が南北方向(現横瀬川と直行方向)で変化すること,および横瀬川由来の礫層が基底に存在することから,本地点の影森面構成層の基底は,横瀬川の埋没谷底であると考えられる.影森面構成層中のシルト層中にOn-Pm1が挟在することは,後期更新世の荒川および横瀬川の河谷の埋積は100 ka以前に開始したことを示す.さらに,On-Pm1降下期頃には,横瀬川合流点付近が静水環境にあったと推定される.その原因として,荒川本流の河床上昇に横瀬川が追いつけずに,支流閉塞湖が形成された可能性が挙げられる.(3)が荒川本流性のものであるならば,シルト層堆積後,荒川本流が礫を厚く堆積させ,河谷を埋積したと考えられる.荒川の河床上昇に対して横瀬川の埋積が追い付かなかった原因としては,最終間氷期の横瀬川の河床勾配が緩く,荒川の河床上昇に応答して,河谷を埋積させるのに十分な量の土砂が合流点付近まで供給されなかった可能性が示唆される.
On-Pm1が挟在するシルト層は,相模川(米澤,1981など)や秋川(鈴木,1962など)でも,後期更新世の堆積段丘構成層中から報告されており,荒川を含めた関東地方の各河川流域では,MIS 5cに共通してシルト層により河谷が埋積されたことがわかる.これらの成因と発達過程を解明するには,気候変動に対する本流と支流の地形形成作用のバランスの変化を検討する必要がある.