日本地球惑星科学連合2018年大会

講演情報

[JJ] 口頭発表

セッション記号 M (領域外・複数領域) » M-ZZ その他

[M-ZZ40] 地球科学の科学史・科学哲学・科学技術社会論

2018年5月20日(日) 10:45 〜 12:15 202 (幕張メッセ国際会議場 2F)

コンビーナ:矢島 道子(日本大学文理学部)、青木 滋之(会津大学コンピュータ理工学部)、山田 俊弘(東京大学大学院教育学研究科研究員、共同)、吉田 茂生(九州大学大学院理学研究院地球惑星科学部門)、座長:矢島 道子山田 俊弘

11:30 〜 11:45

[MZZ40-04] 研究者の置かれた社会的状況はプレートテクトニクス受容を10年遅らせたか?

*千葉 淳一1芝崎 美世子2 (1.大原学園コンテンツ開発部、2.大阪市立大学)

キーワード:プレートテクトニクス革命、地質学の方法論、地球物理学の方法論、地球科学の社会学

泊次郎(2008)は、日本の地質学界はプレートテクトニクス(以下PT)革命を受容するのが10年遅れたと結論し、その要因を地質研究者、特に野外地質調査によって地域地質の記載を行っていた研究者の置かれていた思想的・社会的状況に求めた。一方芝崎(2011)は、泊や松田(1991)が、この「失われた10年」の根拠として用いた、「プレート語」の使用頻度が増加するタイミングの遅れについて、社会調査の方法論的あるいは社会学的な見地から批判を試みている。それは泊や松田は、地質学と地震学・地球物理学のコミュニティの違いによる用語法の違いを考慮していないというものである。

著者は、当時の地質学界の状況や、個々の研究者の立場に関する泊の記述には、誤りはなく、科学史的な価値はいささかも減じるものではないが、泊の結論には付け加えるべきものがあると考える。それは個々の地域地質研究者の内面におけるPT受容の過程に関する記述である。著者は自らの地域地質研究の経験および、地球物理学・地震学と地質学の方法論の比較検討から、「プレート語の使用頻度問題」に関する芝崎の指摘は正鵠を得ていると考えるに至った。

原郁夫(2008)は、自らのPT理論への「転向」のプロセスを内省し、地域地質学者がPT理論を受容した状態にいたるまでの段階を言語化している。原はまず、PT理論を大陸と海洋の起源、大変動のプロセスを説明する部分(問題A)と現前している露頭、地域の地質構造発達史を、PT理論で説明する部分(問題B)に区分する。その上で、地質学者がBの段階に至ることを以ってPT理論の受容と考えた。

著者はこれらの議論に付け加えて、地質学者が「プレート語」を地域地質の報告の中で使用するようになるためには、

(1)PT理論の内的受容

(2)自らのフィールドの再検討・再調査

(3)種々のデータの再解釈

(4)PT理論を用いた地質構造発達史の組み立て

(5)上記(4)の論文執筆
というプロセスが必要であると考える。特に、(2)、(3)にはサンプルのハンドリングも含めると非常に長い時間がかかる。また、明治以降の我が国の地質学の記載科学としての伝統は、個々の研究者が「観察言語」と「理論言語」を峻別することと、記載においては「観察言語」を使用することを厳しく訓練してきた。上記のことから、泊が指摘したPT理論受容の10年の遅れは見かけ上のものであると結論される。


文献

泊次郎『プレートテクトニクスの拒絶と受容』東京大学出版会、2008年

芝崎美世子「日本におけるプレートテクトニクス受容の「空白の十年」と地質維新:転換期の技術革新と学会批判の構造」『日本地球惑星科学連合2011年度連合大会予稿』2011年

松田時彦「新しい地球観―日本における1970年代」『号外地球』第3号、217-21ページ、1991年

原郁夫『地域地質学の方法論 小島学派、一つの回想』丸源書店、2008年