[O02-P39] 1945年緑十字機不時着より推定される遠州灘鮫島の地形と沿岸流の変化
キーワード:鮫島海岸、緑十字機、1945年、沿岸流
1.はじめに
昨年度までの研究により図1の遠州灘鮫島海岸では過去5年間に海岸侵食が進行していることを明らかにした(山田ほか,2016).より古い時代の鮫島海岸について調べている過程で,図2の1945年に降伏文書を運ぶ重要な飛行機である「緑十字機」が鮫島海岸に不時着したことを知った.この「緑十字機不時着」の事件に着目すれば,目撃情報も多数あることから1945年当時の地形や沿岸流について推定できる.さらに,これを現在と比較すれば,過去70年間の鮫島海岸の変化を明らかにすることが出来ると考え,本研究を始めた.
2.地形の変化
1945年の地形を知るため,1946年と2016年の国土地理院発行の航空写真と1/25,000地形図を比較した.この結果,当時の汀線は現在よりも約100m沖側にあったことが分かった.この汀線の後退は,天竜川に戦後設置されたダムによる堆積物の供給の減少と海岸侵食であるといわれている.さらに詳細な地形を知るため緑十字機不時着目撃者から証言を集めた.結果,地形については分からなかったが,図3の通り,当時の鮫島海岸には現在にない「浜小屋」や汀線に通じる「浜道」,陸側には砂丘により閉塞した「ザーラ」と呼ばれる湿地があったことが分かった.
3.沿岸流の方向の変化
当時の沿岸流の方向は,緑十字機の燃料タンクの一部が,不時着位置より約14km東の沖合200m付近で発見されたこと,また緑十字機不時着目撃者の証言から,波打ち際に不時着した緑十字機が東へ流されていったことがわかった.以上より,当時の沿岸流の方向は西から東であるということを明らかにした.
一方,現在の沿岸流の方向を調べるため,鮫島海岸の外浜に「うき」を投入して,時間を追った移動経路を追跡した.この結果,「うき」は西から東へ移動していった.以上より,現在の沿岸流の方向は1945年と同じ西から東であることが分かった.
4.水流の速さの推定
始めに汀線に不時着した緑十字機が,どのように移動解体していったのかを調べた.方法は,2017年6月に開催された「緑十字機不時着目撃者から証言を聞く集会」に集まった目撃者からの聞き取り調査と「緑十字機決死の飛行」(岡部英一,2017)に記載されている目撃証言の収集である.
この結果,8月20日の緑十字機不時着当時は原形をとどめていたが,不時着後に襲った台風によって機体が沖に流され始め,解体しながら沈んでいったことが分かった.さらに緑十字機を移動させた原因となる台風について,気象庁の記録から調べたところ,1945年9月17日に戦後2番目の最低気圧を示した「枕崎台風」が来襲していたことが分かった.以上から,緑十字機の移動解体の原因は「枕崎台風」による波浪であることが分かった.
次に機体を移動させた波浪の流速を求めた.流速を計算するため,「水流の抗力が砂と機体の摩擦力より大きくなった時,機体の半分に海水が浸水している緑十字機が流されだす」と仮定して式を立てた.
計算に用いる機体の重量などは岡部英一(2017)に記載されている資料から分かったが,「静止摩擦係数」,「緑十字機の体積」,「揚力・抗力を求める際の代表面積」は記載がなかったので,これらは実験で求めた.この結果,機体内部に浸水した海水も考慮すると1.5m/s以上の流速が必要であることが分かった.この値は台風による波浪の流速に対応し,台風により移動埋没していったという証言と一致する.
5.結論
当時の鮫島海岸の汀線は現在より約100m海側にあり,砂丘や閉塞湿地があった.沿岸流の方向は1945年当時も現在も西から東である.緑十字機の流出移動の原因は枕崎台風の強い波浪であり,その流速は1.5m/s以上であった.
昨年度までの研究により図1の遠州灘鮫島海岸では過去5年間に海岸侵食が進行していることを明らかにした(山田ほか,2016).より古い時代の鮫島海岸について調べている過程で,図2の1945年に降伏文書を運ぶ重要な飛行機である「緑十字機」が鮫島海岸に不時着したことを知った.この「緑十字機不時着」の事件に着目すれば,目撃情報も多数あることから1945年当時の地形や沿岸流について推定できる.さらに,これを現在と比較すれば,過去70年間の鮫島海岸の変化を明らかにすることが出来ると考え,本研究を始めた.
2.地形の変化
1945年の地形を知るため,1946年と2016年の国土地理院発行の航空写真と1/25,000地形図を比較した.この結果,当時の汀線は現在よりも約100m沖側にあったことが分かった.この汀線の後退は,天竜川に戦後設置されたダムによる堆積物の供給の減少と海岸侵食であるといわれている.さらに詳細な地形を知るため緑十字機不時着目撃者から証言を集めた.結果,地形については分からなかったが,図3の通り,当時の鮫島海岸には現在にない「浜小屋」や汀線に通じる「浜道」,陸側には砂丘により閉塞した「ザーラ」と呼ばれる湿地があったことが分かった.
3.沿岸流の方向の変化
当時の沿岸流の方向は,緑十字機の燃料タンクの一部が,不時着位置より約14km東の沖合200m付近で発見されたこと,また緑十字機不時着目撃者の証言から,波打ち際に不時着した緑十字機が東へ流されていったことがわかった.以上より,当時の沿岸流の方向は西から東であるということを明らかにした.
一方,現在の沿岸流の方向を調べるため,鮫島海岸の外浜に「うき」を投入して,時間を追った移動経路を追跡した.この結果,「うき」は西から東へ移動していった.以上より,現在の沿岸流の方向は1945年と同じ西から東であることが分かった.
4.水流の速さの推定
始めに汀線に不時着した緑十字機が,どのように移動解体していったのかを調べた.方法は,2017年6月に開催された「緑十字機不時着目撃者から証言を聞く集会」に集まった目撃者からの聞き取り調査と「緑十字機決死の飛行」(岡部英一,2017)に記載されている目撃証言の収集である.
この結果,8月20日の緑十字機不時着当時は原形をとどめていたが,不時着後に襲った台風によって機体が沖に流され始め,解体しながら沈んでいったことが分かった.さらに緑十字機を移動させた原因となる台風について,気象庁の記録から調べたところ,1945年9月17日に戦後2番目の最低気圧を示した「枕崎台風」が来襲していたことが分かった.以上から,緑十字機の移動解体の原因は「枕崎台風」による波浪であることが分かった.
次に機体を移動させた波浪の流速を求めた.流速を計算するため,「水流の抗力が砂と機体の摩擦力より大きくなった時,機体の半分に海水が浸水している緑十字機が流されだす」と仮定して式を立てた.
計算に用いる機体の重量などは岡部英一(2017)に記載されている資料から分かったが,「静止摩擦係数」,「緑十字機の体積」,「揚力・抗力を求める際の代表面積」は記載がなかったので,これらは実験で求めた.この結果,機体内部に浸水した海水も考慮すると1.5m/s以上の流速が必要であることが分かった.この値は台風による波浪の流速に対応し,台風により移動埋没していったという証言と一致する.
5.結論
当時の鮫島海岸の汀線は現在より約100m海側にあり,砂丘や閉塞湿地があった.沿岸流の方向は1945年当時も現在も西から東である.緑十字機の流出移動の原因は枕崎台風の強い波浪であり,その流速は1.5m/s以上であった.