10:45 〜 11:15
[SSS08-13] 海岸低地の堆積物から推定される1703年より前の関東地震
★招待講演
キーワード:関東地震、プレート境界地震、干潟、鎌倉、相模トラフ、海岸低地
関東地震は相模トラフを震源とする巨大地震で、地殻変動の検討から再来周期が180年から400年と考えられている。この再来周期が正しければ、最新は1923年大正関東地震であるので、歴史時代に数回の発生があったはずだが、1つ前の1703年元禄関東地震より前のものに関しては発生時期に定説がない。
定説を持つに至らない理由は大きく分けて2つある。1つは、関東地震によって相模湾沿岸は隆起するものの、地震間の沈降によって、地震による隆起がほとんど残存しないためである。海岸地域の隆起履歴の解明には、海岸段丘の解析がもっとも有力であるが、正味の隆起量がほとんど無いこの地域においては、海岸段丘がないか、あっても貧弱かつ不明瞭で、十分な解析が出来ない。もう1つは、地震の記録はたくさんあるものの、被害の拡がりを把握するには至らず、地震の大きさの評価が難しいためである。地震の被害が少なくとも南関東全域に認められれば、関東地震である可能性が高くなるが、近世より前の歴史記録はほぼ鎌倉における被害に関する記述に留まる。
神奈川県では、2011年の東日本大震災による津波被害を受け、沿岸における津波堆積物の有無を3カ年にわたって調査したが、その結果、海岸低地が陸化するプロセスと、その年代が明らかになった。このうち、鎌倉・逗子地域の海岸低地は6ka前後の内湾堆積物の上に、歴史時代の干潟堆積物が直接載り、それが河川堆積物や砂丘砂に覆われる、また、内湾堆積物と干潟堆積物の境界は現在の海水準付近にあるという共通した層序を有していることが判明した。しかし、干潟堆積物の年代は3グループに別れ、それぞれ18世紀、13世紀、9世紀を示す。これらはそれぞれ、元禄関東、1257年正嘉および1293年正応、878年元慶に近接している。また、古い干潟堆積物ほど、内陸側で検出された。
干潟堆積物の形成過程は先行研究が乏しいが、高潮や洪水により堆積物は比較的短期間で入れ替わっているものと考えられる。干潟堆積物が地層中に残存するためには、隆起して高エネルギーの環境から離れ、浸食を免れる必要がある。したがって、干潟堆積物が古地震の年代に近接しているのは、地震による一時的な隆起とそれにより上位に河川堆積物や砂丘砂が堆積して波浪による浸食から保護された為であると考えられる。
本研究は、正味の隆起量がほとんど無い海岸低地においても、隆起を伴う地震の履歴を、大量のボーリングと年代測定を元に解明できる可能性を示唆している。一方、この方法の信頼性を向上させるためには、干潟堆積物中の年代試料の年代分布など、海岸低地の地層形成過程に関する研究も併せて進行させる必要がある。
【参考文献】Mannen, K., Yoong, K. H., Suzuki, S., Matsushima, Y., Ota, Y., Kain, C. L., & Goff, J. (2017). History of ancient megathrust earthquakes beneath metropolitan Tokyo inferred from coastal lowland deposits. Sedimentary Geology. https://doi.org/10.1016/j.sedgeo.2017.11.014
定説を持つに至らない理由は大きく分けて2つある。1つは、関東地震によって相模湾沿岸は隆起するものの、地震間の沈降によって、地震による隆起がほとんど残存しないためである。海岸地域の隆起履歴の解明には、海岸段丘の解析がもっとも有力であるが、正味の隆起量がほとんど無いこの地域においては、海岸段丘がないか、あっても貧弱かつ不明瞭で、十分な解析が出来ない。もう1つは、地震の記録はたくさんあるものの、被害の拡がりを把握するには至らず、地震の大きさの評価が難しいためである。地震の被害が少なくとも南関東全域に認められれば、関東地震である可能性が高くなるが、近世より前の歴史記録はほぼ鎌倉における被害に関する記述に留まる。
神奈川県では、2011年の東日本大震災による津波被害を受け、沿岸における津波堆積物の有無を3カ年にわたって調査したが、その結果、海岸低地が陸化するプロセスと、その年代が明らかになった。このうち、鎌倉・逗子地域の海岸低地は6ka前後の内湾堆積物の上に、歴史時代の干潟堆積物が直接載り、それが河川堆積物や砂丘砂に覆われる、また、内湾堆積物と干潟堆積物の境界は現在の海水準付近にあるという共通した層序を有していることが判明した。しかし、干潟堆積物の年代は3グループに別れ、それぞれ18世紀、13世紀、9世紀を示す。これらはそれぞれ、元禄関東、1257年正嘉および1293年正応、878年元慶に近接している。また、古い干潟堆積物ほど、内陸側で検出された。
干潟堆積物の形成過程は先行研究が乏しいが、高潮や洪水により堆積物は比較的短期間で入れ替わっているものと考えられる。干潟堆積物が地層中に残存するためには、隆起して高エネルギーの環境から離れ、浸食を免れる必要がある。したがって、干潟堆積物が古地震の年代に近接しているのは、地震による一時的な隆起とそれにより上位に河川堆積物や砂丘砂が堆積して波浪による浸食から保護された為であると考えられる。
本研究は、正味の隆起量がほとんど無い海岸低地においても、隆起を伴う地震の履歴を、大量のボーリングと年代測定を元に解明できる可能性を示唆している。一方、この方法の信頼性を向上させるためには、干潟堆積物中の年代試料の年代分布など、海岸低地の地層形成過程に関する研究も併せて進行させる必要がある。
【参考文献】Mannen, K., Yoong, K. H., Suzuki, S., Matsushima, Y., Ota, Y., Kain, C. L., & Goff, J. (2017). History of ancient megathrust earthquakes beneath metropolitan Tokyo inferred from coastal lowland deposits. Sedimentary Geology. https://doi.org/10.1016/j.sedgeo.2017.11.014