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[SVC43-16] 磐梯火山,大同元年(806年)噴火の再検討
キーワード:磐梯火山、大同元年、山体崩壊、水蒸気噴火
1888年噴火以前の磐梯火山における有史の活動として,806年(大同元年)の記録があるものの,その実態はこれまで深く検討されていなかった.これは,會津舊事雑考に記述された東北地方で当時最大の寺院であった磐梯町の恵日寺縁起中の天変地異を,噴火と解釈したものである.すなわち,「空海建於磐梯山恵日寺(中略)磐梯山舊稱病腦山此山乃東嶽二山風氣惡作瘴妨稼穡且以南十餘郷民屋俄有爲湖水等水變故」とある.この記述のみからは水變とされた災害が何か判断できないが,新編會津風土記にある磐梯山の山崩れによる東山麓酸川沿いでの河川閉塞と決壊による水害記述,この酸川の水害が大同年間に起きたとする姫橋神社(猪苗代町)の社記,南山麓にある磐椅神社(猪苗代町)が大同元年夏の磐梯山破裂により社殿損壊したとする磐椅明神旧記など具体的な記述も別に存在する.また,酸川(現七瀬川)沿いから産出した埋没樹木からは平安時代初頭を示す年代がこれまでも報告されており,大規模な土砂災害が東山麓で起きたことは確実であろう.この災害は,おそらく櫛ヶ峰北北東斜面が小規模な山体崩壊を起こし,土湯沢を流れ下って起きたもので,その誘因は南麓社殿を壊した地震であったとみられる.一方,山頂部の沼ノ平や中ノ湯周辺には完新世の水蒸気爆発堆積物群が存在し,1888年堆積物の直下のものは806年噴火の産物である可能性が高いとみなされていた.しかし,中ノ湯の本堆積物基底から採取した木片を測定した結果,2540±20yBPの放射性炭素年代が得られた.この値は東山麓の琵琶沢岩屑なだれ堆積物から報告されていたものと完全に一致しており,両者は一連の活動で形成されたものと考えられる.従って, 806年の山体崩壊は,顕著な噴火を伴っていなかった可能性が大きい.また,さらに下位の八方台火口列噴出物基底の木片からは11210±40yBPの放射性炭素年代が得られ,同火口列から北に流れ出た望湖台溶岩(新称)もこの噴火で形成されたとみられる.