[HDS15-P11] 米軍空中写真を用いた1947年カスリーン台風における河川氾濫に伴う赤城山南麓の建物被害の復元と建物被害集中域の土地条件の検討
キーワード:1947年カスリーン台風、洪水リスク評価、浸水建物被害、米軍空中写真、赤城山南麓
1.はじめに
地域における洪水リスク評価には、過去の浸水履歴が重要な基礎資料となる。また、近年の自然災害の多発により、学校現場における防災教育や災害リスク管理などの強化が求められている。赤城山南麓では、1947年カスリーン台風がもたらした多量の降雨により多くの領域で浸水被害が発生したが、その分布や土地条件などについて、詳細な検討が行われてきたとは言い難い。それらのことを背景として、本発表では、カスリーン台風における河川氾濫による浸水および浸水被害について、地表状態を明瞭に判読できる米軍撮影空中写真が存在する赤城山南麓を対象として、空中写真の判読とGIS(地理情報システム)を活用した浸水域および浸水被害状況の詳細な復元、および浸水域と浸水(建物)被害発生地点の土地条件の検討、調査対象地域内に立地する小・中学校のカスリーン台風における浸水履歴の有無について検討を行った。なお、本発表は、第二著者の齋藤の修士論文における研究成果に基づく。
2.研究方法
1)カスリーン台風における浸水域を復元するため、発災後の1947年、1948年に米軍が撮影したモノクロ空中写真を用いた判読を行った。また、市町村史におけるカスリーン台風による浸水状況や被害に関する記述を抽出し、その一部に関しては上述の米軍撮影空中写真の判読による照合・確認を行った。2)本調査対象地域の地形条件を明らかにするため、おもに1961年国土地理院撮影空中写真の実体視による判読と現地踏査により、地形分類図を作成した。3)河川氾濫による甚大な建物被害が多数発生した伊勢崎市中心部広瀬川右岸域と前橋市大胡町中心部を対象として、発災前後の米軍撮影空中写真の判読により流失建物や浸水建物などの抽出を行った。4)それらの甚大な建物被害が生じた2つの地域においては、カスリーン台風がもたらした河川氾濫による浸水状況や浸水被害などに関する住民への聞き取り調査を実施した。5)米軍撮影空中写真の判読から得られた浸水域や建物被害発生地点などの土地条件について、GISを用いた解析から検討を行った。
3.結果と考察
浸水域の認定に関しては、洪水流がもたらした土砂(洪水堆積物)や流失建物などの存在が確認された領域を明瞭な浸水域、洪水堆積物が薄く被覆(堆積)し、空中写真の画像上で白っぽく見える領域を不明瞭な浸水域として認定した。
調査対象地域を流下する赤城白川、荒砥川、粕川、桃ノ木川、広瀬川のいずれの流域においても洪水堆積物が分布しており、明瞭・不明瞭な浸水域が存在することを確認できた。伊勢崎市中心部広瀬川右岸域では、河道沿いの多くの建物が流失、浸水していた。大胡町中心部では荒砥川の氾濫により広範囲が浸水し、多くの建物が流失、浸水したことが判読された。伊勢崎市中心部広瀬川右岸域に設定した調査対象地域内において、地形条件ごとの建物流失被害発生率をみると、旧河道では74.2%の建物が流失した一方で、自然堤防上では10.6%であり、建物流失被害は旧河道に集中的に発生していた。この理由として、攻撃斜面側の左岸域に河床からの比高の大きい火山麓扇状地が存在し、右岸域には微高地(自然堤防)が存在するといった地形的制約によって、相対的な低標高域を形成する旧河道に速い流速の洪水流が集中して流下したことが考えられる。前橋市大胡町中心部に設定した調査対象地域内においても、高水敷に存在していた建物はすべて流出し、谷底平野(17.5%)、低位段丘(4.5%)などにおいて建物流失が生じた。この地区では、荒砥川からの洪水流は火山麓扇状地や火砕流台地などの河床からの比高が大きい地形によって流路が規制され、谷底平野上に集中的に流下し、河床からの比高が数m程度の低位段丘上も浸水し、甚大な建物被害が生じたと考えられた。これら両地区では、河川氾濫の状況や浸水被害に関する情報について、住民を対象とした聞き取り調査からも得ることができた。
赤城山南麓の調査対象地域内に存在する小・中学校は48校(前橋市29校、伊勢崎市19校)あり、カスリーン台風における浸水の有無をみると、カスリーン台風時に浸水した地点に立地する小・中学校は12校(25%)存在していることが明らかとなった。それらの浸水履歴を有する小・中学校のなかにはハザードマップに浸水の危険度(浸水深)が図示されていないものもあり、学校が立地している土地条件や洪水リスクを十分に把握・検討し、必要に応じた対策を講ずる必要がある。
地域における洪水リスク評価には、過去の浸水履歴が重要な基礎資料となる。また、近年の自然災害の多発により、学校現場における防災教育や災害リスク管理などの強化が求められている。赤城山南麓では、1947年カスリーン台風がもたらした多量の降雨により多くの領域で浸水被害が発生したが、その分布や土地条件などについて、詳細な検討が行われてきたとは言い難い。それらのことを背景として、本発表では、カスリーン台風における河川氾濫による浸水および浸水被害について、地表状態を明瞭に判読できる米軍撮影空中写真が存在する赤城山南麓を対象として、空中写真の判読とGIS(地理情報システム)を活用した浸水域および浸水被害状況の詳細な復元、および浸水域と浸水(建物)被害発生地点の土地条件の検討、調査対象地域内に立地する小・中学校のカスリーン台風における浸水履歴の有無について検討を行った。なお、本発表は、第二著者の齋藤の修士論文における研究成果に基づく。
2.研究方法
1)カスリーン台風における浸水域を復元するため、発災後の1947年、1948年に米軍が撮影したモノクロ空中写真を用いた判読を行った。また、市町村史におけるカスリーン台風による浸水状況や被害に関する記述を抽出し、その一部に関しては上述の米軍撮影空中写真の判読による照合・確認を行った。2)本調査対象地域の地形条件を明らかにするため、おもに1961年国土地理院撮影空中写真の実体視による判読と現地踏査により、地形分類図を作成した。3)河川氾濫による甚大な建物被害が多数発生した伊勢崎市中心部広瀬川右岸域と前橋市大胡町中心部を対象として、発災前後の米軍撮影空中写真の判読により流失建物や浸水建物などの抽出を行った。4)それらの甚大な建物被害が生じた2つの地域においては、カスリーン台風がもたらした河川氾濫による浸水状況や浸水被害などに関する住民への聞き取り調査を実施した。5)米軍撮影空中写真の判読から得られた浸水域や建物被害発生地点などの土地条件について、GISを用いた解析から検討を行った。
3.結果と考察
浸水域の認定に関しては、洪水流がもたらした土砂(洪水堆積物)や流失建物などの存在が確認された領域を明瞭な浸水域、洪水堆積物が薄く被覆(堆積)し、空中写真の画像上で白っぽく見える領域を不明瞭な浸水域として認定した。
調査対象地域を流下する赤城白川、荒砥川、粕川、桃ノ木川、広瀬川のいずれの流域においても洪水堆積物が分布しており、明瞭・不明瞭な浸水域が存在することを確認できた。伊勢崎市中心部広瀬川右岸域では、河道沿いの多くの建物が流失、浸水していた。大胡町中心部では荒砥川の氾濫により広範囲が浸水し、多くの建物が流失、浸水したことが判読された。伊勢崎市中心部広瀬川右岸域に設定した調査対象地域内において、地形条件ごとの建物流失被害発生率をみると、旧河道では74.2%の建物が流失した一方で、自然堤防上では10.6%であり、建物流失被害は旧河道に集中的に発生していた。この理由として、攻撃斜面側の左岸域に河床からの比高の大きい火山麓扇状地が存在し、右岸域には微高地(自然堤防)が存在するといった地形的制約によって、相対的な低標高域を形成する旧河道に速い流速の洪水流が集中して流下したことが考えられる。前橋市大胡町中心部に設定した調査対象地域内においても、高水敷に存在していた建物はすべて流出し、谷底平野(17.5%)、低位段丘(4.5%)などにおいて建物流失が生じた。この地区では、荒砥川からの洪水流は火山麓扇状地や火砕流台地などの河床からの比高が大きい地形によって流路が規制され、谷底平野上に集中的に流下し、河床からの比高が数m程度の低位段丘上も浸水し、甚大な建物被害が生じたと考えられた。これら両地区では、河川氾濫の状況や浸水被害に関する情報について、住民を対象とした聞き取り調査からも得ることができた。
赤城山南麓の調査対象地域内に存在する小・中学校は48校(前橋市29校、伊勢崎市19校)あり、カスリーン台風における浸水の有無をみると、カスリーン台風時に浸水した地点に立地する小・中学校は12校(25%)存在していることが明らかとなった。それらの浸水履歴を有する小・中学校のなかにはハザードマップに浸水の危険度(浸水深)が図示されていないものもあり、学校が立地している土地条件や洪水リスクを十分に把握・検討し、必要に応じた対策を講ずる必要がある。