日本地球惑星科学連合2019年大会

講演情報

[J] ポスター発表

セッション記号 M (領域外・複数領域) » M-IS ジョイント

[M-IS17] 歴史学×地球惑星科学

2019年5月27日(月) 17:15 〜 18:30 ポスター会場 (幕張メッセ国際展示場 8ホール)

コンビーナ:加納 靖之(東京大学地震研究所)、芳村 圭(東京大学生産技術研究所)、磯部 洋明(京都市立芸術大学美術学部)、岩橋 清美(国文学研究資料館)

[MIS17-P16] 古絵図から特定する安政東海地震における浜名湖周辺の津波痕跡について

*蝦名 裕一1今井 健太郎2都司 嘉宣3岩瀬 浩之4 (1.東北大学災害科学国際研究所、2.国立研究開発法人海洋研究開発機構、3.公益財団法人深田地質研究所、4.株式会社エコー)

キーワード:安政東海地震津波、浜名湖、古地図

本報告では1854年(嘉永7年/安政1年)に発生した安政東海地震における浜名湖周辺の津波被害について描いた絵図、「舞坂宿津波図」および「安政地震津波災害絵図」(浜松市博物館所蔵)の分析から、津波の到達点を特定するものである。
 浜名湖東岸に位置する舞坂宿(現在の静岡県浜松市西区舞阪町)は、東海道の宿場町として栄えた地域である。『静岡県史 自然災害編』(1996)によると「舞坂宿津波図」は、舞坂宿の住人であった渡辺八郎平が、安政東海地震の発生時に津波に浸水した舞坂宿の様子を描いたものであり、標高の高い「氏神社」や「宝登山」に避難した人々が集まっている様子をみることができる。街道の浸水点として、東側新町では常夜灯付近まで津波が浸水している様子が読み取れる。また、西側の西町における津波で浸水した「指月院」の付近に階段状の描写がされている。これは『東海道分限延絵図』で「往古上り場」と呼ばれる場所であり、当時浜名湖東岸に存在した脇本陣・問屋場の数件東側まで浸水していたことがわかる。
 「安政地震津波災害絵図」(内山富寿画)は、安政東海地震津波の発生当時、奥浜名湖気賀地方に押し寄せた津波の様子と、津波が引いた後の状況を2枚の絵図の重ね合わせで表現をしたものである。ここでは浜名湖北側の通る、いわゆる姫街道を目印として、いくつかの津波到達点を読み取ることができる。津波発生時の絵図を見ると、姫街道の往来を監視する気賀関所の門前まで津波が到達しているが、関所本体には津波が浸水していないことが読み取れる。また、「二ノ宮社」付近の「小森沢」や「岩根沢」といった場所では、姫街道付近が津波の到達点として描かれている。さらに、奥浜名湖に流れ込む郁田川河口部に位置する「大円寺」は、墓地となっている山周辺が水没している様子が描かれている。
 浜名湖周辺、特に奥浜名湖周辺は津波到達点について明確な場所を記載した文献が乏しいが、これらの絵図の分析からいくつかの津波痕跡点を得ることができた。これらの痕跡点を、津波工学をはじめとした他分野連携による研究によって、過去の南海トラフ巨大地震の詳細の解明に繋がれば幸いである。

 〔謝辞〕
 H25-32年度文部科学省「南海トラフ広域地震防災研究プロジェクト」(研究代表者:海洋研究開発機構 金田義行)の成果の一部です.ここに記して感謝の意を表します.