[MIS20-P01] 天城火山南東部・白田川流域における更新世後期以降の段丘地形と地すべり地形の発達
キーワード:最終氷期、堆積段丘、侵食段丘、地すべり、テフロクロノロジー
伊豆半島の天城火山は,その南東麓を流れる白田川とその支流により著しく開析されている.白田川流域では段丘地形が発達し,最上流部には大規模地すべり移動体も分布する.本研究では,これらの地形の特性を明らかにし,最近数万年間の発達史を編んだ.【段丘地形】白田川河口から1.5~5 km付近で段丘地形が特に発達する.段丘面は高位からH,MおよびL面に区分される.H面は現河床との比高が140~150 m と大きいが,分布は狭い.段丘面構成層は確認中である.M面は比高50 m前後で,3面のうち面積が最も大きい.構成層は亜角礫・亜円礫を主とし,淘汰はきわめて悪い.L面は比高が数m~30 mと小さく,面は細分可能である.構成層はM面と同様である.【地すべり地形】白田川支流の川久保川と堰口川の上流部に,それぞれ大規模地すべり移動体が分布する(1.9 km2,9.5×107m3および1.4 km2,7.3×107m3).【地形編年】M面は東伊豆単成火山群・堰口スコリア丘から噴出したテフラ層(19 ka)や火山灰土に覆われる.このテフラ層の下位には段丘面構成層まで100 cm以上の風成層(約14 ky相当)が挟まれることから,M面の離水は33 ka頃かそれ以前と推定される.これは,M面の投影縦断面延長部が河口の数100 m上流で現海面以低となることと調和的である.【地形発達史】地形や構成層からみてM面は土石流性堆積段丘と判断される.L面はM面と同様の構成層をもつので,M面離水後に生じた侵食段丘である.段丘面の分布形態や傾斜方向から,M面の形成にあづかった土砂(土石流)の供給源は上流の地すべり地と考えるのが妥当である.白田川流域の地形発達史は次のようになる.1)天城火山の活動中から終了後にかけて,基盤岩と天城火山体を刻む深い開析谷が形成された.2)その際,谷の上流域で大規模地すべりが発生し,大量の不安定な土砂が生産された.3)土砂は土石流となって流下し,谷を埋めてM面を形成した.最終氷期後半の低海面期にあたる可能性がある.4)晩氷期以降,日本列島の多雨化,流域の土砂供給量の減少および海面の上昇に伴って白田川中流部で下刻が生じ,M面が段丘化した.5)下刻の進行でM面の下位にL面が形成された.6)川久保川に比べて堰口川で段丘の発達が乏しいのは,後者の方が土砂運搬量が少なかったことが主因であろう.同川上流の地すべりの発生年代が新しいことや,移動体の解体(二次移動)が不活発なことが想定される.