[MZZ51-P02] 層序学における「ステノ革命」再考―『プロドロムス』(1669年)から「人新世」まで
キーワード:ニコラウス・ステノ、層序学、科学革命
1669年にデンマークの解剖学者ニコラウス・ステノ(1638-1686)が『プロドロムス―固体論』を出版したとき、地質学史は層序学上の革命を経験したと言われ、「ステノ革命 Stenonian Revolution」と名づけられている(Herries Davies 1989, グールド 1988)。しかし本研究によれば、「ステノ革命」は単に層序学上の革命にとどまらず、スピノザの仕事が示唆する「自然史」概念の発出やライプニッツの実践が体現する「地権力」の出現を含意していた。本発表ではそういう意味での「ステノ革命」の現代的意義を議論する。
第一に、いわばステノ-スピノザ革命 Steno-Spinozian Revolution というべき側面がある。すでに一昨年の発表で触れたように(山田 2017)、ステノの『プロドロムス』(1669年)は、地殻を構成する物体間に生成の前後関係を読み取る原理を確立したことによって、「地球史」を議論する枠組みを形成した。これは Vaccari (2006) のいう「ステノの遺産 Stenonian Heritage」のイタリアにおける相続により、アルドゥイノの第四紀概念に結実し、19世紀の地質時代整備の礎となる。しかし一方では、ステノ自身がキリスト教年代記の枠組みを放棄していなかったように、近代的な自然史概念の生成には、スピノザの『神学・政治論』(1670年)に見られるような聖書解釈の問題への批判が不可欠であった。ステノの友人であったスピノザの思考を考慮してはじめて「革命」の性格が明確化するのである。
第二に、いわばステノ-ライプニッツ革命 Steno-Leibnizian Revolution と呼ぶべき側面がある。ステノがハノーファーで同僚であったライプニッツは、ステノから影響を受けて『プロトガイア』(1749年)を執筆するが、同時にハルツ山脈の鉱山開発に従事していた(Yamada 2003)。彼は明確に、資源開発を通じて国富を生み出し、産業と学問を発展させることを構想していた。ここには今日問題とされる人為が地球史に関与する時代の認識である「人新世」の問題と共通する意識が見られるのである(Cf. ボヌイユ・フレソズ 2018)。
第一に、いわばステノ-スピノザ革命 Steno-Spinozian Revolution というべき側面がある。すでに一昨年の発表で触れたように(山田 2017)、ステノの『プロドロムス』(1669年)は、地殻を構成する物体間に生成の前後関係を読み取る原理を確立したことによって、「地球史」を議論する枠組みを形成した。これは Vaccari (2006) のいう「ステノの遺産 Stenonian Heritage」のイタリアにおける相続により、アルドゥイノの第四紀概念に結実し、19世紀の地質時代整備の礎となる。しかし一方では、ステノ自身がキリスト教年代記の枠組みを放棄していなかったように、近代的な自然史概念の生成には、スピノザの『神学・政治論』(1670年)に見られるような聖書解釈の問題への批判が不可欠であった。ステノの友人であったスピノザの思考を考慮してはじめて「革命」の性格が明確化するのである。
第二に、いわばステノ-ライプニッツ革命 Steno-Leibnizian Revolution と呼ぶべき側面がある。ステノがハノーファーで同僚であったライプニッツは、ステノから影響を受けて『プロトガイア』(1749年)を執筆するが、同時にハルツ山脈の鉱山開発に従事していた(Yamada 2003)。彼は明確に、資源開発を通じて国富を生み出し、産業と学問を発展させることを構想していた。ここには今日問題とされる人為が地球史に関与する時代の認識である「人新世」の問題と共通する意識が見られるのである(Cf. ボヌイユ・フレソズ 2018)。