[O08-P23] 熊野古道大辺路刈り開き隊の活動概要
キーワード:ジオパーク、熊野古道、保全
熊野古道大辺路刈り開き隊の活動概要
これまでの活動
熊野信仰の中心地である熊野三山への参詣道(熊野古道)のうち、海岸回りで平地が少ない大辺路は近代になって古道の道筋に重なるかたちで鉄道や自動車道の敷設がすすみ、使われなくなった古道は、その道筋も不明になることが多かった。こうした中、失われた古道の探索活動を行なっていた有志が熊野古道大辺路刈り開き隊を2004年に結成。古老からの聞き取りや明治初期の古地図に残されたルートの探索などから海岸段丘を上下する古道を発見することができた。海岸段丘には住宅が建てられ、イモや麦をつくっていた耕作地は放棄され、古道は倒木や土砂に埋もれ、シダが茂って存在すら忘れられていた。こうして大辺路刈り開き隊の地道な活動によって、田辺市から那智勝浦町に至る約120kmに至る大辺路の道筋がほぼ明らかになり、古道、町道、県道、国道を繋いで歩くことができるようになった。こうした活動が実を結び、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」への大辺路の登録区間は当初登録の10kmに新たに4kmが2017年に追加された。大辺路の調査活動が一段落した2014年ごろから、かつて大辺路と並ぶ主要街道であった上富田町から串本町古座に至る古座街道80kmを調査し、ルートすべてを歩けるように整備した。大辺路と古座街道沿道には南紀熊野ジオパークの主要ジオサイトが点在し、また吉野熊野国立公園や県立自然公園エリアでもあり、大辺路刈り開き隊隊員の多くがジオパークガイド養成講座を終了、自然公園指導員にも登録するなどして、ガイドや自然保護活動を行なっている。また、大辺路沿線の熊野灘の古式捕鯨遺産が「日本遺産-鯨とともに生きる」に認定されたことから、隊員の多くが日本遺産のガイド講習も受講し、このガイド活動も合わせて行っている。
地域への効果、反響
中世以来、上皇の熊野詣ルートであった中辺路などと比べ、知名度、通行量で劣る大辺路であったが、隊員の手によるイラストマップの作成、道標設置、観光協会や旅行会社と協力したガイドウォーク実施、地域の高校の世界遺産学習の一環として生徒との道普請活動実施などを積極的に行い、普及啓発活動につとめている。とくに古座街道は古道としての目新しさが注目を集め、従来の古道歩きを経験した層にアピールして、旅行会社の主催ウォークで、3年間にのべ1500人以上の集客があった。
反省点、改善点
近年インバウンドの外国人客で賑わう中辺路などと比べ、大辺路への外国人の出足はあまり多くない。原因のひとつとして、英文など外国語のマップや道標などの情報発信力に劣る点があげられる。大辺路は海浜風景に優れ、ジオパーク、世界遺産、自然公園、日本遺産などの資源に恵まれており、こうした資産の有効活用を図っていく必要がある。
今後の課題
大辺路や古座街道の古道は、古道のほとんどが植林地内をたどる中辺路とは異なり、暖地性のシイ、カシ類主体の紀伊半島ならではの照葉樹林に覆われた古道ウォークを楽しむことができる。自然豊かな天然林は人工林より自然災害に強いと思われがちだが、昭和30年代に始まった化石燃料へのエネルギー革命によって天然林に人が入ることがなくなり、林内は荒廃がすすみ、台風通過後の天然林沿いの古道は倒木に覆われることになる。さらにイノシシの給餌行動により古道はいたるところ掘削され、荒れてしまい、いくら整備しても、その都度掘り返され、いたちごっこが続く。山林の荒廃は豪雨に弱く、急な出水で谷に架けた丸木橋もしばしば流され、復旧や架け替えが必要になる。また、石畳を敷き詰めた古道は、山腹からの出水によって敷石が流出したり、土砂や木の枝などが流入し荒廃する。石畳道には古来から「あらいごし」という排水路が設けられているが、埋もれて用をなさない場合が多い。古道が現役だった時代は住民総出の道普請が当たり前であったが、車道が整備されるに伴い、それも行われなくなってしまった。大辺路刈り開き隊は世界遺産登録に伴い、古道の定期的にパトロールを行なっており、必要な道普請や道標整備を行なっているが、今後、古道の魅力を伝え、より快適な古道ウォークを提供していくために、一層の保全活動と隊員確保につとめていく必要があると感じている。
これまでの活動
熊野信仰の中心地である熊野三山への参詣道(熊野古道)のうち、海岸回りで平地が少ない大辺路は近代になって古道の道筋に重なるかたちで鉄道や自動車道の敷設がすすみ、使われなくなった古道は、その道筋も不明になることが多かった。こうした中、失われた古道の探索活動を行なっていた有志が熊野古道大辺路刈り開き隊を2004年に結成。古老からの聞き取りや明治初期の古地図に残されたルートの探索などから海岸段丘を上下する古道を発見することができた。海岸段丘には住宅が建てられ、イモや麦をつくっていた耕作地は放棄され、古道は倒木や土砂に埋もれ、シダが茂って存在すら忘れられていた。こうして大辺路刈り開き隊の地道な活動によって、田辺市から那智勝浦町に至る約120kmに至る大辺路の道筋がほぼ明らかになり、古道、町道、県道、国道を繋いで歩くことができるようになった。こうした活動が実を結び、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」への大辺路の登録区間は当初登録の10kmに新たに4kmが2017年に追加された。大辺路の調査活動が一段落した2014年ごろから、かつて大辺路と並ぶ主要街道であった上富田町から串本町古座に至る古座街道80kmを調査し、ルートすべてを歩けるように整備した。大辺路と古座街道沿道には南紀熊野ジオパークの主要ジオサイトが点在し、また吉野熊野国立公園や県立自然公園エリアでもあり、大辺路刈り開き隊隊員の多くがジオパークガイド養成講座を終了、自然公園指導員にも登録するなどして、ガイドや自然保護活動を行なっている。また、大辺路沿線の熊野灘の古式捕鯨遺産が「日本遺産-鯨とともに生きる」に認定されたことから、隊員の多くが日本遺産のガイド講習も受講し、このガイド活動も合わせて行っている。
地域への効果、反響
中世以来、上皇の熊野詣ルートであった中辺路などと比べ、知名度、通行量で劣る大辺路であったが、隊員の手によるイラストマップの作成、道標設置、観光協会や旅行会社と協力したガイドウォーク実施、地域の高校の世界遺産学習の一環として生徒との道普請活動実施などを積極的に行い、普及啓発活動につとめている。とくに古座街道は古道としての目新しさが注目を集め、従来の古道歩きを経験した層にアピールして、旅行会社の主催ウォークで、3年間にのべ1500人以上の集客があった。
反省点、改善点
近年インバウンドの外国人客で賑わう中辺路などと比べ、大辺路への外国人の出足はあまり多くない。原因のひとつとして、英文など外国語のマップや道標などの情報発信力に劣る点があげられる。大辺路は海浜風景に優れ、ジオパーク、世界遺産、自然公園、日本遺産などの資源に恵まれており、こうした資産の有効活用を図っていく必要がある。
今後の課題
大辺路や古座街道の古道は、古道のほとんどが植林地内をたどる中辺路とは異なり、暖地性のシイ、カシ類主体の紀伊半島ならではの照葉樹林に覆われた古道ウォークを楽しむことができる。自然豊かな天然林は人工林より自然災害に強いと思われがちだが、昭和30年代に始まった化石燃料へのエネルギー革命によって天然林に人が入ることがなくなり、林内は荒廃がすすみ、台風通過後の天然林沿いの古道は倒木に覆われることになる。さらにイノシシの給餌行動により古道はいたるところ掘削され、荒れてしまい、いくら整備しても、その都度掘り返され、いたちごっこが続く。山林の荒廃は豪雨に弱く、急な出水で谷に架けた丸木橋もしばしば流され、復旧や架け替えが必要になる。また、石畳を敷き詰めた古道は、山腹からの出水によって敷石が流出したり、土砂や木の枝などが流入し荒廃する。石畳道には古来から「あらいごし」という排水路が設けられているが、埋もれて用をなさない場合が多い。古道が現役だった時代は住民総出の道普請が当たり前であったが、車道が整備されるに伴い、それも行われなくなってしまった。大辺路刈り開き隊は世界遺産登録に伴い、古道の定期的にパトロールを行なっており、必要な道普請や道標整備を行なっているが、今後、古道の魅力を伝え、より快適な古道ウォークを提供していくために、一層の保全活動と隊員確保につとめていく必要があると感じている。