日本地球惑星科学連合2019年大会

講演情報

[J] ポスター発表

セッション記号 S (固体地球科学) » S-VC 火山学

[S-VC35] 火山防災の基礎と応用

2019年5月27日(月) 17:15 〜 18:30 ポスター会場 (幕張メッセ国際展示場 8ホール)

コンビーナ:宝田 晋治(産業技術総合研究所活断層・火山研究部門)、吉本 充宏(山梨県富士山科学研究所)、石峯 康浩(鹿児島大学地震火山地域防災センター)、久保 智弘(防災科学技術研究所)

[SVC35-P01] 1914年櫻島噴火を描いた油絵

*室谷 智子1 (1.国立科学博物館)

キーワード:1914年(大正3年)桜島噴火、油絵、大森房吉、黒田清輝、大牟礼南塘、山下兼秀

国立科学博物館(以下,科博)に残る地震資料の一部は東京帝国大学地震学教室に由来するものであるが,その中に,1914年(大正3年)1月12日から始まった桜島噴火の様子を描いた3枚の油絵が残されていた(サイズ:約805mm×610mm×20mm).キャンバスには油絵具で,2枚には「NANTO OMURE 1914」,1枚には「KANEHIDE YAMASHITA 1914」とサインが描かれてあった.さらに「KANEHIDE YAMASHITA」による油絵の裏面木枠の中桟に,「大正三年一月十三日夜十一時之櫻島 鹿児島 山下兼秀」と墨で書かれていた.これらは,日本を代表する鹿児島県出身の洋画家・黒田清輝の弟子で,同じく鹿児島出身の大牟礼南塘,山下兼秀によって描かれたものである.大牟礼南塘の筆によるもののうち1枚は,噴火後に桜島の現地調査を行った東京帝国大学の地震学者・大森房吉の依頼によって描かれたものであることが分かった.『大正三年櫻島大爆震記』(1916,鹿児島新聞記者編)にこの絵の写真が掲載されており,「大森博士の依嘱に依り大牟礼南濤画伯の描ける爆発當時の櫻島 見よ,閃々たる電光,流星の如き噴石」と紹介されている.黒田はたまたま噴火時に鹿児島に帰省しており,噴火の様子を目撃し,スケッチに残している(後にこれらのスケッチを今村明恒に油彩画にして渡しており,現在は鹿児島市立美術館に残されている).大森が調査のために桜島に到着したのは1月16日であったため,噴火直後の桜島は見ていない.噴火時の電光が見たかったが,黒田が電光の様子を描いたスケッチが非常に参考になると当時の新聞にコメントが残っており(大阪毎日新聞,1月20日発行),噴火直後の様子を描いてくれるよう同時期に鹿児島にいた弟子の大牟礼や山下に依頼したのではないかと思われる.噴火時の写真はたくさん残されているが白黒であり,油絵具で描かれた噴火直後の様子は,噴煙や電光のすさまじさをまざまざと伝えている.山下による桜島噴火の様子を描いた油絵は,鹿児島市立美術館や鹿児島県立博物館にも数枚残されている.
 これら3枚の絵は,額に入れられて東京帝国大学地震学教室に飾られていたようである.1971年に科博の所蔵資料となったが,当時付けられていた額はすでに無く,経年劣化によるキャンバスの痛みや汚れ,カビ等が見られた.理学資料として当時の災害を知るために貴重であるというだけでなく,美術分野にとっても,鹿児島洋画壇の祖である大牟礼南塘,黄金期を作った山下兼秀によって描かれたこれらの絵は大変貴重であり,科博以外での展示にも耐えられるように額装・修復を行った.描かれてから100年も経っていたためにかなりくすんでいたが,それでも保存状態は良い方だったと思われ,今回の修復によってかなり鮮やかに蘇った.修復前の大牟礼南塘と修復後の山下兼秀の絵は,科博の企画展「標本づくりの技」(会期2018年9月4日~2018年11月25日)にて展示を行った.
 地震や火山に関係する資料は,研究資料や教育目的の理科教材として扱われるだけでなく,歴史的な資料は文化財や美術品としての価値を十分に持ち合わせているものも多い.これらの油絵が美術館や博物館などの展示品として,普段火山噴火や地球科学になじみのない方々にも過去の火山災害を知ってもらえるきっかけとなれば幸いである.