[G01-P02] 1898年八ヶ岳南麓で発生した土石流災害の災害像再構築とアウトリーチ
キーワード:防災教育、土石流災害、歴史資料
1898年(明治31年)9月6日から7日にかけて、台風の影響によって降り続いた雨のために山梨県全域で洪水等による甚大な被害が生じた。中でも7日午前1時30分頃、八ヶ岳南麓の山岳崩壊によって発生した土石流は、麓の北巨摩郡大泉村谷戸(当時)において死者55名、負傷者51名の犠牲者を出した。筆者は、県立図書館にマイクロフィルムで保管されている当時の新聞や、宮内庁保管の「諸国災害実況写真」「暴風雨被害取調表」を参照すると共に、ドローンによる調査を含む現地視察によって、災害の詳しい様相の再現を試みた。歴史的資料から、土石流は宮川の谷の出口で三方に流下したことが分かる。一つは沢の出口が向く南東方向だが、他の二つは南、および南西向きに流下した。そのうち南向きに流下した土石流が谷戸集落を襲い、甚大な被害をもたらした。この災害からすでに110年が経ち、詳しい災害像はもちろん、災害があったことすら大方の地元民の記憶からは消えている。本論文では、歴史資料ならびに土石流シミュレーション等の現代の手段を用いて災害像を再構築することによって、地域住民や行政へのアウトリーチの可能性を探る。