日本地球惑星科学連合2019年大会

講演情報

[J] Eveningポスター発表

セッション記号 H (地球人間圏科学) » H-GG 地理学

[H-GG02] 自然資源・環境の利用・変化・管理:社会科学と地球科学の接点

2019年5月26日(日) 17:15 〜 18:30 ポスター会場 (幕張メッセ国際展示場 8ホール)

コンビーナ:大月 義徳(東北大学大学院理学研究科地学専攻環境地理学講座)、上田 元(一橋大学・大学院社会学研究科)、古市 剛久(北海道大学理学研究院)、佐々木 達(宮城教育大学)

[HGG02-P04] 自然理解の背景となる物語の重要性:フィリピン・ヴィサヤ地域を例として

*伊藤 孝1 (1.茨城大学教育学部)

キーワード:フィリピン、ヴィサヤ、自然、物語、昔話、伝説

子どもは自然との関わりあい,家族や周囲の人たちとの交流,また本やメディアを通してどのような自然観を獲得しているのだろうか。本研究では,フィリピン・ヴィサヤ地域在住の若者(おおむね20代)数10名を対象に,Skypeを介したインタビューを実施し,自然との付き合い方の事例を収集してきた。ここでは月,雨,森に対する理解・経験について紹介したい。
 月:月の模様に関して,日本人にとってのウサギにあたるような共通のイメージはない。極端な場合,月表面に模様があることにほとんど関心が払わず子ども時代を過ごした例もあった。月食に関しては,バクナワという海竜が月を食べたから,という伝説があるが,その浸透度は半数程度である。一方,Gikaon sa Bakunawa(バクナワに食べられた)という言葉だけが生き残り,気付くと人が帰宅してしまっていたり,物がなくなったり,という場面でその言葉が発せされるケースがある。満月はネガティブに扱われていた。満月の夜は怪物・おばけが活発になる日として脅かされた経験を持っており,その日は早く帰宅するよう躾けの一環として使われていた。
 雨:雨に対する印象も大きく日本人と異なっている。特に子ども時代は雨に対してとてもポジティブな印象を持っていたことが浮き彫りになった。雨は恵みであり,暑さを忘れさせる空からの贈り物という理解である。皆,雨のなか泥だらけになり,友達と走り回ったり,天然のシャワーとして身体を洗ったり,という経験を持っていた。一方で過剰な雨に対しては,指で作ったハサミ(チョキ)で雲や雨粒を切るという習慣も残るところがあった。また,帰宅後はシャワーを浴び直し服を着替える,ということに加え,水を沢山飲むよう促された経験がある者が約7割にのぼった。
 森:森については,畏れを抱いている。また,人間以外の何かが住む場所,という教えが深く浸透している。その何か別のものに敬意を払う,もしくは邪魔をしないよう,森のなかではむやみに騒がず,指を差したりしない。また,森のなかに入り込むとき,特に古くて大きな木の脇を横切るとき,さらに用をたすときなど,Tabi tabi(Excuse me)と唱えることが現在も習慣として残っている。
 フィリピンにおいてももちろん,学校教育では日本と同様,自然科学の一環として,月,雨,森は扱われている。一方で,今日においても,ここで紹介したような土着的な考えも浸透しており,現在も人びとの行動にも深く影響を及ぼしていることは記憶に留めたい。特に,フィリピンをフィールドとした自然研究・自然教育プログラム等を実施する場合は,充分な配慮が不可欠と考える。