11:30 〜 11:45
[HQR05-04] 関東平野東縁にMIS 5a-c海成段丘は存在するか?
★招待講演
キーワード:OSL年代、第四紀、関東平野
プレート境界の三重会合点にほど近い関東平野には,日本列島最大の第四紀堆積盆が分布するが,その地殻変動像は古くて新しい問題である.最終間氷期(MIS 5e)に対比される海成段丘面が平野全体に広く発達し,その高度分布は全体的な隆起と部分的な隆起・沈降を示す.ただし,より長期では沈降していた堆積盆がいつからどのように隆起を始めたのかは明らかではない.相対的な沈降域とされる平野中央部では,MIS 5e以降の沈降速度の減少や沈降中心の移動が示唆される.また,隆起速度の大きい平野東端の飯岡台地では,MIS 5eに対比されてきた海成段丘の一部をMIS 5a〜5cに対比する証拠が得られている.MIS 5a〜5cの海面はMIS 5eよりも数十メートル低い.こうした見直しは,MIS 5e以降の単調な隆起という従来の構造運動像にも一考の余地があることを示している.
ここでは,関東平野東縁においてMIS 5eに対比されてきた鹿島台地の海成段丘の対比をボーリングコアと露頭のカリ長石post-IR IRSL(pIRIR)年代から論じる.鹿嶋台地の海成段丘構成層は,MIS7および9のpIRIR年代を示す標高約+20 m以下の海成〜汽水成堆積物が,上位の浅海堆積物に覆われる.この浅海堆積物は,陸側部では細粒〜中粒砂が主体で数メートルの風成堆積物に覆われるのに対し,海側部では砂礫が主体で風成層の厚い堆積は見られない.浅海堆積物のpIRIR年代は,陸側で137±14〜155±12 ka,海側では86±9〜105±8 kaである.この地域の浅海堆積物のpIRIR年代には数千年から1万年程度の過大評価が伴う.このため,鹿島台地は陸側部がMIS 5e,海側部がMIS 5aまたは5cに,それぞれ対比される複合的な海成段丘となる.飯岡台地とともに,そうした構造が関東平野東縁全体に拡がっていると考えられる.今回得られたpIRIR年代を補強する火山灰対比を行うことができれば,新たな構造運動像を描くことができるであろう.
ここでは,関東平野東縁においてMIS 5eに対比されてきた鹿島台地の海成段丘の対比をボーリングコアと露頭のカリ長石post-IR IRSL(pIRIR)年代から論じる.鹿嶋台地の海成段丘構成層は,MIS7および9のpIRIR年代を示す標高約+20 m以下の海成〜汽水成堆積物が,上位の浅海堆積物に覆われる.この浅海堆積物は,陸側部では細粒〜中粒砂が主体で数メートルの風成堆積物に覆われるのに対し,海側部では砂礫が主体で風成層の厚い堆積は見られない.浅海堆積物のpIRIR年代は,陸側で137±14〜155±12 ka,海側では86±9〜105±8 kaである.この地域の浅海堆積物のpIRIR年代には数千年から1万年程度の過大評価が伴う.このため,鹿島台地は陸側部がMIS 5e,海側部がMIS 5aまたは5cに,それぞれ対比される複合的な海成段丘となる.飯岡台地とともに,そうした構造が関東平野東縁全体に拡がっていると考えられる.今回得られたpIRIR年代を補強する火山灰対比を行うことができれば,新たな構造運動像を描くことができるであろう.