日本地球惑星科学連合2019年大会

講演情報

[J] 口頭発表

セッション記号 M (領域外・複数領域) » M-IS ジョイント

[M-IS17] 歴史学×地球惑星科学

2019年5月27日(月) 10:45 〜 12:15 201B (2F)

コンビーナ:加納 靖之(東京大学地震研究所)、芳村 圭(東京大学生産技術研究所)、磯部 洋明(京都市立芸術大学美術学部)、岩橋 清美(国文学研究資料館)、座長:磯部 洋明芳村 圭岩橋 清美加納 靖之 (東京大学 地震研究所)、玉澤 春史

11:00 〜 11:15

[MIS17-07] 日記史料と震度データベースからみた江戸・東京の有感地震

*佐竹 健治1 (1.東京大学地震研究所)

キーワード:歴史地震、日記史料、東京

歴史地震の史料については,明治時代以降3世代にわたって,史料収集と史料集の刊行が行われてきており,『大日本地震史料』(1904),『増訂大日本地震史料』,『日本地震史料』(1941―1951),『新収日本地震史料』(1981―1991)として刊行されてきた.宇佐美(1980:地震予知連会報)や宇佐美・渡邊(2005,2006:歴史地震)は,これらの史料集に基づいて江戸時代以降の東京の有感記録数の年毎の変化をまとめている.このようにして調べられた有感地震の個数は史料の多寡に大きく依存する.上記の史料集に収められた史料のなかには,長期間にわたって毎日の天気などとともに有感地震について記録しているものがあり,これらは比較的小さな地震や大地震の余震も記録している.地震活動の時間的な変化を議論するには,このように均質な記録を使用することが望ましい.そこで,上記の史料集に収められている日記ごとに有感地震数をカウントし,明治以降の気象庁震度データベースによる有感地震数と比較してみた.

江戸時代の長期間にわたって最多の地震を記録しているのは『津軽藩御日記』であり,寛文八年(1668年)から慶応二年(1866年)までの約200年間に約1550個の有感地震を記録している.ただし,有感地震が全く記録されていない年が数年続くこともある.次に多いのは『榊原藩日記』であり,慶安四年(1651年)から安政六年(1859年)までの約200年間に約700個の有感地震を記録している.こちらも地震が全く記録されていない年があるが,津軽藩日記と相補的になっており,両者を合わせると地震が記録されていない年はほとんどなくなる.江戸時代初期については,『江戸幕府日記』(西丸及び島原松平藩)が寛永八年(1631年)から宝永四年(1707年)までの680個の有感地震をほぼ連続的に記録している.なお,石橋(1995)によれば,西丸とは酒井家旧蔵の右筆所日記の写本のことらしい.これらの他に,『対馬藩毎日記』,『稲葉氏永代日記』,『酒井家史料』などがそれぞれ100回以上の有感地震を記録している.それぞれの日記について,1年毎の地震回数を調べ,年毎に最も多いものを選んだ結果,1628年~1868年の241年間に2460個(年平均10回)が記録されていた.年毎の有感地震回数には,1704年(約60回),1855年(約50回),1649年(約50回)にピークがあり,これらはそれぞれ1703年12月31日元禄関東地震,安政江戸地震,関東における2つのM7クラスの地震の余震に対応する.

1885年以降は気象庁によって震度データベースが整備されており(石垣・高木,2000; 石垣,2007:験震時報),それによると東京(大手町)における震度1,2,3以上の地震は年平均52回,16回,5回である.江戸時代と明治以降の有感地震の回数が同じであると仮定すると,江戸時代の日記はほぼ震度2以上の地震を記録していると考えられる. また,1885年以降で震度2以上が最も多かったのは2011年の148回であり,東北地方太平洋沖地震の余震及びそれによって誘発された地震を記録している.大正関東地震が発生した1923年及びその翌年は,震度2以上の回数はそれぞれ36,35回であった. 日記史料と合わせると,2011年東北地方太平洋沖地震後の東京は,過去400年間で最も有感地震が多かったことがわかる.