日本地球惑星科学連合2019年大会

講演情報

[J] 口頭発表

セッション記号 M (領域外・複数領域) » M-IS ジョイント

[M-IS17] 歴史学×地球惑星科学

2019年5月27日(月) 10:45 〜 12:15 201B (2F)

コンビーナ:加納 靖之(東京大学地震研究所)、芳村 圭(東京大学生産技術研究所)、磯部 洋明(京都市立芸術大学美術学部)、岩橋 清美(国文学研究資料館)、座長:磯部 洋明芳村 圭岩橋 清美加納 靖之 (東京大学 地震研究所)、玉澤 春史

11:15 〜 11:30

[MIS17-08] 高解像度気候復原による日本古代の気候変動と国家・社会の変容

*今津 勝紀1中塚 武2 (1.岡山大学大学院社会文化科学研究科、2.総合地球環境学研究所)

キーワード:年輪酸素同位体比、律令国家、人口変動、気候変動

年輪酸素同位体比の解析により、年単位の高解像度の気候復原が実現し、過去数千年にわたる気候変動が明らかになった。年輪を構成するセルロースの酸素同位体比はその年の夏期の乾燥と湿潤を反映する。文字資料のない先史時代などの分析では、気候の数十年から数百年の中期的・長期的変動が有効であるが、文字を本格的に利用する国家成立以降の段階では、年単位のイベントと気象のあり方を照合することが可能となったのである。人間の生活が、自然との応答の中にあることは間違いないが、これまでの歴史学においては、過去の人間の生活と自然との応答を客観的に把握する方法が十分ではなかった。高解像度の古気候復原は、歴史学に新たな「ものさし」をもたらしたのである。

本研究では、日本の古代、とりわけ8世紀と9世紀を取りあげ、当該期の気候と社会との応答関係を明らかにする。中塚武による当該期の年単位気候復原により、8世紀は総体として乾燥気味ではあったが安定的であり、9世紀後半に不安定化して湿潤化し、10世紀に一転して乾燥が進行することが明らかとなった。当該期の歴史を記した文献資料『続日本紀』・『日本後紀』・『続日本後紀』・『日本文徳天皇実録』・『日本三代実録』にも気象に関する記事が含まれるが、それは簡略なものであり、実際にどれだけの旱や旱魃、霖雨や大雨であったのかはわからなかった。ようやく、高解像度の気候復原により、夏期の極端な乾燥や湿潤がどのような規模で、どのような被害をもたらしたのかを史料に即して理解することができるようになった。また、中長期的な気候の変動が把握できるようになることで、気候変動と国家や社会の変容との関連について見通しをえることも可能になった。

とりわけ、本研究で注目したいのは、古代の人口変動と社会システムの変容についてである。8世紀初頭の大宝律令の施行により、中国に範を求めた律令国家が完成するが、律令国家の諸制度は、日本という枠組みの起源となり、その後の日本の歴史を根底において規定する重要な意味をもった。律令国家の支配人口は、8世紀初頭で450万人程度、9世紀初頭で550万人程度と見込まれており、8世紀から9世紀の年平均人口増加率は0.2%となる。江戸時代の初頭、17世紀の人口は1200万人~1800万人と推定されており、古代から近世にかけて人口は微増するのだが、中世から近世に至る800年間の年平均人口増加率はせいぜい0.1%から0.15%である。日本古代は飢饉や疫病が頻発し脆弱で流動性の高い社会であったが、中世に比して高率の人口増加が実現した。その背景には、人と田を中央集権的に管理する律令制による再生産システムが機能していたことが想定できるとともに、8世紀の比較的安定的な気候が作用していたことが考えられる。

また、唐や新羅といった日本の周辺諸国の変動にともない、日本の律令制もなし崩し的に崩壊する。律令国家は、9世紀の後半から10世紀後半にかけて大きく変容するのだが、こうした社会システムの変容には、当時の世界情勢の変化とともに気候の変動が作用した。9世紀の後半には、耕作できない土地の増加や水損被害の田が問題化するが、その現実的な背景として、湿潤化という気候の変動があったことは間違いない。律令国家は、人と田を把握し管理することを放棄するようになるのであり、律令制再生産システムは崩壊していった。この時期は日本列島で地震が頻発し、火山の噴火もみられ、飢饉に疫病が集中する時期でもある。いわば、9世紀後半は日本古代社会の全般的危機の時代であった。8世紀の初頭に完成した律令国家の中央集権的構造は、9世紀の後半以降、崩壊しはじめ、中央政府は都市平安京の王朝政府へと縮小するのであった。