11:45 〜 12:00
[MIS17-10] 歴史学・考古学と地球惑星科学の協働をいかに活性化できるか?-気候適応史プロジェクトの教訓-
★招待講演
キーワード:文理融合、気候変動、古気候学、歴史学、考古学、年輪年代学
〇はじめに-文理融合と言う課題
歴史学や考古学と地球惑星科学は、ともに過去におきた出来事を対象に含み、長い時間を掛けて進む、いわゆる歴史的プロセスを扱う学問分野である。その共通の特性を生かして、さまざまな共同研究が行われてきた。しかし文理融合にはさまざまな課題があり、その背景には学問の根源的な目的の違いという問題があった。ここでは、総合地球環境学研究所(地球研)で2014年から5年間にわたって行われた研究プロジェクト「高分解能古気候学と歴史・考古学の連携による気候変動に強い社会システムの探索」(気候適応史プロジェクト)の経験から、歴史学・考古学と地球惑星科学の協働の活性化の方向性について議論したい。
〇気候適応史プロジェクトの基本構造
地球研は文理融合の手法を用いて地球環境問題の解決に資するプロジェクトを全国の大学等から多数公募し、時間を掛けて準備と審査を繰り返したのち期限を定めて本格的な研究を行わせる大学共同利用機関である。古気候学者である私は、その枠組みの中で2010年から全国の古気候学、歴史学、考古学の関係者に呼びかけて、3つのステップからなる気候適応史プロジェクトの構想を作った。1)最新の古気候学の手法を用いて過去数千年間の日本の気候を年単位で復元する、2)得られた古気候データを歴史学・考古学の膨大な史・資料と詳細に対比する、3)気候と社会の関係の無数の事例を比較分析して、気候変動に強い社会と弱い社会の特徴を明らかにする。このプロジェクトでは当初、文献史料から天候を解読する歴史気候学を除くと、理系から文系への一方的な情報の流れだけを想定していたが、実際には両者の緊密な相互作用により、事前の想定を遥かに越えた研究の進展があった。以下、プロジェクトで最も重視した古気候復元指標である樹木年輪セルロースの酸素同位体比を用いた夏の降水量の復元を例にして、文理融合の効果と課題について述べる。
〇文理融合による研究の進展と課題
樹木年輪セルロースの酸素同位体比は、年輪古気候学に独特の難しさがあった日本のような温暖湿潤域で高精度の気候復元を可能にした画期的なプロキシーであり、プロジェクトでは、そのデータを日本全国で過去数千年間にわたって早期に構築することを目指していた。文系の研究者は、当初、年輪古気候データのユーザーとしてのみ位置づけられていたが、実際にはさまざまなレベルでデータ構築自体に大きく貢献することになる。理系から文系へは高精度の古気候情報と共に、酸素同位体比を用いた新しい年輪年代情報が提供されたが、それに対して文系から理系には以下のような反応があった。1.出土材や建築古材の積極的な提供、2.データの史・資料による批判、3.データの時空間的な精度と範囲の改善要求である。理系の側にとって1は全面的に歓迎できるが、2,3は耳が痛く、自らの発想からは生まれにくい。しかし3の要求が、世界で初めて酸素と水素の同位体比を組み合わせて、年輪古気候学が最も苦手とする長周期の気候復元を可能にした。その結果、2の批判も克服して、過去数千年間に亘る年~千年のあらゆる周期の気候変動の復元に成功し、古気候学・歴史学・考古学の研究は一気に進展したが、プロジェクトの目的である肝心の「気候変動に強い社会システムの探索」の方はなかなか進まなかった。文理を越えた学問の根源的な目的への相互理解が足りなかったからである。
〇おわりに-相互理解が協働の基本
空前の長さと精度を持つ高分解能古気候データの構築という気候適応史プロジェクトの成果は、文理双方の学問的なニーズが緊密に相互作用した結果である。当初は理系データの文系への提供だけを考えていたが、実際には相手のニーズを無視した一方的なデータの押し付けはうまく行かず、文理を超えた相互批判が重要であった。これは、文系のデータを理系が利用する場合でも同じである。一方で、文理融合が個別分野の発展を促すだけでなく、真の「融合」になるためには、より深いレベルでの相互理解が必要であった。私が気候適応史プロジェクトの中で気付いた最も重要な事実は、「歴史学者や考古学者は、必ずしも現代の問題の解決のために、歴史の研究をしている訳ではない」ということである。もちろん、それには意味がある。文系の歴史研究が重視するのは、研究対象とする時代の人々の価値観の違い、つまり歴史上の各時代の人々の多様性を理解し、現代の私たちを相対化することである。現代が過去と違うのと同様に、未来も現代とは違う以上、未来志向で現在の問題を解決していくためには、法則性の発見を重視する理系の研究者と、多様性の理解を重視する文系の研究者が、相互に尊重し合って未来に向って共に考えていくスタンスが必要である。そのことに気が付いたことが私にとってプロジェクトの最も重要な教訓であった。
歴史学や考古学と地球惑星科学は、ともに過去におきた出来事を対象に含み、長い時間を掛けて進む、いわゆる歴史的プロセスを扱う学問分野である。その共通の特性を生かして、さまざまな共同研究が行われてきた。しかし文理融合にはさまざまな課題があり、その背景には学問の根源的な目的の違いという問題があった。ここでは、総合地球環境学研究所(地球研)で2014年から5年間にわたって行われた研究プロジェクト「高分解能古気候学と歴史・考古学の連携による気候変動に強い社会システムの探索」(気候適応史プロジェクト)の経験から、歴史学・考古学と地球惑星科学の協働の活性化の方向性について議論したい。
〇気候適応史プロジェクトの基本構造
地球研は文理融合の手法を用いて地球環境問題の解決に資するプロジェクトを全国の大学等から多数公募し、時間を掛けて準備と審査を繰り返したのち期限を定めて本格的な研究を行わせる大学共同利用機関である。古気候学者である私は、その枠組みの中で2010年から全国の古気候学、歴史学、考古学の関係者に呼びかけて、3つのステップからなる気候適応史プロジェクトの構想を作った。1)最新の古気候学の手法を用いて過去数千年間の日本の気候を年単位で復元する、2)得られた古気候データを歴史学・考古学の膨大な史・資料と詳細に対比する、3)気候と社会の関係の無数の事例を比較分析して、気候変動に強い社会と弱い社会の特徴を明らかにする。このプロジェクトでは当初、文献史料から天候を解読する歴史気候学を除くと、理系から文系への一方的な情報の流れだけを想定していたが、実際には両者の緊密な相互作用により、事前の想定を遥かに越えた研究の進展があった。以下、プロジェクトで最も重視した古気候復元指標である樹木年輪セルロースの酸素同位体比を用いた夏の降水量の復元を例にして、文理融合の効果と課題について述べる。
〇文理融合による研究の進展と課題
樹木年輪セルロースの酸素同位体比は、年輪古気候学に独特の難しさがあった日本のような温暖湿潤域で高精度の気候復元を可能にした画期的なプロキシーであり、プロジェクトでは、そのデータを日本全国で過去数千年間にわたって早期に構築することを目指していた。文系の研究者は、当初、年輪古気候データのユーザーとしてのみ位置づけられていたが、実際にはさまざまなレベルでデータ構築自体に大きく貢献することになる。理系から文系へは高精度の古気候情報と共に、酸素同位体比を用いた新しい年輪年代情報が提供されたが、それに対して文系から理系には以下のような反応があった。1.出土材や建築古材の積極的な提供、2.データの史・資料による批判、3.データの時空間的な精度と範囲の改善要求である。理系の側にとって1は全面的に歓迎できるが、2,3は耳が痛く、自らの発想からは生まれにくい。しかし3の要求が、世界で初めて酸素と水素の同位体比を組み合わせて、年輪古気候学が最も苦手とする長周期の気候復元を可能にした。その結果、2の批判も克服して、過去数千年間に亘る年~千年のあらゆる周期の気候変動の復元に成功し、古気候学・歴史学・考古学の研究は一気に進展したが、プロジェクトの目的である肝心の「気候変動に強い社会システムの探索」の方はなかなか進まなかった。文理を越えた学問の根源的な目的への相互理解が足りなかったからである。
〇おわりに-相互理解が協働の基本
空前の長さと精度を持つ高分解能古気候データの構築という気候適応史プロジェクトの成果は、文理双方の学問的なニーズが緊密に相互作用した結果である。当初は理系データの文系への提供だけを考えていたが、実際には相手のニーズを無視した一方的なデータの押し付けはうまく行かず、文理を超えた相互批判が重要であった。これは、文系のデータを理系が利用する場合でも同じである。一方で、文理融合が個別分野の発展を促すだけでなく、真の「融合」になるためには、より深いレベルでの相互理解が必要であった。私が気候適応史プロジェクトの中で気付いた最も重要な事実は、「歴史学者や考古学者は、必ずしも現代の問題の解決のために、歴史の研究をしている訳ではない」ということである。もちろん、それには意味がある。文系の歴史研究が重視するのは、研究対象とする時代の人々の価値観の違い、つまり歴史上の各時代の人々の多様性を理解し、現代の私たちを相対化することである。現代が過去と違うのと同様に、未来も現代とは違う以上、未来志向で現在の問題を解決していくためには、法則性の発見を重視する理系の研究者と、多様性の理解を重視する文系の研究者が、相互に尊重し合って未来に向って共に考えていくスタンスが必要である。そのことに気が付いたことが私にとってプロジェクトの最も重要な教訓であった。