日本地球惑星科学連合2019年大会

講演情報

[J] ポスター発表

セッション記号 M (領域外・複数領域) » M-ZZ その他

[M-ZZ51] 地球惑星科学の科学史・科学哲学・科学技術社会論

2019年5月27日(月) 15:30 〜 17:00 ポスター会場 (幕張メッセ国際展示場 8ホール)

コンビーナ:矢島 道子(日本大学文理学部)、青木 滋之(中央大学文学部)、山田 俊弘(東京大学大学院教育学研究科研究員)、吉田 茂生(九州大学大学院理学研究院地球惑星科学部門)

[MZZ51-P05] 地質学におけるティコ・ブラーエたち;プレート・テクトニクス革命における折衷モデル

*千葉 淳一1 (1.大原法律専門学校)

キーワード:プレートテクトニクス革命、折衷モデル、地質学方法論

科学革命はどのように始まり、どのように進行し、どのように終わるのだろうか。プレート・テクトニクス(PT)革命はクーンが科学革命の概念を提唱した後に起こった直近の科学革命の実例の一つであり、その最中に、多くの地球科学者の内心が変化していく過程を再現することによって、科学革命の「起こり方」を詳細に記述することができるはずである。
 泊(2008)は、PT革命を科学史家の立場から詳述した。泊はこの革命に関わった地球科学者を、新理論に接して即時転向した例(上田誠也、中村一明、杉村新など)、頑迷に拒否し続けた例(井尻正二、藤田至則、湊正雄など)、有力者の考え方と学会での勢力に影響されたり怯えさせられたりして受容の表明が遅れたその他多くの地質学者というように描写したが、それは個々の研究者がPT理論を受容していく過程を、彼らが置かれた社会的状況と自らの学術的発表がPTパラダイムに内包された時点との相関によって捉えたのみであって、多くの地球科学者の、PT理論接触前の考え方、PT理論との接触時にそれに対して持った印象、葛藤や相克、内心の転向の過程を描くことはしていない。実際はこの過程は、「虚心坦懐に自然を見ていたので即時受諾」、「旧パラダイム(地向斜理論)に深くとらわれていたので拒否」のような単純な二項対立ではなく、原郁男が表現したように「引き裂かれていた」状態を長く経験した研究者も多くいたはずである。これはPT革命の過程に関して泊が残した宿題となっている。今回著者は、PT理論接触後に地質学者が示した反応の例として、PT理論以前の日本列島構造発達シナリオや造山運動理論との「折衷モデル」について報告する。

 1970年代に東京大学理学部地質学第二講座教授であった木村敏雄は地球の表面構造の形成理論としての海洋底拡大説は受容したものの、海溝付近での造山運動に関しては地向斜論を採り続けた。木村の学生であった小川勇二郎は、弧状列島の形成過程のうち、縁海の形成の部分をマントルウェッジの副次的な湧昇流ではなく地向斜で説明するモデルを提唱している。のちに付加体理論を提唱することになる八尾昭は、1970年代には地向斜造山論を否定することなく、スラストと褶曲で堆積物がレンズ化・ブロック化していくモデルを考え始めていた。また、弧状列島の横断方向にマグマ組成の変化を示した研究や、オフィオライト形成(定置)過程の研究で、従来モデルとPTモデルを折衷したと思われる例も散見される。

 「折衷モデル」の提案というとご都合主義のように、必ずしもよい印象を与えるものではない。しかし一方で、新理論がこれまでの観察データをどのように説明するのかということに慎重に取り組んだ試行過程の記録ということもできる。これらはPT革命において、コペルニクス革命におけるティコ・ブラーエの働きに比する働きをした研究者が地質学界に少なからず存在することを示すものであり、必ずしも地質学の後進性を示すものとばかりは言えず、むしろ観察事実による基礎付けを重んずる研究伝統を表すものなのではなかろうかと考える。