14:00 〜 14:15
[SSS12-02] 海陸地震観測から得られた北海道南部の島弧-島弧衝突帯から太平洋プレート沈み込み帯前弧域の地震波速度構造
キーワード:海底地震計、地震活動、トモグラフィー、日高衝突帯、デラミネーション、北海道
1.はじめに
北海道南部の日高山脈付近では、西進する千島弧と東北日本弧との衝突により、前者が後者に乗り上げる大規模な衝上断層構造を形成していると考えられている。このような島弧と島弧の衝突は、山脈の形成だけでなく、定常的な地震活動や1982年浦河沖地震(Ms 6.8)のような大地震発生にも影響を及ぼしていると考えられるので、地殻構造を3次元的にイメージングすることは、衝突帯のテクトニクスを明らかにするだけでなく、地震発生パターンや大地震の発生メカニズムを理解するためにも重要である。
この地域では、1999~2001年に大学合同で陸上稠密地震観測が行われ[勝俣・他(2002、東京大学地震研究所彙報77)]、1999年と2000年にはこれに合わせて苫小牧沖から釧路沖にかけての海域で自己浮上式海底地震計による自然地震観測が行われた。Murai et al. (2003, GRL 30) は、1999年の海底と陸上両方のデータを同時に地震波トモグラフィー法で解析することによってP波速度構造を推定したが、データ数の制約により速度構造が推定できた領域と深さが限られ、S波速度構造も推定できなかった。村井・他(2016、JpGU)は、Murai et al. (2003) のデータに2000年の観測データを加えて、P波とS波の速度構造を推定したが、走時残差が大きいという問題点があり、これは観測点補正値の誤りによることがわかった。今回は、この誤りを修正して再解析を行い、得られた速度構造について考察する。
2.データおよび解析法
村井・他(2016)と同様に、Murai et al. (2003) で得られたP波速度構造の水平方向の平均値とP波とS波の速度比(Vp/Vs比)を1.73と仮定した1次元速度構造を初期モデルとして、海底、陸上のデータから1999年8月7日~9月30日および2000年8月1日~9月30日の期間に、北緯40.5°~43.5°、東経141°~146.5°の領域に震源が決定された951個の地震の走時データ(P波が18,001個、S波が10,350個)を用いて、Zhao et al. (1992, JGR 97)の地震波トモグラフィー法によって速度構造を推定し、同時に震源の再決定を行った。
3.結果
(1)陸域における日高衝突帯の構造
千島弧の下部地殻と解釈される高速度領域が東から日高山脈に向かって衝上していて、東側の深さ25~35 kmではマントル最上部の速さを持つ高速度領域につながっている。日高山脈の西側では、日高主衝上断層で高速度領域に接するように東北日本弧と思われる低速度領域が西側から延びている。これらは、地震波トモグラフィー法による先行研究と調和的な結果であった。
(2)デラミネーション構造
深さ35~45 kmでは、日高山脈直下から1982年浦河沖地震の震源域直下に向かって南西向きに傾斜する低速度領域が、太平洋プレート上面付近まで達している。この低速度領域はMurai et al. (2003)によってデラミネートした千島弧の下部地殻と解釈され、海底地震計のデータを加えたトモグラフィー解析によってのみイメージングされている。今回の結果からは、幅約50 km、長さ約50 kmの領域がデラミネートしているように見える。
(3)島弧-島弧衝突構造の海域への延長部
衝突している島弧地殻と思われる太平洋プレート上面付近まで続く低速度領域は、日高山脈の海側への延長部に当たる襟裳岬の南東側で急になくなる。微小地震活動も低速度領域内では活発であるが、低速度領域外では低調になることから、日高山脈の海側への延長部では、島弧-島弧衝突の影響が急速に小さくなっていることが示唆される。
(4)島弧-島弧衝突によって発生した大地震
1970年の日高山脈南部の地震(M 6.7)は低速度領域と高速度領域の境界で、1982年浦河沖地震はP波速度が8.0 km/sより高速度の領域の西端でそれぞれ発生していて、Kita et al. (2012, JGR 117)と同様に物質境界で発生したと考えられる。
(5)2003年十勝沖地震(M 8.0)
2003年十勝沖地震の本震時にすべりの大きかった領域(アスペリティ)の上盤側が高Vp/Vs比になっており、Machida et al. (2009, Tectonophysics 465)と調和的である。
謝辞
海底地震計の設置にあたり、気象庁旧函館海洋気象台「高風丸」の乗組員の皆様にお世話になりました。また、東北大学の趙大鵬教授にはトモグラフィー解析のプログラムを使わせて頂きました。記して感謝致します。
北海道南部の日高山脈付近では、西進する千島弧と東北日本弧との衝突により、前者が後者に乗り上げる大規模な衝上断層構造を形成していると考えられている。このような島弧と島弧の衝突は、山脈の形成だけでなく、定常的な地震活動や1982年浦河沖地震(Ms 6.8)のような大地震発生にも影響を及ぼしていると考えられるので、地殻構造を3次元的にイメージングすることは、衝突帯のテクトニクスを明らかにするだけでなく、地震発生パターンや大地震の発生メカニズムを理解するためにも重要である。
この地域では、1999~2001年に大学合同で陸上稠密地震観測が行われ[勝俣・他(2002、東京大学地震研究所彙報77)]、1999年と2000年にはこれに合わせて苫小牧沖から釧路沖にかけての海域で自己浮上式海底地震計による自然地震観測が行われた。Murai et al. (2003, GRL 30) は、1999年の海底と陸上両方のデータを同時に地震波トモグラフィー法で解析することによってP波速度構造を推定したが、データ数の制約により速度構造が推定できた領域と深さが限られ、S波速度構造も推定できなかった。村井・他(2016、JpGU)は、Murai et al. (2003) のデータに2000年の観測データを加えて、P波とS波の速度構造を推定したが、走時残差が大きいという問題点があり、これは観測点補正値の誤りによることがわかった。今回は、この誤りを修正して再解析を行い、得られた速度構造について考察する。
2.データおよび解析法
村井・他(2016)と同様に、Murai et al. (2003) で得られたP波速度構造の水平方向の平均値とP波とS波の速度比(Vp/Vs比)を1.73と仮定した1次元速度構造を初期モデルとして、海底、陸上のデータから1999年8月7日~9月30日および2000年8月1日~9月30日の期間に、北緯40.5°~43.5°、東経141°~146.5°の領域に震源が決定された951個の地震の走時データ(P波が18,001個、S波が10,350個)を用いて、Zhao et al. (1992, JGR 97)の地震波トモグラフィー法によって速度構造を推定し、同時に震源の再決定を行った。
3.結果
(1)陸域における日高衝突帯の構造
千島弧の下部地殻と解釈される高速度領域が東から日高山脈に向かって衝上していて、東側の深さ25~35 kmではマントル最上部の速さを持つ高速度領域につながっている。日高山脈の西側では、日高主衝上断層で高速度領域に接するように東北日本弧と思われる低速度領域が西側から延びている。これらは、地震波トモグラフィー法による先行研究と調和的な結果であった。
(2)デラミネーション構造
深さ35~45 kmでは、日高山脈直下から1982年浦河沖地震の震源域直下に向かって南西向きに傾斜する低速度領域が、太平洋プレート上面付近まで達している。この低速度領域はMurai et al. (2003)によってデラミネートした千島弧の下部地殻と解釈され、海底地震計のデータを加えたトモグラフィー解析によってのみイメージングされている。今回の結果からは、幅約50 km、長さ約50 kmの領域がデラミネートしているように見える。
(3)島弧-島弧衝突構造の海域への延長部
衝突している島弧地殻と思われる太平洋プレート上面付近まで続く低速度領域は、日高山脈の海側への延長部に当たる襟裳岬の南東側で急になくなる。微小地震活動も低速度領域内では活発であるが、低速度領域外では低調になることから、日高山脈の海側への延長部では、島弧-島弧衝突の影響が急速に小さくなっていることが示唆される。
(4)島弧-島弧衝突によって発生した大地震
1970年の日高山脈南部の地震(M 6.7)は低速度領域と高速度領域の境界で、1982年浦河沖地震はP波速度が8.0 km/sより高速度の領域の西端でそれぞれ発生していて、Kita et al. (2012, JGR 117)と同様に物質境界で発生したと考えられる。
(5)2003年十勝沖地震(M 8.0)
2003年十勝沖地震の本震時にすべりの大きかった領域(アスペリティ)の上盤側が高Vp/Vs比になっており、Machida et al. (2009, Tectonophysics 465)と調和的である。
謝辞
海底地震計の設置にあたり、気象庁旧函館海洋気象台「高風丸」の乗組員の皆様にお世話になりました。また、東北大学の趙大鵬教授にはトモグラフィー解析のプログラムを使わせて頂きました。記して感謝致します。