日本地球惑星科学連合2019年大会

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[J] 口頭発表

セッション記号 S (固体地球科学) » S-SS 地震学

[S-SS15] 活断層と古地震

2019年5月28日(火) 15:30 〜 17:00 A02 (東京ベイ幕張ホール)

コンビーナ:小荒井 衛(茨城大学理学部理学科地球環境科学コース)、大上 隆史(産業技術総合研究所 地質調査総合センター)、道家 涼介(神奈川県温泉地学研究所)、近藤 久雄(産業技術総合研究所 活断層・火山研究部門)、座長:小荒井 衛(茨城大学)、小松原 琢(産業技術総合研究所)

15:30 〜 16:00

[SSS15-01] 東北地方太平洋沿岸における歴史津波の史料・伝承をめぐって

★招待講演

*蝦名 裕一1 (1.東北大学災害科学国際研究所)

キーワード:歴史津波、歴史資料・伝承、学際的研究、慶長奥州地震津波

本報告では、1611年に発生した慶長奥州地震津波(従来の慶長三陸地震津波)をはじめとする東北地方太平洋沿岸で発生した歴史津波に対する歴史資料や伝承を活用した歴史学に基づいた学際的研究手法について述べる。

 2011年に発生した東日本大震災をうけて、東北地方太平洋沿岸で歴史上発生した巨大津波についての関心が高まり、これを869年貞観地震津波と対比した「1000年に1度の津波」とのイメージが流布するとともに、過去の津波伝承やいわゆる災害由来地名などが注目されている。これに対し、1611年の慶長欧州地震津波に対する従来の研究史における過小評価が指摘され、関する歴史資料の再調査・分析がおこなわれている(蝦名・今井2014)。また、同地域で発生した巨大地震津波として1454年に発生した享徳地震の存在が注目されることになった(行谷・矢田2014、Sawai et al. 2015)。さらに、これに対比される津波堆積物が、仙台平野や岩手県各地で相次いで発見されている(Sawai et al. 2012; 高田ほか2016)。

 慶長奥州地震津波について記した史料として『駿府政事録』・『駿府記』があり、これには漁に出た仙台藩家臣と漁師の船が津波に遭遇し、「千貫松」と呼ばれる山の上に流されたと記述されている。これが現在の宮城県岩沼市の阿武隈川河口周辺での出来事と推定されているが、千貫松が存在した山の標高が高すぎることなどの理由から、この記述が作為的なものとして、この津波における仙台平野の被害が否定され、過小評価されていた(渡辺1998)。しかし、江戸時代に作成された岩沼周辺の絵図にもとづく歴史地形復元により、当時の阿武隈川の河川がより内陸側に流れていたこと、付近に中世以来の漁村が存在することなどから説明が可能となる(蝦名2014)。『駿府政事録』の記述は、遠隔地で編纂されたために、若干の情報の錯綜がありながらも、当時の津波の状況を伝えていると判断できる。

歴史地形の復元は地震規模の上限を決める上でも有効である。例えば岩手県宮古市に存在する史料や伝承には、2011年の津波到達地点より内陸まで津波が浸水していた記述をみることができ(蝦名・今井2014)、これに基づけば慶長奥州地震津波の地震規模は2011年に匹敵ないしそれ以上と考えることが可能である(福原・谷岡2018)。ただし、近世近代にかけて作成された絵図をもとに歴史地形を復元すると、これらの痕跡点が旧河川上に位置することがわかり、津波の河川遡上として説明することができる。

 さて、こうした東北地方太平洋沿岸についての古地震・古津波の情報は、以前から地域の人々に共有されていたわけではなかった。東京大学地震研究所所蔵『地震・地理学研究材料報告』は、1890年代に帝国大学理科大学が全国の自治体に対して「海嘯」の有無についてアンケート調査を実施した際、岩手県沿岸の自治体は1856年の安政八戸沖地震津波の被害以前の歴史地震・津波について、史料・伝承ともに存在しないとの回答を寄せている(蝦名・佐竹2018)。ここから、東北地方太平洋沿岸がいわゆる津波常襲地帯であるという認識は、この時期の住民に共有されていなかったことがわかる。その中で、地域に残る歴史津波の記録・伝承について再評価をしたのが、1896年明治三陸地震津波の後に被災地を踏査し、『三陸沿岸大海嘯取調書』を著した山奈宗真であった。彼は津波被災後の各地の状況を調査するとともに、各地の有力者宅で古文書を調査し、『武藤六右衛門所蔵文書』や『宮古由来記』の類書から、慶長奥州地震津波の記述を書写している。一方で、山奈は津波由来地名について『岩手沿岸古地名考』をまとめている。これは山奈が当時の住民から聞いた、過去の津波漂流物に由来した地名について記したもので、40件の地名のうち、半数の地名が現在も確認できることが判明している(村中ほか2017)。一方で、これらの地点の多くは実際に津波が到達するとは考えにくい箇所も多く、明治三陸地震津波直後の混乱状況で新たに生じた伝承である可能性も考慮にいれるべきであろう。

 古地震・古津波研究における歴史資料および伝承を用いる場合、それらの成立過程や歴史地形の変遷といった視点を、研究をより深化させることができると考える。