[G03-P07] 探究学習を通じて高校生に獲得させたい論理的思考力
キーワード:探究学習、統計学、科学倫理、論理的思考
1.探求と探究
従来の高等学校教育では、答えのわかっている問いにいかに素早く正確に答えるか(探求)を中心に訓練を積んできた。学習の内容には答えがあるため、そこに至る道筋には決まった手順があり、マニュアル的学習が可能で学習しやすかった。しかし、身の回りの多くの現象がそうであるように、答えがない、あるいは答えがあるのかどうかわからない問いに対して、どのように解決するかを考える(探究)経験を積んでいないため、柔軟な思考力や互いに議論する力、他者に発信する力など、AI社会で生き抜く力の育成が急務とされている。
教員自身、学生時代に答えがある課題にばかり取り組んできたために、答えがない課題についてどのように指導してよいのかわからない。答えがわからないので、教員がそれを指導する方法にもマニュアルはない。教員の専門分野のアプローチも、役に立たない場合が多い。どのように指導すればよいのかわからず、探究教育の必要性は認識していながら、手探り状態である。
探究の過程にマニュアルがあるとすれば、(1)身近な現象に興味・関心を持ち、さまざまな現象に疑問をもつ、(2)疑問をどのように解決すればよいのか、道筋を考える、(3)得られた結果から、推測や聞きかじりなどの予断を含まずに考察する、(4)感想文ではなく、数学を用いた客観的な方法で論文にまとめ、他者に伝える、ということぐらいである。
2.探究に求められるもの
探究に必要な力には、仮説演繹法による論理的思考力などが必要だが、ここではあまり触れられることのない2点についてまとめてみる。論理的思考と倫理的思考である。
(1)統計学
次のような例を生徒に示す。同じ日に同じ店から卵のパックを買ってきた。同じ日に詰められた卵だ。しばらく日がたって、傷んでいないか心配になったので、試しにひとつ割ってみたら、傷んでいなかった。だから残りの卵も傷んでいないといえる? 生徒の答えはノー。それでは、2個目も割ったら大丈夫だったら、傷んでいないと言える? 生徒は、これもノーと答える。それでは何個割ったらすべての卵は傷んでいないといえるだろうか? 答えは全部。
ある情報番組で、アナウンサーが、PS細胞はさまざまな組織に分化することが証明されました、発言したが、これは科学的におかしい。世界中のすべてのiPS細胞が分化することを確認することはできないのだから、証明はできないはずである。多くの調査を重ねれば、確からしさが上がるだけである。高校生であろうと、生徒が統計学を学ぶべき必要性はここにある。
(2)科学倫理学
科学者にとって、技術的に可能であることとおこなってもよいことは同一ではないことは、科学の社会的影響を考えれば理解できる。高校生の科学研究が盛んになった現在でも、高等学校で科学倫理の学習がきちんとなされていないことは危機的である。研究内容を指導・助言するばかりではなく、倫理的考察についても学習する必要がある。
3.指導者が探究に向かう姿勢
探究の指導は初めてで、指導書もなく、どのように取り組めばよいのかわからない、という教員が多いが、ポイントは次の2点である。(1)疑問に感じたら、成果を上げなければならないなどと考えずに、生徒とともに探究に取りかかってみる。この段階で教員は、おもしろいね、不思議だね、なぜだろう、と寄り添うだけで十分である。(2)生徒は議論の中で、自然と新しい発想を主体的に引き出してくる。結果が出たら、教員は積極的に生徒の議論に加わり、議論の論理的な整合性を確認する。
従来の高等学校教育では、答えのわかっている問いにいかに素早く正確に答えるか(探求)を中心に訓練を積んできた。学習の内容には答えがあるため、そこに至る道筋には決まった手順があり、マニュアル的学習が可能で学習しやすかった。しかし、身の回りの多くの現象がそうであるように、答えがない、あるいは答えがあるのかどうかわからない問いに対して、どのように解決するかを考える(探究)経験を積んでいないため、柔軟な思考力や互いに議論する力、他者に発信する力など、AI社会で生き抜く力の育成が急務とされている。
教員自身、学生時代に答えがある課題にばかり取り組んできたために、答えがない課題についてどのように指導してよいのかわからない。答えがわからないので、教員がそれを指導する方法にもマニュアルはない。教員の専門分野のアプローチも、役に立たない場合が多い。どのように指導すればよいのかわからず、探究教育の必要性は認識していながら、手探り状態である。
探究の過程にマニュアルがあるとすれば、(1)身近な現象に興味・関心を持ち、さまざまな現象に疑問をもつ、(2)疑問をどのように解決すればよいのか、道筋を考える、(3)得られた結果から、推測や聞きかじりなどの予断を含まずに考察する、(4)感想文ではなく、数学を用いた客観的な方法で論文にまとめ、他者に伝える、ということぐらいである。
2.探究に求められるもの
探究に必要な力には、仮説演繹法による論理的思考力などが必要だが、ここではあまり触れられることのない2点についてまとめてみる。論理的思考と倫理的思考である。
(1)統計学
次のような例を生徒に示す。同じ日に同じ店から卵のパックを買ってきた。同じ日に詰められた卵だ。しばらく日がたって、傷んでいないか心配になったので、試しにひとつ割ってみたら、傷んでいなかった。だから残りの卵も傷んでいないといえる? 生徒の答えはノー。それでは、2個目も割ったら大丈夫だったら、傷んでいないと言える? 生徒は、これもノーと答える。それでは何個割ったらすべての卵は傷んでいないといえるだろうか? 答えは全部。
ある情報番組で、アナウンサーが、PS細胞はさまざまな組織に分化することが証明されました、発言したが、これは科学的におかしい。世界中のすべてのiPS細胞が分化することを確認することはできないのだから、証明はできないはずである。多くの調査を重ねれば、確からしさが上がるだけである。高校生であろうと、生徒が統計学を学ぶべき必要性はここにある。
(2)科学倫理学
科学者にとって、技術的に可能であることとおこなってもよいことは同一ではないことは、科学の社会的影響を考えれば理解できる。高校生の科学研究が盛んになった現在でも、高等学校で科学倫理の学習がきちんとなされていないことは危機的である。研究内容を指導・助言するばかりではなく、倫理的考察についても学習する必要がある。
3.指導者が探究に向かう姿勢
探究の指導は初めてで、指導書もなく、どのように取り組めばよいのかわからない、という教員が多いが、ポイントは次の2点である。(1)疑問に感じたら、成果を上げなければならないなどと考えずに、生徒とともに探究に取りかかってみる。この段階で教員は、おもしろいね、不思議だね、なぜだろう、と寄り添うだけで十分である。(2)生徒は議論の中で、自然と新しい発想を主体的に引き出してくる。結果が出たら、教員は積極的に生徒の議論に加わり、議論の論理的な整合性を確認する。