[HCG30-01] 酸素同位体比年輪年代法-その原理・課題・未来-
★招待講演
キーワード:樹木年輪、酸素同位体比、セルロース、年代決定、古気候学、出土材
年輪年代法は、考古学で用いられている最も精度の高い年代決定法の1つである。それは、同じ気候条件下にある地域内の同じ種類の樹木であれば、気温や降水量などの共通の環境因子の変化に応じて、年ごとの成長量、すなわち年輪幅の変動パターンが同じになるという原理に基づいている。年輪幅は測定が容易なので、世界中の様々な地域で年輪年代の決定や気候変動の復元に活用されているが、日本のように森林内に生息する樹木の種類が多く個体数密度が高い温暖で湿潤な地域では、第一に、年輪幅の変動パターンの比較の際の物差しになる標準年輪曲線を、全ての樹種に対して作ることは難しく、第二に、隣接する樹木個体間での光を巡る競争などの局所的な要因によって、年輪幅の変動パターンの個体間相関が低くなるという問題があり、日本ではヒノキやスギなどの年輪数の多い一部の樹木に対してしか適用できなかった。それに対して、年輪に含まれるセルロースの酸素同位体比の変動パターンは樹種の違いを越えて高い相関を示すことから、年輪数の多いヒノキやスギから得られた年輪酸素同位体比のデータを、広葉樹を含む他のあらゆる種類の木材の年輪年代決定に利用できる。この酸素同位体比年輪年代法は、未だ誕生から10年にも満たない新しい手法であるが、この間、標準年輪曲線の構築・延伸とさまざまな技術革新を重ねてきた。ここでは、その原理と課題、未来について、包括的に報告したい。
年輪セルロース酸素同位体比の高い個体間相関性は、セルロースの原料が作られる葉内の水の酸素同位体比が、降水(水蒸気)の同位体比と相対湿度という2つの気象学的(日生物学的)因子によって決まることに由来している。また、そのメカニズムを介して、年輪酸素同位体比は夏の気候の感度の良い代替データになることが分かっており、先史時代を含むあらゆる時代の気候変動について、他では得られない高解像度のデータを提供できる。年代決定や気候復元を進めるためには、できるだけ多くの地域でできるだけ古い時代までさかのぼって、年輪酸素同位体比の標準年輪曲線(マスタークロノロジー)を構築する必要があるが、これまでに日本各地で現代から紀元前3000年前まで遡れる年単位で連続的な約5千年間のクロノロジーができ上がっており、それを使って縄文時代から現代までの日本各地、さらに韓国まで含めた様々な地域・時代の遺跡出土材や建築古材の年代決定が成功裏に行われてきている。その中では、膨大な数の年輪の迅速な分析技術、劣化した出土材からのセルロースの確実な抽出技術などが開発され、着実に年代決定の成功率を向上させてきた。また残された課題であった、考古学の研究に資する長周期の気候変動の復元や、遺跡出土材の大部分を占める年輪数が10年程度の小径木の年代決定が、最近になって可能になってきている。以降は、その技術革新の現状を踏まえて、未来の研究の可能性を議論したい。
年輪を使えば文字通り年単位の気候復元が可能であるが、考古学では年単位の気候データよりも百年単位の気候データの方が重宝される。一方で年輪には生物学的な樹齢効果が長周期の気候情報と干渉することも分かっていて、一般に年輪から百年、千年単位の気候変動を復元することは難しいと考えられてきた。しかし近年、年輪セルロースの酸素と水素の同位体比を組み合わせて、あらゆる周期の気候変動を正確に復元する技術(Nakatsuka et al., 2020: https://doi.org/10.5194/cp-2020-6)が開発され、さまざまな時代や地域への応用が期待されている。一方でセルロースの酸素(水素)同位体比は、年層内の季節(春から夏の)変動パターンを測定することもでき、気候復元の高解像度化と共に、年代決定情報の高精細化が進められている。これまでに弥生後期や古墳前期といった年単位での年代決定が歴史の解釈の鍵を握る時代を対象に、近畿地方などでセルロース酸素(水素)同位体比の年層内変動のデータベース作りを始めており、その成果は小径木の年代決定に実際に利用され始めている。
こうした技術革新の先にある酸素同位体比年輪年代法の考古学への最大の貢献とは何であろうか。遺跡から出土する杭や板、柱などのあらゆる小径木の年代が年単位で決定できるようになると、そのデータの年代別ヒストグラムを作ることで、土器の型式編年に依拠している日本の考古学では難しかった「単位時間当たりの人間活動の定量的な指標」を作成することができる。その知見を、あらゆる周期で正確に復元可能な年輪の酸素・水素同位体比に基づく気候変動の情報と照らし合わせることで、気候変動が人間社会の動態にどのように影響したのか(しなかったのか)を客観的に示すことが可能になる。このように全く新しい視点からの考古学の誕生が期待されている。
年輪セルロース酸素同位体比の高い個体間相関性は、セルロースの原料が作られる葉内の水の酸素同位体比が、降水(水蒸気)の同位体比と相対湿度という2つの気象学的(日生物学的)因子によって決まることに由来している。また、そのメカニズムを介して、年輪酸素同位体比は夏の気候の感度の良い代替データになることが分かっており、先史時代を含むあらゆる時代の気候変動について、他では得られない高解像度のデータを提供できる。年代決定や気候復元を進めるためには、できるだけ多くの地域でできるだけ古い時代までさかのぼって、年輪酸素同位体比の標準年輪曲線(マスタークロノロジー)を構築する必要があるが、これまでに日本各地で現代から紀元前3000年前まで遡れる年単位で連続的な約5千年間のクロノロジーができ上がっており、それを使って縄文時代から現代までの日本各地、さらに韓国まで含めた様々な地域・時代の遺跡出土材や建築古材の年代決定が成功裏に行われてきている。その中では、膨大な数の年輪の迅速な分析技術、劣化した出土材からのセルロースの確実な抽出技術などが開発され、着実に年代決定の成功率を向上させてきた。また残された課題であった、考古学の研究に資する長周期の気候変動の復元や、遺跡出土材の大部分を占める年輪数が10年程度の小径木の年代決定が、最近になって可能になってきている。以降は、その技術革新の現状を踏まえて、未来の研究の可能性を議論したい。
年輪を使えば文字通り年単位の気候復元が可能であるが、考古学では年単位の気候データよりも百年単位の気候データの方が重宝される。一方で年輪には生物学的な樹齢効果が長周期の気候情報と干渉することも分かっていて、一般に年輪から百年、千年単位の気候変動を復元することは難しいと考えられてきた。しかし近年、年輪セルロースの酸素と水素の同位体比を組み合わせて、あらゆる周期の気候変動を正確に復元する技術(Nakatsuka et al., 2020: https://doi.org/10.5194/cp-2020-6)が開発され、さまざまな時代や地域への応用が期待されている。一方でセルロースの酸素(水素)同位体比は、年層内の季節(春から夏の)変動パターンを測定することもでき、気候復元の高解像度化と共に、年代決定情報の高精細化が進められている。これまでに弥生後期や古墳前期といった年単位での年代決定が歴史の解釈の鍵を握る時代を対象に、近畿地方などでセルロース酸素(水素)同位体比の年層内変動のデータベース作りを始めており、その成果は小径木の年代決定に実際に利用され始めている。
こうした技術革新の先にある酸素同位体比年輪年代法の考古学への最大の貢献とは何であろうか。遺跡から出土する杭や板、柱などのあらゆる小径木の年代が年単位で決定できるようになると、そのデータの年代別ヒストグラムを作ることで、土器の型式編年に依拠している日本の考古学では難しかった「単位時間当たりの人間活動の定量的な指標」を作成することができる。その知見を、あらゆる周期で正確に復元可能な年輪の酸素・水素同位体比に基づく気候変動の情報と照らし合わせることで、気候変動が人間社会の動態にどのように影響したのか(しなかったのか)を客観的に示すことが可能になる。このように全く新しい視点からの考古学の誕生が期待されている。