[HCG32-P04] 決めるのは科学なのか:リスクと社会的意思決定のあいだ
キーワード:理学と工学、科学技術社会論
本セッションでは地球科学と原子力利用に係るリスクの関係、そこでの科学者、工学者の関与のあり方や示すべき態度が議論されてきた。筆者はそれを、理学と工学の相互作用やすれ違い、その背後にある安全観(あるいはリスク観)、さらには専門家としての使命についての認識の差異に着目して分析し、そのギャップを乗りこえる方途を探ってきた。
他方、問題の核心はそこにはなく、関与する個人の倫理と良心の問題であり、あるいはそれを踏み外させる方向に働く、政策・制度におけるモラルハザードの問題であるとの見解も根強い(舩橋(2013)、島薗(2013)、石橋(2019)等)。
こうした見解の相違は、科学技術社会論の見地からすると、「科学」やそれがもたらす知の性質をどう見るかの違いに関わる。すなわち、科学知が直ちに安全やリスクについて社会が取るべき判断を導きうるし、そうあるべきだと考えるか、そうではなく、両者の間には本質的に差異と距離があり、それを適切に架橋するための知恵やしくみが必要だと見るかによって、上記の問題も、モラルの問題としての側面を強調するべきなのか、コミュニケーションやしくみの問題を強調するべきなのか、見立てが異なってくる。
本発表では、昨年の大会でポスター報告した、SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)事例とその分析にも言及しながら、改めてこうした見取り図を整理して示し、本セッションにおける理工間の対話の実質化に貢献したい。
他方、問題の核心はそこにはなく、関与する個人の倫理と良心の問題であり、あるいはそれを踏み外させる方向に働く、政策・制度におけるモラルハザードの問題であるとの見解も根強い(舩橋(2013)、島薗(2013)、石橋(2019)等)。
こうした見解の相違は、科学技術社会論の見地からすると、「科学」やそれがもたらす知の性質をどう見るかの違いに関わる。すなわち、科学知が直ちに安全やリスクについて社会が取るべき判断を導きうるし、そうあるべきだと考えるか、そうではなく、両者の間には本質的に差異と距離があり、それを適切に架橋するための知恵やしくみが必要だと見るかによって、上記の問題も、モラルの問題としての側面を強調するべきなのか、コミュニケーションやしくみの問題を強調するべきなのか、見立てが異なってくる。
本発表では、昨年の大会でポスター報告した、SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)事例とその分析にも言及しながら、改めてこうした見取り図を整理して示し、本セッションにおける理工間の対話の実質化に貢献したい。