[HGM03-01] 後期更新世における肝属平野の古地理
キーワード:地形発達、海水準変動、阿多火砕流、笠野原台地、肝属川
大隅半島の肝属平野における後期更新世の古地理の変遷を,地下地質資料の整理によって検討した.肝属平野は志布志湾に面し,後期更新世に鹿児島湾から噴出した阿多火砕流(11万年前)と入戸火砕流(3万年前)とが厚く堆積する.当地域の地形発達に関しては,笠野原における入戸火砕流堆積直後の侵食過程(横山,2000)や,完新世の肝属川デルタの形成(永迫ほか,1999;Ishii,2018)を扱った研究があるものの,後期更新世を通じた肝属平野の古地理の復元は十分になされていない.このため本研究では肝属平野の地形変化を代表する12.5万年前,11万年前,そして3万年前~2万年前の古地理を復元した.
まず沖積層あるいは入戸火砕流堆積物の下に埋没した過去の地形を復元するために,既存の地下資料からテフラ層あるいは海成層の基底および上端の高度を得た.資料には久保田ほか(2005)のボーリングデータおよび電気探査結果,土木研究所の「KuniJiban」と防災科学技術研究所の「Geo-Station」,地盤工学会九州支部の「九州地盤情報共有データベース(1~3版)」に収録されているボーリングデータである.基盤岩の上限高度分布を求めその等深線図を50 m間隔で作成し,さらに阿多火砕流堆積物の上限高度および大隅降下軽石層の基底高度を抽出して串良川の河床縦断面に投影した.
【12.5万年前の古地理】
基盤岩上限高度の分布は笠野原で標高-50 m以上と相対的に高く,肝属川沿いの低地(肝属低地)で標高-150 mを下回る東向きの埋没谷があり,吾平町付近では孤立した凹地がみられた.串良川以東では資料がきわめて少なく,等深線を描けなかった.
最終間氷期の肝属平野について菅原(1986)は阿多火砕流堆積物下位に貝化石を含む砂層および泥層を認めた.大木(1999)はこの地層を酸素同位体ステージ5eの海成層と考え,串良層と命名した.また,大木(1999)は酸素同位体ステージ5eの肝属平野における大まかな海岸線の位置を推定している.これらを踏まえ,本研究では各資料において串良層に相当する地層の分布を調査した.
その結果,串良町北部に加えて鹿屋市中心部の地下においても阿多火砕流堆積物直下の貝化石を含む砂層の存在が確認された.これらの層はいずれも現在の海面下にあり,過去12.5万年間の肝属平野はほとんど隆起していないことを示す.したがって,標高0mに引かれた基盤岩上限高度の等深線を12.5万年前の海岸線の位置とみなすことができる.したがって,12.5万年前の肝属平野は大塚山のような基盤岩の突出部を除いて浅い海であったといえる.
【11万年前の古地理】
11万年前,阿多火砕流は海水準低下により笠野原では浅海あるいは陸上に堆積して強く溶結し,肝属低地では深い海中に堆積したと思われる.
【3万年~2万年前の古地理】
最終間氷期から最終氷期にかけて,肝属川とその支流は,笠野原に広がる溶結した阿多火砕流堆積物からなる台地を侵食し谷を形成した.串良川の埋没谷における大隅降下軽石層の基底高度分布は,3万年前に生栗須付近まで深い谷が存在したことを示す.肝属川河口部における基盤岩上面の高度は最終氷期最盛期の海水準よりも低く,最終氷期中にあっても志布志湾の海岸線が現在の肝属低地にまで一時達していた可能性がある.
文献:Ishii, Y. (2018) Palaeogeography, Palaeoclimatology, Palaeoecology 502. 久保田富次郎・増本隆夫・松田周・古江広治 (2005) 農業工学研究所技報 203.永迫俊郎・奥野充・森脇広・新井房夫・中村俊夫 (1999) 第四紀研究 38.大木公彦 (1999) 南太平洋海域調査研究報告 32.菅原利夫 (1986) 北村信教授記念地質学論文集.横山勝三 (2000) 地形 21.
まず沖積層あるいは入戸火砕流堆積物の下に埋没した過去の地形を復元するために,既存の地下資料からテフラ層あるいは海成層の基底および上端の高度を得た.資料には久保田ほか(2005)のボーリングデータおよび電気探査結果,土木研究所の「KuniJiban」と防災科学技術研究所の「Geo-Station」,地盤工学会九州支部の「九州地盤情報共有データベース(1~3版)」に収録されているボーリングデータである.基盤岩の上限高度分布を求めその等深線図を50 m間隔で作成し,さらに阿多火砕流堆積物の上限高度および大隅降下軽石層の基底高度を抽出して串良川の河床縦断面に投影した.
【12.5万年前の古地理】
基盤岩上限高度の分布は笠野原で標高-50 m以上と相対的に高く,肝属川沿いの低地(肝属低地)で標高-150 mを下回る東向きの埋没谷があり,吾平町付近では孤立した凹地がみられた.串良川以東では資料がきわめて少なく,等深線を描けなかった.
最終間氷期の肝属平野について菅原(1986)は阿多火砕流堆積物下位に貝化石を含む砂層および泥層を認めた.大木(1999)はこの地層を酸素同位体ステージ5eの海成層と考え,串良層と命名した.また,大木(1999)は酸素同位体ステージ5eの肝属平野における大まかな海岸線の位置を推定している.これらを踏まえ,本研究では各資料において串良層に相当する地層の分布を調査した.
その結果,串良町北部に加えて鹿屋市中心部の地下においても阿多火砕流堆積物直下の貝化石を含む砂層の存在が確認された.これらの層はいずれも現在の海面下にあり,過去12.5万年間の肝属平野はほとんど隆起していないことを示す.したがって,標高0mに引かれた基盤岩上限高度の等深線を12.5万年前の海岸線の位置とみなすことができる.したがって,12.5万年前の肝属平野は大塚山のような基盤岩の突出部を除いて浅い海であったといえる.
【11万年前の古地理】
11万年前,阿多火砕流は海水準低下により笠野原では浅海あるいは陸上に堆積して強く溶結し,肝属低地では深い海中に堆積したと思われる.
【3万年~2万年前の古地理】
最終間氷期から最終氷期にかけて,肝属川とその支流は,笠野原に広がる溶結した阿多火砕流堆積物からなる台地を侵食し谷を形成した.串良川の埋没谷における大隅降下軽石層の基底高度分布は,3万年前に生栗須付近まで深い谷が存在したことを示す.肝属川河口部における基盤岩上面の高度は最終氷期最盛期の海水準よりも低く,最終氷期中にあっても志布志湾の海岸線が現在の肝属低地にまで一時達していた可能性がある.
文献:Ishii, Y. (2018) Palaeogeography, Palaeoclimatology, Palaeoecology 502. 久保田富次郎・増本隆夫・松田周・古江広治 (2005) 農業工学研究所技報 203.永迫俊郎・奥野充・森脇広・新井房夫・中村俊夫 (1999) 第四紀研究 38.大木公彦 (1999) 南太平洋海域調査研究報告 32.菅原利夫 (1986) 北村信教授記念地質学論文集.横山勝三 (2000) 地形 21.