JpGU-AGU Joint Meeting 2020

講演情報

[J] 口頭発表

セッション記号 H (地球人間圏科学) » H-QR 第四紀学

[H-QR05] 水中遺構に記録される災害と人の営み

コンビーナ:谷川 亘(国立研究開発法人海洋研究開発機構高知コア研究所)、徳山 英一(高知大学海洋コア総合研究センター)、山崎 新太郎(京都大学防災研究所)

[HQR05-06] 災害考古学と水中考古学:日本の発展のために

*佐々木 蘭貞1 (1.九州国立博物館)

キーワード:水中考古学、文化庁、災害

日本は災害大国と呼ばれ、地震と津波、火山の噴火、台風など様々な災害が起こる。文献記録に過去の災害が記されていることはよく知られた事実だが、過去の災害の証拠は考古学資料にも見られる。考古学という言葉を聞くと、陸の発掘をイメージすることが多いが、実は水中に残された遺跡にこそ災害の証拠が色濃く残されている。当時陸であった場所が水没して形成された遺跡、沈没船、漁労や港の痕跡などを水中遺跡と呼ぶ。例えば、水害により水没した遺跡は、当時の様子を残しているし、沈没船も様々な要因による「海難事故」の現場である。それらの遺跡から災害に直面した際の人々の行動を読み取ることが出来る。また、戦争遺跡も災害(人災)遺跡であると捉えることができ、その証拠は海に残されている。ここでは、世界と日本に存在する「災害の爪痕を残す水中遺跡」を数例紹介し、また、水中遺跡調査の意義とその保護の必要性を説きたい。

海賊の町として知られるポートロイヤルは、1692年、地震によって町の大半が海に沈んだ。1980年代以降に実施された水中発掘調査では、区画などを残したまま町が残っていたことが分かった。当時の町の様子や貿易の形態を知ることが出来る貴重な遺跡である。また、道路の真ん中で船が発見されており、地震に伴い発生した津波によって船が町の中まで流されたことを示している。地震により沈んだ町や村は日本でも知られている。草戸千軒や長浜城、檜原湖の水没した村のような遺跡・遺構が数多く知られる。しかし、多くの遺跡において詳細な調査は実施されておらず、今後の研究の進展に期待したい。

沈没船遺跡は、まさに海難事故の現場である。沈没船遺跡からは、船の進んでいた方向、浅瀬に乗り上げた場所、船の状態、積み荷を投げ捨てた形跡、アンカーを引きずった跡なども残されていることがあり、数百年経過した場合でも、「現場検証」が可能となる。生存者がいた場合、事故の記録などが残されていることがあり、そのような資料と合わせて当時の様子を再現することが可能となる。1912年に沈没したタイタニック号は、あまりにも有名であるが、海底に残された残骸から沈没の様子を再現することが出来る。トルコのヤシ・アダ遺跡には、4世紀と7世紀の船が重なり合って発見されており、まさに海の難所であることを示している。日本の沈没船遺跡としては、例えば1890年、明治天皇に謁見したトルコの使節団を乗せたトルコ軍艦エルトゥールル号を挙げることができる。和歌山県串本の大島沖で嵐に遭い、ボイラーが爆発したと記されている。沈没地点には砕けたボイラーや金属遺物が散乱している。また、大島村長が残した日記は、遭難者の扱いや当時の日本国内の伝令の実例などを知る上で貴重な資料となっている。当時、日本人の懸命な救護活動を知ったトルコ人は感銘を受けたと言われている。トルコと日本の友好関係の礎となった事件である。

戦争も災害と考えると、太平洋諸国の海底には数多くの20世紀の遺産が残されていることを忘れることはできない。戦争遺跡は、決してここ百年ほど前の遺跡だけではない。日本を代表する遺跡に長崎県松浦市の鷹島海底遺跡がある。13世紀の蒙古襲来(弘安の役)の際に、大風によって多くの船が沈没したと伝わる場所が鷹島であり、その海底から中国船の船体、陶磁器や武具類などが発見されている。数千の船からなる船団をどのように統率したか、また、実際にはどれほどの嵐であったのかなど様々な疑問が残される。
最後に、水中遺跡調査の意義とその保護の必要性を訴えたい。水中遺跡の特徴として、水中に埋もれた状態では、無酸素状態であるため有機物の保存が良好であることが知られる。また、開発がおよぶことが少ないため、当時の状況をそのまま残した遺跡が発見されることがある。通常、陸の遺跡は、長い間使われた場所が時間をかけて廃墟になり、最終的に埋もれた跡である。しかし、水中に没した災害遺跡は、人々が生活していた場所が瞬間的に奪われた現場を残していることが多い。それゆえ、水中遺跡は「海のタイムカプセル」と呼ばれる。日本では水中遺跡に対する関心があまり芽生えておらず、調査体制の整備が喫緊の課題である。ヨーロッパなどでは各国それぞれ数万件の水中遺跡が確認されているが、日本では数百件の遺跡が周知されているに過ぎない。文化庁は、水中遺跡の保護の方針を示しているが、適切な保護体制の整備には時間を有する。諸外国の例を見ると、水中遺跡の第一発見者の多くは、漁業に従事する者、海洋開発や研究に携わる人々である。水中遺跡の保護に関して、考古学と一見すると関係のない研究者や海にかかわる一般の人々への理解が水中遺跡保護の周知への近道である。