JpGU-AGU Joint Meeting 2020

講演情報

[J] ポスター発表

セッション記号 M (領域外・複数領域) » M-ZZ その他

[M-ZZ55] 文化地質学

コンビーナ:鈴木 寿志(大谷大学)、先山 徹(NPO法人地球年代学ネットワーク 地球史研究所)、高橋 直樹(千葉県立中央博物館)

[MZZ55-P01] 明智光秀は由良川の流路を替えたのか?

★招待講演

*小滝 篤夫1 (1.京都府立大学)

キーワード:明智光秀、福知山城、由良川、自然堤防

京都府北部の福知山においては,明智光秀が1579年に丹波地方を攻略した後,由良川の流れを替えてそこに新たに城下町をつくった,と言い継がれている.藤原(1981)はボーリングデータに基づいて,福知山の由良川旧河道の推定を行った.深度5m以内で泥層が卓越する範囲を旧河道と想定し,市街地南部を西流し,市街地西方で北へ向きを変える旧河道を示した.地元では一般に理解されている旧河道の形状であった.最近では国土地理院の「治水地形分類図」に市街地南方から西方にかけて藤原(1981)と近い位置に旧河道が記載されている.
 しかし,西流していた由良川を城下町建設時にせき止めて流路を北に変えたのか,それとも光秀の時代より前からすでに由良川は今の流路を流れていたのか,判然としない.そこで,さらにボーリングデータを集めて旧河道の位置を再検討した.その結果,上記の推定旧河道と現由良川が接する付近においては,10mを越える厚い礫層のみが分布し,泥層は存在しないことが明らかとなった。すなわち,この礫層は自然堤防の堆積物と考えられる.
 以上のような堆積物の状況を考えると,旧河道は光秀による城下町建設以前に自然堤防堆積物によってすでに閉塞されていた可能性が高い.明智光秀が由良川をせき止めたのではなく,それ以前に,自然堤防堆積物が広がる区域に城下町を建設したものであろう.
引用文献 藤原紀幸(1981)京都府建築士会福知山支部「福知山市内地質調査集計表」,2-10.