[SVC47-02] 日光白根火山慶安2(西暦1649)年噴火の再検討
キーワード:日光白根火山、西暦1649年、降下火砕堆積物、噴出体積
栃木県と群馬県境に位置する日光白根火山には,明治年間の西暦1872–73年,1889–90年,および江戸時代初期の1649年の噴火記録がある.西暦1649年(慶安2年)の噴火は日光白根火山の歴史記録中で最も大規模な活動で,山麓で確認される火砕堆積物のうち最上位の堆積物がこれに対比されてきた(奥野,1993;鈴木ほか,1994).最近,日光白根山頂部のボーリングコア試料(山元ほか,2017)および,小規模なトレンチ調査(草野・石塚,2020)からも,最上位に粘土質な特徴を持つ降下火砕堆積物が報告された.本発表では,これら山頂部に見られた火砕堆積物および山麓で確認される火砕堆積物を対比し,西暦1649年の噴出物と噴出体積について総括する.
降下火砕堆積物は,日光白根山頂部から西に約3 km,東–南東に約8 kmの範囲で確認され,東–南東方向に厚く堆積している.層厚5–10 cmの表土の下位に,黄褐色,黄白色–灰白色を呈する粘土質な降下火砕堆積物として認められる.白根山頂部(山頂から約1 km以内)では,層厚20–30 cm,下部がやや粗粒で上部へ弱く級化する堆積構造も認められる.構成物は山麓と比べて粗粒で砂質物が多く,安山岩火山礫や火山岩塊(平均最大粒径20 cm)を含む.山麓部では,塊状を呈し,湯ノ湖周辺から戦場ヶ原にかけて広く層厚5–10 cmが確認された.戦場ヶ原南部には,16–20 cmと厚い地点もある.
降下火砕堆積物に覆われた土壌(6地点6試料)の放射性炭素年代値は,1436–1486,1533–1797,1470–1639,1324–1431,1442–1617,1474–1635 ADであった.いずれも噴火記録がある西暦1649年よりも古い年代から同年代を示し,整合的な結果といえる.
降下火砕堆積物の層厚分布から見積もられた噴出物量は,区間積分法(下司ほか,2010)で2.5 × 107 m3,Hayakawa (1985)の経験式で2.2–6.1 × 107 m3,Fierstein and Nathenson (1992)の方法で2.1 × 107 m3であった.複数の方法で見積もった噴出量にはばらつきがあるが,107 m3クラスの噴出量となることは共通する.したがって,西暦1649年噴火の噴出量は2–3 × 107 m3と推定される.この値は従来の報告(奥野,1993)よりも1桁多く,見かけの噴出量から見積もった火山爆発指数(VEI)は3となる.
降下火砕堆積物は,日光白根山頂部から西に約3 km,東–南東に約8 kmの範囲で確認され,東–南東方向に厚く堆積している.層厚5–10 cmの表土の下位に,黄褐色,黄白色–灰白色を呈する粘土質な降下火砕堆積物として認められる.白根山頂部(山頂から約1 km以内)では,層厚20–30 cm,下部がやや粗粒で上部へ弱く級化する堆積構造も認められる.構成物は山麓と比べて粗粒で砂質物が多く,安山岩火山礫や火山岩塊(平均最大粒径20 cm)を含む.山麓部では,塊状を呈し,湯ノ湖周辺から戦場ヶ原にかけて広く層厚5–10 cmが確認された.戦場ヶ原南部には,16–20 cmと厚い地点もある.
降下火砕堆積物に覆われた土壌(6地点6試料)の放射性炭素年代値は,1436–1486,1533–1797,1470–1639,1324–1431,1442–1617,1474–1635 ADであった.いずれも噴火記録がある西暦1649年よりも古い年代から同年代を示し,整合的な結果といえる.
降下火砕堆積物の層厚分布から見積もられた噴出物量は,区間積分法(下司ほか,2010)で2.5 × 107 m3,Hayakawa (1985)の経験式で2.2–6.1 × 107 m3,Fierstein and Nathenson (1992)の方法で2.1 × 107 m3であった.複数の方法で見積もった噴出量にはばらつきがあるが,107 m3クラスの噴出量となることは共通する.したがって,西暦1649年噴火の噴出量は2–3 × 107 m3と推定される.この値は従来の報告(奥野,1993)よりも1桁多く,見かけの噴出量から見積もった火山爆発指数(VEI)は3となる.