[U08-04] 地球科学の不確実情報の伝え方 ーあいまいな地球科学の私たちー
★招待講演
キーワード:コミュニケーション、不確実性、地震、災害
日本では数年に一度,大地震が発生して犠牲者が出ている.2011年の東日本大震災が18,000名余りの死者行方不明者を出した後も,2016年熊本地震,2018年大阪北部地震,胆振東部地震が相次いで発生した.地震の揺れやそれに伴う土砂災害によって犠牲者が出ている.また,台風も年々大型化しており,集中豪雨や海面上昇に伴う高潮など,風水害での被害も多くなっている.いまや「被災地」と言ってどこを指すのか曖昧になるほどである.
このような状況にあって,地球科学は災害リスクの軽減に対して社会から期待を寄せられている.地球科学もなんとかこの期待に応えようとさまざまな実践がなされてきた.例えば,地震学は1995年の兵庫県南部地震以降,政府が毎年発表する地震動予測地図の発行に尽力している.気象災害や火山災害についても,予測精度の向上に向けた研究はもちろん,警戒レベルの導入や運用にも尽力している.
ここでは地震動予測地図を例に,その情報がどのように受け止められているかの調査結果を報告する.日本ではどこでも地震が発生するリスクがある.個別の想定震源域での地震を想定したシナリオ予測だけでは結果的に自分のいる場所が被災する確率がどのくらいあるのかは掴めない.そこで,日本の任意の地点が今後30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率を算出し,日本列島を概観する形で図示し,確率によって黄色から茶色に塗り分けている.
この地図を一般の人はどのように受け止めるのか調査を行った(Nagamatsu et.al., 2017).すると,確率の低い地域の人にとっては,この地図を見るとかえってリスク認知が下がってしまうという結果が出た.地図を見たことで,自分の住む地域は相対的に確率低い,と安心してしまったことが示唆される.もちろん,この地図上での確率が低くても,日本ではどこでも地震が発生するし,実際にこの地図の低確率のところで被害地震が起きたこともある.地震対策を促すために国をあげて作成した地図を見せて,かえって防災対策が阻害されるというのは皮肉な結果である.
このように,地球科学から社会に役立つ情報を発信するとき,どうしても不確実性を伴う.そしてその不確実性の表現として我々は確率を導入するが,それは必ずしもいいコミュニケーションにはなっていないのである.ではこの不確実性の伝達はどのようなコミュニケーションで達成できるだろうか.ある中学校で行われている「防災小説」という活動を紹介したい.
土佐清水市立清水中学校の防災学習に導入された「防災小説」とは,およそ1ヶ月後の特定の日時と天気を学校がひとつ定め,その日に南海トラフ巨大地震が発生したと想定して,その時自分は何をしているか,家族はどこで何をしているか,自分はどんな気持ちになるか,などを800字で綴ったものである.「物語は必ず希望をもって終えること」というルールの下で,生徒ひとりひとりが,まだ起きていない未来の地震をもう起きたことかのように自分の物語として綴る.
この「防災小説」を地震の不確実性の伝達という観点から捉え直してみよう.今の地震の科学では,いつ地震が発生するかを精度良く予測することはできない.そして,「いつ」を指定できないと,地震による被害予測にも不確実性が伴う.たとえば火災は,何時に地震が起きたのかによって被害の程度が変わってくる.発災する日の天気も当然わからないので,雨が続いていて想定よりも大規模ながけ崩れになるといった予測も立てられない.このように,地震発生に関する不確実性は,被害予測の不確実性にもつながっている.
「防災小説」の活動では,地震発生の日時を学校が指定する.当然のことながら,これを本当の地震予知だと思う人はいない.詳細に決定するからこそ具体的に自分の避難行動を考えることができるという教育的配慮のひとつである.津波が町を飲み込むようすも生徒によってそれぞれの表現で描かれており,火災を描写する子や,がけ崩れを書く子もいる.90人が綴って90通りの被害予測ができあがる.この,生徒の人数分だけ被害状況が描写されることが,はからずも被害予測の不確実性や多様性を表現していると言えよう.さらに翌年は別の季節の別の時間,別の天気の設定で執筆するため,生徒も保護者や地域の人も,いろいろな想定を考えるようになる.科学の限界によってどうしても避けられない不確実性は,確率でなくてもこのように表現できるのである.
このような状況にあって,地球科学は災害リスクの軽減に対して社会から期待を寄せられている.地球科学もなんとかこの期待に応えようとさまざまな実践がなされてきた.例えば,地震学は1995年の兵庫県南部地震以降,政府が毎年発表する地震動予測地図の発行に尽力している.気象災害や火山災害についても,予測精度の向上に向けた研究はもちろん,警戒レベルの導入や運用にも尽力している.
ここでは地震動予測地図を例に,その情報がどのように受け止められているかの調査結果を報告する.日本ではどこでも地震が発生するリスクがある.個別の想定震源域での地震を想定したシナリオ予測だけでは結果的に自分のいる場所が被災する確率がどのくらいあるのかは掴めない.そこで,日本の任意の地点が今後30年以内に震度6弱以上の揺れに見舞われる確率を算出し,日本列島を概観する形で図示し,確率によって黄色から茶色に塗り分けている.
この地図を一般の人はどのように受け止めるのか調査を行った(Nagamatsu et.al., 2017).すると,確率の低い地域の人にとっては,この地図を見るとかえってリスク認知が下がってしまうという結果が出た.地図を見たことで,自分の住む地域は相対的に確率低い,と安心してしまったことが示唆される.もちろん,この地図上での確率が低くても,日本ではどこでも地震が発生するし,実際にこの地図の低確率のところで被害地震が起きたこともある.地震対策を促すために国をあげて作成した地図を見せて,かえって防災対策が阻害されるというのは皮肉な結果である.
このように,地球科学から社会に役立つ情報を発信するとき,どうしても不確実性を伴う.そしてその不確実性の表現として我々は確率を導入するが,それは必ずしもいいコミュニケーションにはなっていないのである.ではこの不確実性の伝達はどのようなコミュニケーションで達成できるだろうか.ある中学校で行われている「防災小説」という活動を紹介したい.
土佐清水市立清水中学校の防災学習に導入された「防災小説」とは,およそ1ヶ月後の特定の日時と天気を学校がひとつ定め,その日に南海トラフ巨大地震が発生したと想定して,その時自分は何をしているか,家族はどこで何をしているか,自分はどんな気持ちになるか,などを800字で綴ったものである.「物語は必ず希望をもって終えること」というルールの下で,生徒ひとりひとりが,まだ起きていない未来の地震をもう起きたことかのように自分の物語として綴る.
この「防災小説」を地震の不確実性の伝達という観点から捉え直してみよう.今の地震の科学では,いつ地震が発生するかを精度良く予測することはできない.そして,「いつ」を指定できないと,地震による被害予測にも不確実性が伴う.たとえば火災は,何時に地震が起きたのかによって被害の程度が変わってくる.発災する日の天気も当然わからないので,雨が続いていて想定よりも大規模ながけ崩れになるといった予測も立てられない.このように,地震発生に関する不確実性は,被害予測の不確実性にもつながっている.
「防災小説」の活動では,地震発生の日時を学校が指定する.当然のことながら,これを本当の地震予知だと思う人はいない.詳細に決定するからこそ具体的に自分の避難行動を考えることができるという教育的配慮のひとつである.津波が町を飲み込むようすも生徒によってそれぞれの表現で描かれており,火災を描写する子や,がけ崩れを書く子もいる.90人が綴って90通りの被害予測ができあがる.この,生徒の人数分だけ被害状況が描写されることが,はからずも被害予測の不確実性や多様性を表現していると言えよう.さらに翌年は別の季節の別の時間,別の天気の設定で執筆するため,生徒も保護者や地域の人も,いろいろな想定を考えるようになる.科学の限界によってどうしても避けられない不確実性は,確率でなくてもこのように表現できるのである.