11:00 〜 13:00
[G01-P02] ナラティヴを活用した災害科学コミュニケーション―小学生への2つの理科授業実践をふまえて―
キーワード:災害科学コミュニケーション、理科教育、防災教育、ナラティヴ、地球システム、自分と地球のかかわり
本研究の目的は,災害科学コミュニケーションにおける,個人の防災実践により資するような科学的知識の位置づけ方を明らかにすることである。
本研究の背景として,災害科学の知識の獲得と防災実践の間の乖離がある。日本人の多くはプレートの沈み込みが地震発生の原因であることや大雨が水害の原因であることなどを知っているにもかかわらず,その科学的な知識は必ずしも災害への対処行動に結びついていない。発表者は,この課題の原因が従来なされてきた科学的知識伝達の2つの特徴,1)自然災害のハザードに関する「正しい知識」を,客観的で脱文脈的なまま正しく理解させることを志向している点,2)地球の活動の中の一部分の事物・現象を,断片的に切り出して説明している点,にあると考えた。
そこで発表者は,これらとは異なるアプローチを試み,災害科学の知識を,①「自分との関係」という文脈を意識させながら,②大きな地球(システム)の全体をふまえて伝える理科の授業実践(「理科教室」)を行った。この授業実践は,埼玉県川越市の防災教育重点校である小学校において,2019年8月および2021年12月に実施した。1回目の授業テーマは地震災害と地球内部構造,2回目は豪⾬災害と地球の水循環である。地震の理科教室には1~6年生およびその兄弟の希望者計71名,水の理科教室には6年生全体の100名が参加した。
理科教室では,前述の①・②を実現させるにあたって「ナラティヴ(語り)」を活用した。ナラティヴとは「語り」または「物語」と訳される,人が現実を理解する際のひとつの形式である。これを本研究では,「複数の出来事や知識を結びつけて筋立て,新たな意味(文脈)を与える(あるいは生成する)もの」としている。
2つの「理科教室」の特徴は,地震・雨の仕組みをはじめとした災害科学・地球科学の知識を,ナラティヴを通じて「地球システム」および「自分と地球のかかわり」を積極的に意識させながら伝達したことである。具体的には,「架空の調査船『モグルン号』に乗って地球の中心へ向かい旅をする」という物語に参加者自身が主観的に入り込み「旅」をする過程で,地球内部における個別の事象の知識を全体の大きなストーリーの中に位置づけ,ひとまとまりの意味をもって理解してもらった。また,その旅の過程で知ったマントル対流をもとにして地震の仕組みを説明した。これらに加え,地球内部の各層に見立てた粘土を中心から順に包み地球の模型を作る工作体験(最後,地殻の粘土は薄すぎるため表面を覆いきれない)や,授業者が語った自らの被災体験の中の「(これだけの大きな地震・津波が起こるのも)地球も生きているからしょうがない」という言葉も,地球(科学),災害(防災),個人の文脈を結ぶナラティヴとして重要である。また水の理科教室では,水のキャラクター『みずまる』が川や海,大気中(雲・雨)を循環する物語の中で,その水循環という大きな地球システムの一部として雲や雨などを包括的に捉えさせた。そしてこの水循環は「人間がいてもいなくても関係なく地球を巡っている」ものであること,雨の量は一定ではなく,たまに降り過ぎてしまった時に水害に繋がることを伝えた。
分析の対象とするデータは,主に授業前後に参加者に対して実施したアンケートへの記述内容と,当日の参加者の言動,4ヶ月後の保護者へのアンケート,担任教員らを対象としたインタビュー等である。これらをもとに,授業で扱った内容が個人の中でどのように理解・解釈されたか,また彼らの地震・雨(水害)の捉え方がどのように変化したかについて考察した。
ナラティヴを通じて災害科学の知識を伝達した2つの実践の結果,参加者らは,地震や雨のメカニズムを単に「わかりやすい」客観的な知識として理解することに留まらず,さまざまな主観的解釈を行い,それを自らが生きる固有の世界の文脈に位置づけたことが分かった。また,人間が介在する余地もない壮大なシステムとして動いている地球の中に自分たちが暮らしているという関係性を,実感をもって捉え直す傾向が見られた。さらに,地球システムの全体像をふまえた地震・雨の理解によって,ただ怖がる対象・なくなってほしいと願う対象であった地震や(水害の原因としての)大雨は,「地球の活動(マントル対流や水循環)の帰結として必然的に発生する現象」として意味づけ直された。これによって彼らは,「しょうがないこと」「当たり前」「自分には地球の動きをどうすることもできない」のように納得し,受け入れた。そこからさらに,「自分の方が逃げるしかない」と,自然災害に対して謙虚かつポジティブに向き合えるようにもなった。
これらを通じ,「防災に資するための災害科学の知識のより良い位置づけ方」は,災害や地球に対して謙虚に向き合う姿勢を生むことであると結論した。
本研究の背景として,災害科学の知識の獲得と防災実践の間の乖離がある。日本人の多くはプレートの沈み込みが地震発生の原因であることや大雨が水害の原因であることなどを知っているにもかかわらず,その科学的な知識は必ずしも災害への対処行動に結びついていない。発表者は,この課題の原因が従来なされてきた科学的知識伝達の2つの特徴,1)自然災害のハザードに関する「正しい知識」を,客観的で脱文脈的なまま正しく理解させることを志向している点,2)地球の活動の中の一部分の事物・現象を,断片的に切り出して説明している点,にあると考えた。
そこで発表者は,これらとは異なるアプローチを試み,災害科学の知識を,①「自分との関係」という文脈を意識させながら,②大きな地球(システム)の全体をふまえて伝える理科の授業実践(「理科教室」)を行った。この授業実践は,埼玉県川越市の防災教育重点校である小学校において,2019年8月および2021年12月に実施した。1回目の授業テーマは地震災害と地球内部構造,2回目は豪⾬災害と地球の水循環である。地震の理科教室には1~6年生およびその兄弟の希望者計71名,水の理科教室には6年生全体の100名が参加した。
理科教室では,前述の①・②を実現させるにあたって「ナラティヴ(語り)」を活用した。ナラティヴとは「語り」または「物語」と訳される,人が現実を理解する際のひとつの形式である。これを本研究では,「複数の出来事や知識を結びつけて筋立て,新たな意味(文脈)を与える(あるいは生成する)もの」としている。
2つの「理科教室」の特徴は,地震・雨の仕組みをはじめとした災害科学・地球科学の知識を,ナラティヴを通じて「地球システム」および「自分と地球のかかわり」を積極的に意識させながら伝達したことである。具体的には,「架空の調査船『モグルン号』に乗って地球の中心へ向かい旅をする」という物語に参加者自身が主観的に入り込み「旅」をする過程で,地球内部における個別の事象の知識を全体の大きなストーリーの中に位置づけ,ひとまとまりの意味をもって理解してもらった。また,その旅の過程で知ったマントル対流をもとにして地震の仕組みを説明した。これらに加え,地球内部の各層に見立てた粘土を中心から順に包み地球の模型を作る工作体験(最後,地殻の粘土は薄すぎるため表面を覆いきれない)や,授業者が語った自らの被災体験の中の「(これだけの大きな地震・津波が起こるのも)地球も生きているからしょうがない」という言葉も,地球(科学),災害(防災),個人の文脈を結ぶナラティヴとして重要である。また水の理科教室では,水のキャラクター『みずまる』が川や海,大気中(雲・雨)を循環する物語の中で,その水循環という大きな地球システムの一部として雲や雨などを包括的に捉えさせた。そしてこの水循環は「人間がいてもいなくても関係なく地球を巡っている」ものであること,雨の量は一定ではなく,たまに降り過ぎてしまった時に水害に繋がることを伝えた。
分析の対象とするデータは,主に授業前後に参加者に対して実施したアンケートへの記述内容と,当日の参加者の言動,4ヶ月後の保護者へのアンケート,担任教員らを対象としたインタビュー等である。これらをもとに,授業で扱った内容が個人の中でどのように理解・解釈されたか,また彼らの地震・雨(水害)の捉え方がどのように変化したかについて考察した。
ナラティヴを通じて災害科学の知識を伝達した2つの実践の結果,参加者らは,地震や雨のメカニズムを単に「わかりやすい」客観的な知識として理解することに留まらず,さまざまな主観的解釈を行い,それを自らが生きる固有の世界の文脈に位置づけたことが分かった。また,人間が介在する余地もない壮大なシステムとして動いている地球の中に自分たちが暮らしているという関係性を,実感をもって捉え直す傾向が見られた。さらに,地球システムの全体像をふまえた地震・雨の理解によって,ただ怖がる対象・なくなってほしいと願う対象であった地震や(水害の原因としての)大雨は,「地球の活動(マントル対流や水循環)の帰結として必然的に発生する現象」として意味づけ直された。これによって彼らは,「しょうがないこと」「当たり前」「自分には地球の動きをどうすることもできない」のように納得し,受け入れた。そこからさらに,「自分の方が逃げるしかない」と,自然災害に対して謙虚かつポジティブに向き合えるようにもなった。
これらを通じ,「防災に資するための災害科学の知識のより良い位置づけ方」は,災害や地球に対して謙虚に向き合う姿勢を生むことであると結論した。