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[HCG22-05] 明治維新まで(1861-1868)に到着した西洋人の日本風景の評価
キーワード:景観評価、西洋人、明治維新まで
明治維新まで
開国してから、日本の社会は政治が不安定になり、社会が不穏な状況となった。しかし外交官以外にも日本を訪れる人が増えた。宣教師や技師、学者、商人などである。最初は行動範囲も限られていたが、次第に居留地から周辺へと行動が広がっていった。日本の内情の偵察や布教の為であったのだが、次第に日本の魅力である風景のことに記述が見られるようになった。そして日本の風景の魅力が植物にあることを理解して行った。
サトウは各地を歩くと共に、各地からの情報を集めた。彼の植物種の調査や自然地理的調査、民族学的調査は当時の日本を伝える貴重な資料である。そして1880年に出版された最初の英語の観光ガイドブック"Handbook for central and northern Japan"は、日本を世界に紹介した。この本はまた、現在の日本人に、古き良き日本の姿を伝えてくれている。
バラ,マーガレット
彼女は滞在した神奈川近郊で風景を評価し、大変楽しんだことを記した。プロテスタントが聖書のみを評価するのではなく、視覚による人々の生き様を評価していることは、風景の評価が信仰よりも個人の知識や好みであることを教えている。彼女は日本人を素人の造園屋であると、そのセンスの良さを記述した。日本人はその育った自然条件の良さから、人間的な魅力があると記している。
パンペリー,レイフェイアエル
彼は江戸、鎌倉、八王子、江ノ島、南北海道、長崎などで風景の評価を記している。日本の植生の豊かさを記し、蝦夷は北東アメリカと近い種であることを確認している。特に故郷に近い種のある南北海道の風景を好んで記述した。円錐形の山とクマザサによるサバンナの風景を評価した。また段々畑と菜の花畑を評価した。
ブラキストン,トーマス
彼は北海道のほとんど全周を調べ、その多様で美しい風景を楽しんだ。特に北海道の紅葉の素晴らしさを記した。生物学者であるが植物には余り詳しくなかったようで、一般の旅行者と変わらない植物種の記述である。動物に詳しかったようであるが、動物学者が風景を評価しないということはないことを教えている。風景の評価が個人の知識ではなく、知的興味から生じていることを示している。
サトウ,アーネスト
彼の記述には植物の記述が多くて正確である。1879年以前に植物の記述が多い。1880年以降は山の景色に感激している。植物学者ではないので種の同定は不明な所もあるが、彼は息子の武田久吉を植物学者にして日本へ送り込んだ。これにより日本の植物研究は外国に並ぶものとなった。彼が愛した日本の風景は今では殆ど残っていない。彼は細かくて変化の多い日本の風景を、徒歩という最も適した手段で楽しんだ人である。
アンベール,エーメ
彼はスイスのみが日本と風景の比較が出来る国だと述べている。そして杉の大木、街道の並木、田畑の美、若竹の美、大気の透明さを賞賛した。日本人の風景管理力、入浴好き、古木信仰、のあそび、雪見などに欧州と異なった文化を見出した。海水浴をしないこと、寺院の太鼓の単調さ、農村のみじめさを不思議に思っている。
シュリーマン,ハインリッヒ
彼の記述では特に八王子近くの緩やかな起伏地帯について評価している。横浜では西洋人が作った建築や庭を美しいと感じている。
アルミニヨン,V. F.
彼は夜明けや緑葉の風景を評価し、愛宕山の眺めを見事だと言っている。浅草の通りを美しいと記している。
スエンソン,エドワード
彼は火山による地形を評価していた。特に磯邸と南国性の植物を賞賛した。また松の茂った桂川(嵐山)を趣があると評した。
ボヴォワール,リュドヴィック・ド
彼は横浜と江戸の周辺の美しい農村風景を賞賛した。日本の新緑の美しさを讚えた。そこここにある茶屋や小道のしつらえを讃め、蛇行する小川の流れや大木の並木道を讃め、日本人の自然に対す敏感さを讃めた。世界を巡った旅行家の偽らざる日本風景の評価である。
開国してから、日本の社会は政治が不安定になり、社会が不穏な状況となった。しかし外交官以外にも日本を訪れる人が増えた。宣教師や技師、学者、商人などである。最初は行動範囲も限られていたが、次第に居留地から周辺へと行動が広がっていった。日本の内情の偵察や布教の為であったのだが、次第に日本の魅力である風景のことに記述が見られるようになった。そして日本の風景の魅力が植物にあることを理解して行った。
サトウは各地を歩くと共に、各地からの情報を集めた。彼の植物種の調査や自然地理的調査、民族学的調査は当時の日本を伝える貴重な資料である。そして1880年に出版された最初の英語の観光ガイドブック"Handbook for central and northern Japan"は、日本を世界に紹介した。この本はまた、現在の日本人に、古き良き日本の姿を伝えてくれている。
バラ,マーガレット
彼女は滞在した神奈川近郊で風景を評価し、大変楽しんだことを記した。プロテスタントが聖書のみを評価するのではなく、視覚による人々の生き様を評価していることは、風景の評価が信仰よりも個人の知識や好みであることを教えている。彼女は日本人を素人の造園屋であると、そのセンスの良さを記述した。日本人はその育った自然条件の良さから、人間的な魅力があると記している。
パンペリー,レイフェイアエル
彼は江戸、鎌倉、八王子、江ノ島、南北海道、長崎などで風景の評価を記している。日本の植生の豊かさを記し、蝦夷は北東アメリカと近い種であることを確認している。特に故郷に近い種のある南北海道の風景を好んで記述した。円錐形の山とクマザサによるサバンナの風景を評価した。また段々畑と菜の花畑を評価した。
ブラキストン,トーマス
彼は北海道のほとんど全周を調べ、その多様で美しい風景を楽しんだ。特に北海道の紅葉の素晴らしさを記した。生物学者であるが植物には余り詳しくなかったようで、一般の旅行者と変わらない植物種の記述である。動物に詳しかったようであるが、動物学者が風景を評価しないということはないことを教えている。風景の評価が個人の知識ではなく、知的興味から生じていることを示している。
サトウ,アーネスト
彼の記述には植物の記述が多くて正確である。1879年以前に植物の記述が多い。1880年以降は山の景色に感激している。植物学者ではないので種の同定は不明な所もあるが、彼は息子の武田久吉を植物学者にして日本へ送り込んだ。これにより日本の植物研究は外国に並ぶものとなった。彼が愛した日本の風景は今では殆ど残っていない。彼は細かくて変化の多い日本の風景を、徒歩という最も適した手段で楽しんだ人である。
アンベール,エーメ
彼はスイスのみが日本と風景の比較が出来る国だと述べている。そして杉の大木、街道の並木、田畑の美、若竹の美、大気の透明さを賞賛した。日本人の風景管理力、入浴好き、古木信仰、のあそび、雪見などに欧州と異なった文化を見出した。海水浴をしないこと、寺院の太鼓の単調さ、農村のみじめさを不思議に思っている。
シュリーマン,ハインリッヒ
彼の記述では特に八王子近くの緩やかな起伏地帯について評価している。横浜では西洋人が作った建築や庭を美しいと感じている。
アルミニヨン,V. F.
彼は夜明けや緑葉の風景を評価し、愛宕山の眺めを見事だと言っている。浅草の通りを美しいと記している。
スエンソン,エドワード
彼は火山による地形を評価していた。特に磯邸と南国性の植物を賞賛した。また松の茂った桂川(嵐山)を趣があると評した。
ボヴォワール,リュドヴィック・ド
彼は横浜と江戸の周辺の美しい農村風景を賞賛した。日本の新緑の美しさを讚えた。そこここにある茶屋や小道のしつらえを讃め、蛇行する小川の流れや大木の並木道を讃め、日本人の自然に対す敏感さを讃めた。世界を巡った旅行家の偽らざる日本風景の評価である。