11:00 〜 13:00
[HQR04-P01] 武蔵野I面南東部における更新統の堆積相と層序:関東ローム層の剥ぎ取り試料と100 m ボーリング試料を用いた検討
キーワード:武蔵野台地、武蔵野面、武蔵野扇状地、更新統、関東ローム層、剥ぎ取り標本
武蔵野I面 [1] 南東部における更新統の層序と堆積環境を明らかにするために,地層剥ぎ取りおよびノンコアボーリングによって地質試料を採取し,堆積相の記載と柱状図の対比を行った.
調査地点の東京都新宿区大久保は,豊島台南端部の武蔵野I面に位置し,1 km 北には西から東へ流れる神田川沿いに立川面が分布し,1 km 南には淀橋台の下末吉面が広がっている [1].建設現場において,地下105 m までノンコアボーリングを行い,掘削深度3 m ごとに砕屑試料を採取した.また,同地点において,地表面から地下10 m までの露頭で地層の剥ぎ取りを行い,地下9.6〜8.9 m,8.0〜7.0 m,6.8〜4.4 m,2.8〜2.1 mの深度にあたる4枚の剥ぎ取り試料を採取した.なお,調査地点の地層の層理はおおよそ水平であり(深度9 mまでの層理は調査地点で直接確認し,地下15 m付近の砂層基底面の層理は [1] による.地下120 m付近の砂礫層基底面は北東方向に1˚程度の傾斜[1]),地表面の標高はT.P. 31 mである.
ノンコアボーリングで得られた試料の構成粒子や粒度を調べた結果,以下の通りとなった.
地下105〜100 m付近に上方粗粒化する砂礫層があり,最上部に相当する掘削試料は貝化石混じりであった.
地下100〜20 mに砂層と泥層からなる堆積サイクルが3回以上見られ,いずれの堆積サイクルも下位の砂層から上位の泥層へ徐々に細粒化していき,その直上に新たな堆積サイクルの砂層が現れていた.また,この深度範囲では最上部を除き砂の構成粒子に石英が目立っていたが,より上位ではあまり見られなかった.
地下20〜12 mでは砂層が見られ,下位から上位に向かって粗粒化と細粒化の1サイクルが確認された.中部に挟まる粗粒な砂層には円磨岩片が含まれていた.
地下12〜9.5 mに礫層が見られ,礫は長球状の円礫で長軸直径は30〜50 mm前後のものが多く,大きいものでは100 mm以上あった.
地下9.5〜6.5 mに凝灰質粘土層が見られた.9.5〜7.4 mでは下位から順に,青灰色から黒褐色に漸移し,7.4 mに明瞭な境界があった.7.4 m直下の黒褐色層は波長・振幅ともに数10 cmの層内擾乱が顕著だった.7.4〜7.2には赤褐色〜褐色の層数枚が互層となっていた.7.2 mから上位では青褐色の層が見られ,上位との層理面は波打っていた.
地下6.5 mから上位では褐色のローム層があり,褐色の濃淡により少なくとも4以上の境界が認められた.6.1 mでは軽石層が水平方向に断続的に見られ,15 cm程度の大きさのブロック状になっていた.
以上のことに加えて,段丘面区分および周辺地域の柱状図との比較[1,2]から,下位から順に,地下20 mまでが上総層群の舎人層,20〜12 mが下総層群の上泉層もしくは東京層上部,12〜9.5 mが武蔵野礫層,9.5〜6.5 mが水中堆積した軽石が粘土化した下末吉ローム層[2,3],6.5 mからが立川・武蔵野ローム層であると考えられる.舎人層は基底の城北砂礫部層[4]から上方細粒化の堆積サイクルが3回以上見られ,古東京湾における海進・海退サイクルを反映していると考えられる[4].下総層群は[1]によれば東京層上部ではなく上泉層に相当すると考えられる.武蔵野礫層の礫は古多摩川の武蔵野扇状地の段丘堆積物であり,MIS 5.2–5.1に対応すると考えられる[2].下末吉ローム層最上部の黒褐色層は埋没土層[2]に対応すると考えられるが,層内擾乱が激しい原因は不明である.立川・武蔵野ローム層下部に挟在している軽石層は箱根東京テフラと考えられ[1],降灰年代66.0±5.5 ka [5]を与える鍵層である.
[1] 納谷ほか(2021)産総研「都市域の地質地盤図」,[2] 遠藤ほか(2019)第四紀研究,[3] 杉原ほか(1971)第四紀研究,[4] 遠藤(1978)地質学雑誌,[5] 青木ほか(2008)第四紀研究
調査地点の東京都新宿区大久保は,豊島台南端部の武蔵野I面に位置し,1 km 北には西から東へ流れる神田川沿いに立川面が分布し,1 km 南には淀橋台の下末吉面が広がっている [1].建設現場において,地下105 m までノンコアボーリングを行い,掘削深度3 m ごとに砕屑試料を採取した.また,同地点において,地表面から地下10 m までの露頭で地層の剥ぎ取りを行い,地下9.6〜8.9 m,8.0〜7.0 m,6.8〜4.4 m,2.8〜2.1 mの深度にあたる4枚の剥ぎ取り試料を採取した.なお,調査地点の地層の層理はおおよそ水平であり(深度9 mまでの層理は調査地点で直接確認し,地下15 m付近の砂層基底面の層理は [1] による.地下120 m付近の砂礫層基底面は北東方向に1˚程度の傾斜[1]),地表面の標高はT.P. 31 mである.
ノンコアボーリングで得られた試料の構成粒子や粒度を調べた結果,以下の通りとなった.
地下105〜100 m付近に上方粗粒化する砂礫層があり,最上部に相当する掘削試料は貝化石混じりであった.
地下100〜20 mに砂層と泥層からなる堆積サイクルが3回以上見られ,いずれの堆積サイクルも下位の砂層から上位の泥層へ徐々に細粒化していき,その直上に新たな堆積サイクルの砂層が現れていた.また,この深度範囲では最上部を除き砂の構成粒子に石英が目立っていたが,より上位ではあまり見られなかった.
地下20〜12 mでは砂層が見られ,下位から上位に向かって粗粒化と細粒化の1サイクルが確認された.中部に挟まる粗粒な砂層には円磨岩片が含まれていた.
地下12〜9.5 mに礫層が見られ,礫は長球状の円礫で長軸直径は30〜50 mm前後のものが多く,大きいものでは100 mm以上あった.
地下9.5〜6.5 mに凝灰質粘土層が見られた.9.5〜7.4 mでは下位から順に,青灰色から黒褐色に漸移し,7.4 mに明瞭な境界があった.7.4 m直下の黒褐色層は波長・振幅ともに数10 cmの層内擾乱が顕著だった.7.4〜7.2には赤褐色〜褐色の層数枚が互層となっていた.7.2 mから上位では青褐色の層が見られ,上位との層理面は波打っていた.
地下6.5 mから上位では褐色のローム層があり,褐色の濃淡により少なくとも4以上の境界が認められた.6.1 mでは軽石層が水平方向に断続的に見られ,15 cm程度の大きさのブロック状になっていた.
以上のことに加えて,段丘面区分および周辺地域の柱状図との比較[1,2]から,下位から順に,地下20 mまでが上総層群の舎人層,20〜12 mが下総層群の上泉層もしくは東京層上部,12〜9.5 mが武蔵野礫層,9.5〜6.5 mが水中堆積した軽石が粘土化した下末吉ローム層[2,3],6.5 mからが立川・武蔵野ローム層であると考えられる.舎人層は基底の城北砂礫部層[4]から上方細粒化の堆積サイクルが3回以上見られ,古東京湾における海進・海退サイクルを反映していると考えられる[4].下総層群は[1]によれば東京層上部ではなく上泉層に相当すると考えられる.武蔵野礫層の礫は古多摩川の武蔵野扇状地の段丘堆積物であり,MIS 5.2–5.1に対応すると考えられる[2].下末吉ローム層最上部の黒褐色層は埋没土層[2]に対応すると考えられるが,層内擾乱が激しい原因は不明である.立川・武蔵野ローム層下部に挟在している軽石層は箱根東京テフラと考えられ[1],降灰年代66.0±5.5 ka [5]を与える鍵層である.
[1] 納谷ほか(2021)産総研「都市域の地質地盤図」,[2] 遠藤ほか(2019)第四紀研究,[3] 杉原ほか(1971)第四紀研究,[4] 遠藤(1978)地質学雑誌,[5] 青木ほか(2008)第四紀研究