16:45 〜 17:00
[MIS22-10] 「高野家記録」の原本調査と18世紀の宮城県南部の地震活動
日記史料を用いた歴史地震研究として、江戸(東京)の日記に書かれた地震記録の検出閾値を推定し長期的な地震活動の変化を考察したSatake and Ishibe (2020)が挙げられる。また、宇佐美・他(2001)は盛岡と山形での日記に記録された地震について現代のカタログと比較し、記録された揺れの大きさと震度の対応関係について検討している。
本研究では「高野家記録」に記録されている有感地震数に着目した。分析には、『日本の歴史地震史料拾遺5ノ上』と、東北大学図書館所蔵のマイクロフィルムを利用した。「高野家記録」は元禄九年(1696年)~天明二年(1782年)の86年間に渡って仙台藩の家臣である高野家に由来する記録である。高野家は蔵王町平沢に領地を持ち江戸時代250年に渡ってこの地を治めた。地震記録は十九代当主倫兼、二十代当主博兼によって記録されており、主に仙台や蔵王町平沢での日々の生活や天候、地震の記録が細かく記載されている。 記録期間は倫兼が元文二年五月三日~天明元年十二月二十五日(1737年6月1日~1782年2月7日)、博兼が明和三年正月一日~明和七年七月二十五日(1766年2月9日~1770年9月14日)となっている。
史料集に載っている蔵王町平沢と仙台での有感地震記録の日数は、倫兼が238日、博兼が110日であったが、原本を撮影したマイクロフィルムを確認したところ、史料集に収録されていない地震の記録が新たに倫兼について73日分、博兼について6日分みつかった。
宮城県で有感となる地震を大きく分けると、日本海溝沿いで発生する地震と内陸で発生する地震に分けられる。日本海溝沿いで発生する地震の場合、宮城県沖以外にも茨城県沖~青森県沖までの太平洋沖合での地震でも宮城県南部で被害が生じることがある。内陸の地震は、長町-利府線断層帯や福島盆地西縁断層帯等の活断層に起因するものや、栗駒山や蔵王山付近で発生する群発地震も知られている。2002年3月以降、蔵王町平沢付近に蔵王町円田観測点が設置されており、現在までに震度1~震度6強まで観測されている。また、2003年~2020年までの平均で1年間に震度1が94回、震度2が33回観測されている。
「高野家記録」で記録されている地震記録と現代の観測により記録された地震の回数を比較すると、「高野家記録」の筆者は震度2以上の地震は記録しており、震度1の地震も一部記録していると考えられる。
次に、「高野家記録」に記載されている地震について、他の史料に記載されている有感記録も加味して発生タイプ別の分類を行った。発生タイプとしては「日本海溝での地震」、「内陸・日本海側の地震」、「その他」とした。その結果、「高野家記録」で記録された地震のうち、約半数が分類でき、4割が日本海溝での地震、1割が内陸・日本海側の地震であると考えられる。その他の地震は、史料集に他の有感記録のある史料がなく、詳細がわからない地震である。これらのうち、特に明和六年八月三十日(1769年9月29日)~明和六年十一月一日(1769年11月28日)までの61日間のうち18日間で蔵王町平沢において有感地震が記録されており、その総有感回数は19回である。明和六年は「高野家記録」による1年間の有感地震数が24回であり、この61日間に1年の約8割の有感地震が記録されていたことになる。これらは福島盆地西縁断層帯や蔵王山での群発性の地震活動を記録したものである可能性が考えられる。
本研究では「高野家記録」に記録されている有感地震数に着目した。分析には、『日本の歴史地震史料拾遺5ノ上』と、東北大学図書館所蔵のマイクロフィルムを利用した。「高野家記録」は元禄九年(1696年)~天明二年(1782年)の86年間に渡って仙台藩の家臣である高野家に由来する記録である。高野家は蔵王町平沢に領地を持ち江戸時代250年に渡ってこの地を治めた。地震記録は十九代当主倫兼、二十代当主博兼によって記録されており、主に仙台や蔵王町平沢での日々の生活や天候、地震の記録が細かく記載されている。 記録期間は倫兼が元文二年五月三日~天明元年十二月二十五日(1737年6月1日~1782年2月7日)、博兼が明和三年正月一日~明和七年七月二十五日(1766年2月9日~1770年9月14日)となっている。
史料集に載っている蔵王町平沢と仙台での有感地震記録の日数は、倫兼が238日、博兼が110日であったが、原本を撮影したマイクロフィルムを確認したところ、史料集に収録されていない地震の記録が新たに倫兼について73日分、博兼について6日分みつかった。
宮城県で有感となる地震を大きく分けると、日本海溝沿いで発生する地震と内陸で発生する地震に分けられる。日本海溝沿いで発生する地震の場合、宮城県沖以外にも茨城県沖~青森県沖までの太平洋沖合での地震でも宮城県南部で被害が生じることがある。内陸の地震は、長町-利府線断層帯や福島盆地西縁断層帯等の活断層に起因するものや、栗駒山や蔵王山付近で発生する群発地震も知られている。2002年3月以降、蔵王町平沢付近に蔵王町円田観測点が設置されており、現在までに震度1~震度6強まで観測されている。また、2003年~2020年までの平均で1年間に震度1が94回、震度2が33回観測されている。
「高野家記録」で記録されている地震記録と現代の観測により記録された地震の回数を比較すると、「高野家記録」の筆者は震度2以上の地震は記録しており、震度1の地震も一部記録していると考えられる。
次に、「高野家記録」に記載されている地震について、他の史料に記載されている有感記録も加味して発生タイプ別の分類を行った。発生タイプとしては「日本海溝での地震」、「内陸・日本海側の地震」、「その他」とした。その結果、「高野家記録」で記録された地震のうち、約半数が分類でき、4割が日本海溝での地震、1割が内陸・日本海側の地震であると考えられる。その他の地震は、史料集に他の有感記録のある史料がなく、詳細がわからない地震である。これらのうち、特に明和六年八月三十日(1769年9月29日)~明和六年十一月一日(1769年11月28日)までの61日間のうち18日間で蔵王町平沢において有感地震が記録されており、その総有感回数は19回である。明和六年は「高野家記録」による1年間の有感地震数が24回であり、この61日間に1年の約8割の有感地震が記録されていたことになる。これらは福島盆地西縁断層帯や蔵王山での群発性の地震活動を記録したものである可能性が考えられる。