日本地球惑星科学連合2022年大会

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[J] ポスター発表

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[M-IS22] 歴史学×地球惑星科学

2022年5月29日(日) 11:00 〜 13:00 オンラインポスターZoom会場 (28) (Ch.28)

コンビーナ:加納 靖之(東京大学地震研究所)、コンビーナ:芳村 圭(東京大学生産技術研究所)、岩橋 清美(國學院大學)、コンビーナ:玉澤 春史(京都市立芸術大学)、座長:加納 靖之(東京大学地震研究所)、芳村 圭(東京大学生産技術研究所)

11:00 〜 13:00

[MIS22-P05] 19世紀日本における地球科学認識の形成過程-オーロラ記述の変遷を事例にして-

*玉澤 春史1,2、北井 礼三郎4岩橋 清美3 (1.京都市立芸術大学、2.京都大学、3.國學院大學、4.立命館大学)

キーワード:オーロラ、地球惑星科学史、学術用語

本報告はオーロラを示す語彙の変遷を事例に、1840~80年代の日本における地球科学認識の形成過程を考察するものである。具体的にはオーロラを示す語彙を分析対象とし、語彙の変遷に西洋の科学知識の受容と社会における定着の様相を見るものである。
 自然現象を歴史史料から読み取るような場合、特に特徴的な、あるいは稀な現象は史料の書かれた背景を深く理解する必要がある。
 岩倉使節団に随行し欧米を視察した旧佐賀藩士久米邦武は、『米欧回覧実記』1872年8月4日条において、ボストンで見たオーロラを、「ノース、ライトハ北光ノ義ナリ、或ハ北暁トモ訳ス、」と記している。この記述こそが近世・近代移行期の地球科学認識の形成過程を如実に示しているのである。そこで本報告では、「北光」「北暁」の語彙の使用例を、翻訳書・教科書等の刊行物、1972年のオーロラ観測記録をもとに分析した。
「北光」という語彙は、江戸幕府蕃書調所教授箕作阮甫が翻訳・編纂した『玉石志林』(1863年頃刊行)に見ることができる。本書は、佐賀藩主鍋島家の蔵書目録のなかに確認することができ、洋学者を中心に流布していたと考えられる。
その後、『地文学読本全』(1880年)、『学校用地文』下(1883年)、『地文学』(1884年)にもオーロラを示す語彙として用いられている。ただし、これらの教科書ではオーロラを示す語彙を「極光」とした上で、その種類に「南光」と「北光」があると述べている点が注目される。
1880年代の「地理」の教科書において、オーロラが取り上げられているのは、日本においてオーロラ現象の説明が、暦書ではなく地理学・博物学の書物に記されていることと無関係ではない。中国で外国人により執筆され、日本にも入ってきた『新釈地理備用全書』(Marques、1847)、『地理全志』(Muirhead,1858)、『博物新編』(Hobson、1855年頃刊行)にはオーロラ記述が見られるからである。しかし、ここでは、「北暁」という語彙でオーロラが説明されている。これらの書物のうち『博物新編』は江戸幕府開成所が「官版」として刊行し、その後、明治初年にも再刻・三刻として発行され、増補・訳解・註本が出されていることから、知識人層に広く受容されたと言える(福井保『江戸幕府刊行物』雄松堂出版、1987年)。
中国を経由している「北暁」と日本で原語からから訳された「北光」がオーロラの訳語として両方記したのが久米邦武であり、久米が漢籍と西洋書物の両者の知識を持つ、まさに当該期の地球科学認識を体現する人物であることがわかる。そして、これより、中国を経由せず、欧米から直接、科学を導入し始めた日本の過渡的な「知」のあり様が看取される。