日本地球惑星科学連合2022年大会

講演情報

[J] 口頭発表

セッション記号 M (領域外・複数領域) » M-ZZ その他

[M-ZZ50] 地球科学の科学史・科学哲学・科学技術社会論

2022年5月27日(金) 09:00 〜 10:30 101 (幕張メッセ国際会議場)

コンビーナ:矢島 道子(東京都立大学)、コンビーナ:山田 俊弘(大正大学)、コンビーナ:青木 滋之(中央大学文学部)、コンビーナ:山本 哲、座長:山本 哲山田 俊弘(大正大学)

10:15 〜 10:30

[MZZ50-06] アジア太平洋戦争終結前後における望月勝海の地理学への「転向」

*島津 俊之1 (1.和歌山大学教育学部地理学教室)

キーワード:地的統一、地誌学、地政学、ヴィダル・ド・ラ・ブラーシュ、サウアー

研究者の日記は,学説の形成にとって重要な,しかし刊行物からは窺い知れない類の日常的実践や心の動きを後世に伝えてくれる。望月勝海は,静岡高等学校教授であった昭和20(1945)年7月10日の日記に,Preston E. JamesのAn Outline of Geography(1935)を「よい本であった」と記した後に,「余はGeologieよりGeographieに転向の度を速めているらしい」と付け加えた。東京帝国大学理学部地質学科を卒業した望月が地理学にも詳しかったことは,Richthofenの大著Chinaの第1巻(1877)を,その前半のみではあるが共訳書『支那 (Ⅰ) ―支那と中央アジア―』(岩波書店, 1942)として刊行したことからもわかるが,彼が終戦間際に自ら「転向」と記したことは興味深い。Jamesの教科書では地理学が「地表の諸現象の相互的な空間関係の研究」とされ,HettnerやVidal de la Blache,BrunhesやSauerなどの所説を参照したことが記されていた。その後,望月の日記にはBrunhesのHuman Geography(1920)やVidalの訳書『人文地理学原理』(1940)を読み進めている旨が記される。かかる読書は講義の準備のためでもあり,7月14日の日記には「文科に地理の初めての講義をした。第一講として,経国には適わしくないが地理学の意義の話をした。… けふの講義に基づいて概説地理学といふ原稿を一寸書始めてみた」と記される。「経国」とは,昭和17年文部省令第31号「高等学校規程ノ臨時措置ニ関スル件」において,「高等学校規程」(大正8年文部省令第8号)における高等科文科の学科目「地理」と「法制及経済」を統合して設けられた「経国科」をさす。望月は昭和16(1941)年以来,この法令改正に地質鉱物及び地理の学科委員として関与した。ちなみに地理プロパーの学科委員は,京都帝国大学文学部講師の室賀信夫であった。昭和18(1943)年に主著『大東亜地体構造論』(古今書院)を刊行し,地質学者としての研究に一区切りをつけた後,望月は地理学の講義の準備に時間を割いていたようにみえる。昭和20年6月20日の静岡大空襲で博物教室が焼失し,同日の日記に「沢山の地質学書しかも洋書の消失である。Text-book of Geologyを著述する望は断つの他はない」と記されたことも影響していよう。望月の担当した経国科は,「高等学校高等科教授要綱」(昭和18年文部省訓令第4号)において「皇国及皇国ヲ中心トスル世界ノ地理,経済,政治ニ関スル具体的事実ノ解明ヲ通ジテ其ノ現実ノ情勢ヲ会得」させる学科目と規定され,彼の講義は「適わしくない」内容を交えつつも,この制度的枠組みに沿って行われざるをえなかった。「概説地理学」の原稿は8月13日まで書き継がれたが,終戦後の8月23日の日記に「概説地理学を新しいノートに書きかへ始めた。十五日以前の原稿はもう通用しない。世の中が変ったのである」と記される。表紙に「昭和二十年八月二十三日起筆」とある「概説地理学(一)」のノートが残されるが,そこには「日本の精神を輝かせたこの戦争が,… 地理学にも一大発展を与へる契機であつたことは,信じて疑はない。否な,現に我々はこの戦線に仆れた同胞に餞ける目標で,新しい大東亜地理学の構想に努力しているのではないか」と記される。しかし彼は終戦前の7月20日の日記で,小牧実繁の『日本地政学宣言』(弘文堂書房, 1940)を「いよいよこれと地理学とは別物であると確信する」と評してもいた。望月は終戦直後に至るまで,国策と学術の狭間で揺れ動いていたといえよう。「概説地理学(一)」には,後に『地学・地質学・地理学』(目黒書店, 1947)で披瀝された望月の地理学観がすでに認められる。そこでは「自然的・人文的なあらゆる現象が起り物体が充填している … 土地を綜合統一的に見ようとする」立場,すなわち「地的統一」を重視する立場が称揚され,「地域性こそ地理学特有な研究対象である … 地域性は直接に視覚に依って,景観として吾人の眼に映ずる … 景観の一皮を剝けば内部器官として,複雑な文化・社会の機構が活溌に脈うつている … この内部まで或程度たち入らなければ,その地域性をも真に明らかにし得ない」と説かれる。そして「地理学が人間の学でなく場所の学である … 地理学を以て地域的な地誌的なものをその本質とする」と結論づけられる。ここにみられるのはVidalやJames,そしてSauerの所説に似た地理学観であり,望月にとって地理学は,「純然たる自然科学」としての「綜括的な地学」とは別物であった。望月は,広範な知識と深い思索に基づいて,ディシプリン間の知的分業に関する洞察を得ていたといえよう。